メガン妃って自己愛性人格障害者っぽいな
ずっと感じていたけれど、メガン妃って自己愛性人格障害者っぽい
遠い存在なのでどうでもいいけれど、そもそも「悪だ!」って誰かを悪者にし続けるその手法が気になる
それが味方を集める手だとしても、「アイツが悪い!」って言ってしまうと、引く人もいるし、悪者扱いした相手方のサポートは得られない
嫌だと思っていなかったとしても、「悪だ!」と言われて、いいと思う人はいない
配偶者である王子は取り巻き化しているので、本当に自分達は悪くないし相手方が悪いと信じているだろう
いわゆる洗脳なので全面的なメガン妃の味方だ
取り巻きが自ら何かがおかしいとか、なんだか間違えているかもとかを気がつく事はほとんど無い
考えて選択する部分を自己愛性人格障害者に預けてしまう事が取り巻きの洗脳された状態
取り巻きはその判断をしない状態がとっても楽で居心地がいい
もしこの逆風の中、メーガン妃無しで放り出されたらと思うと気が気じゃない
判断を自分でして、責任を全て負ってたった一人で生きていかなきゃいけない
っと、思っている
そんな事は無いし、皆王子だけで戻って来るなら大歓迎だけど、そんなの伝わらない
王子に伝わらないというか、とにかく王子は判断と責任が嫌なんだ
ちなみにメガン妃は、判断はしているが責任をとるつもりは無い
王子は自分が輝く為の道具だし、「王子を支えています」「王子の考えです」と言いながら自分の考えを言い、全ての責任を王子に負わせている
「王子の思いも一緒だから、王子に文句をいう人はどうかしてるわ!」といったところ
さて、なぜこんなことになってしまうのかと言うと、この場合はやっぱり王子の生い立ちかな
小さい頃からずっと素晴らしい母と素晴らしい兄の間で過ごしてきた王子
反発してきたイメージだけど、反発するのは自分の意見がある場合と、周囲の意見が聞きたくない場合がある
自分の意見がある場合は自立する思春期の頃以外は別に周囲に楯突く必要はない
周囲とバチバチやり続けるのは周囲の意見が聞きたくない場合
周囲の意見が聞きたくないのは、それを聞いてしまうと自分が埋もれてしまう気がするからなのかも
要するに、自信が無い
自信が無いのは自己評価が低いということで、自分の意見が言いにくい
自分の考えを語ることにも思いを馳せることもあまりしてきてない
ただ、与えられたものは受け入れたくないし、いい子でいたってなんだか兄に勝てそうにない
ずっと、そんな感じで生きてきた
そこにメーガン妃
「あなたの為に私は戦っている!」「私はあなたの唯一の味方よ!」と言われて、すっかり信じて取り巻きへ
自分の為に全部考えてくれるのだから、ビッタリ合ってるじゃん!て思っちゃったのかもしれない
王子なんて地位もお金も持っているから、自己愛性人格障害者が寄生するには最高だ
メーガン妃のステップの踏台にするにはもってこいかも
なーんて思います
王室ははてどんな対応をとるのだろう?
同じ土俵に立って文句を言い合うのは、益々敵味方の奪い合いになるだけなのでやめるべき
そっと静観して、大人の対応がいいのかなあと思います
なにげにこんなことよくあるよね
やっぱり厳しいのね、、
「私ってこんな人間なんです!」って自己紹介する人を私は結構苦手です
とにかく面倒なんです
「こんな人間だから、扱いに気をつけて下さい!」って言っているのかな?って思います
「そんなの知りません」って、心の中で言い返して、スルーしてます
障害者に特別に優しくするのもなんだかなと思います
何かに障害がある人もいつか社会で自立出来ると信じています
そのために、どんな人でも人とは違う得意を持って気負いせず胸を張って生きて欲しいと思うのです
そのためのお手伝いとかはしたいと思いますが、優しくするだけは苦手です
その人はその障害をずっと背負って生きていくのに、環境や周囲がその人の居心地が良いように変わるのを待っているなんて、あり得ません
どこでも生きていける何かを持って誰もが生きていかなきゃ、新しい場所は人にとっていつも地獄になってしまいます
あー、自分で書いていても厳しいですね
甘える役割の人は我が子だけで充分です
出来ない事は恥ずかしい事ではないし、出来ない事を問題にはしてません
出来ないのは現状の把握でしかなく、出来ない事が出来るようになるように、考えたり練習したりする事に力を注いで、誰もがこれからを元気に進んでいければいいなと願っています
厳しいですね~
でも、出来ない事を「何で出来ないんだ!」って言いません
もし誰かに教えて貰っていて、ちゃんと話を聞いて練習しているのにそれが出来ないのなら、それは教える先生に伝える能力がないんだと思うんです
伝える能力、教える能力、違いに気がつく能力、それも人の力や素質だと思います
厳しいな~
それにしても優しいって何でしょう?
私は私みたいな人が優しいと信じています
自己満足な優しさじゃなくて、生きていくため、自立するためのお手伝いを出来ればいいなと思います
「私も頑張ってるんだからあなた達はもっと頑張りなさい」と自己愛性人格障害者
自己愛性人格障害者は自分の不幸自慢が大好き
なぜなら、「頑張ってる自分はやっぱり凄い!!」って言えるから
皆に「凄いわ~」って称賛されるから
そして、特別扱いされて「いいよ、いいよ」って何でもやって貰えるから
同情されるから
なんなら、別に嘘で怪我とか、嘘で病気とか、嘘で更年期とか、身内の病気でも怪我でも自分に置き換えちゃう!?
境界が分からないから、そのうち嘘かほんとかも分からなくなっちゃうかも
そんな事ありえる?って思うけど、自己愛性人格障害者にとっては日常
そんな不幸をなんで自分のものにしちゃうかというと、それが人を動かすとっても素敵なカードになるから
周囲に題名にも書いた「私も頑張ってるんだら、あなた達も頑張りなさい」と言えるから
「あなた達も頑張りなさい」は「私と一緒に頑張ろう」って言っているわけではない
「私より幸せなあなた達は私より頑張るのが当然でしょ」と言っているのだ
「私は何もやらなくてもいいけど周囲は動きなさい!」とか「私のお世話をするのは当然でしょ!」とか「私の出来ない事はやってくれるのが当たり前でしょ!」とかになる
もちろん、そんな事一言も言わない
でも、思った事を周囲がやってくれないと機嫌が悪くなる
そしてその度に「私も頑張ってるんだからあなた達も頑張りなさい」と言う
実際本人は全然頑張ってないけど…
そうやって、周囲の時間や労力を搾取し拘束してただで役務を享受する
ん、思ったより元気じゃない?
ん、思ったより幸せそうじゃない?
って第三者から見たら思うけど、近くにいると分からない
要求はエスカレートしてくるし、当然だから感謝の言葉もない
周囲は「ひたすらやらなきゃいけない」と強迫観念にかられて動く
辛いと思っても、「あの人はしんどいのに頑張ってるから私も頑張らなきゃ!」と思う
別にやらされている訳じゃなくて、やってと言われたんじゃなくて、やりたい訳じゃない事をやらなきゃいけないと思いながらやる
やらなかったらどうなるか?なんてそもそも選択肢に無い
グループに入ってしまえば、周囲も一緒だから自分一人がやめるわけには行かない
自分一人だとしても誰もあの人を見てあげる人がいなくなっちゃうとあの人は困るだろうと思う(優しい自分も心地いいしね)
どうであれ、そこでその人のお世話をすることは自分が必要だと分かること
もし何かに気が付いて「この生活はできない!」と胃を決して言ったなら、泣きながら「あなたがいないと私は生きていけないの」と言われてしまう
「あなたが必要」なんてとっても素敵な言葉に、結局また要求に答えてしまう生活に戻る
気が付けば抜けれない
そんなカードのひとつが「自分の不幸」
なんて素敵なカード
UNOにそんな何でも使えるカード無かったっけ?
私から見たらジョーカーだけど…
ママ友の支配なんて防げない
ママ友が搾取で子供が餓死
死んでしまったらもともこもないけど…死なない程度での支配だったとしたら、ずっと続く
こんなこと、そこらじゅうにある
ママ友がマウンティングをしながら、取り巻きを従え支配しいじめ搾取して力をつけていく
2人きりの関係を気を付けないといけない訳じゃない
仲良しのグループにだってある
外との関係を断たれると、人間は弱い
ママ友が優しく色々とお世話しながら、周囲との人間関係を断ち切り、気が付けば頼る人はその人一人
外からの情報も断ち切られ、「外との連絡を取ったら最後の友達である私もあなたを見放すわ」と脅す
助けてくれる人は目の前にいるから誰かに助けを求める必要なんて無い
自分で納得してやっている事だし、子供にご飯をあげられないのも自分のせいで、ママ友は何もやっていない
なぜ、良くしてくれた人が自分と一緒に逮捕されちゃうかも、もしかしたら分からないかもしれない
助けも求めないし、捕まったからってママ友との関係を断ち切る気なんてないかもしれない
洗脳されていると本人が気づくなら、洗脳なんてされない
支配が支配と本人が分かれば、支配なんて成り立たない
ママ友だろうが友達だろうが配偶者だろうが上司だろうが恋人だろうが相手は関係なく、相手の支配と自分の意思で虐待やいじめやDVやパワハラや犯罪をしてしまう人がいるということかも
もちろん、助けを求める事は絶対にない
自分が手を下せと言った訳でもなく、誰かにやらされたのではなく、全て忖度で誰にも責任が無いと誰もが思っている
いったい誰をどう止めれば、被害者を助けられたのか?なんて誰も分からない
どうすれば、その犯罪を止められたのかなんて誰も分からない
原因が誰かにあるのではなく、「きっと誰かにあるかもしれない」と誰もがもっている
変だけど…納得なんていかないけど…人が亡くなっても犯罪だとしても誰も悪くない…の?自分以外の誰かが悪い…の?
何それ!
誰も防げないの?
誰も何も出来ないの?
そうじゃないと思うけど、そうしないためにこの自己愛性人格障害者の力が強くならない社会を作らないといけないかも
どうあれ、第三者がそんなに簡単に「周りが助けられなかったのか?」とか「なんとかならなかったのか?」とか「母親の資格がない」とか言えるもんじゃない…と思う
健康的な生活の6ヶ月後
健康的な生活を初めて、痩せたい企画もとうとう6ヶ月が経ちました
毎度思います
目標はとっくに達成しているはずでしたが、現実は半分
なんて事でしょうか?
一応ピラティスのインストラクターだろうが!と思ってしまいますが食べ物の誘惑には勝てず、そっと欲求を満たしながらのダイエットをしております
というわけで、半年経ちまして3キロ減
いつも書いている30分で走っている距離ですが、なんと5.1キロ
とうとう5キロを越えました
平均時速が約10.7キロです(.打つ場所を間違えてた(泣)
早く走れるようになったなあと自分でもびっくりの成長です
週に2日ほど、1回約6キロ走っていますが、筋肉痛にならない日はいまだに来ません
走るって大変なんですね
走るという事が体のどこを使うのか、動けない人が走るまでにどのような筋肉やトレーニングが必要なのかがすごく分かります
これをアウトプットして子供も大人も走りたくなるような身軽な体を手に入れられるように、お手伝いできるといいなあと思います
一緒にダイエットに健康的な生活に挑戦してみましょう!!
グループを抜ける人から学ぶ自己愛性人格障害者の封じ込め
前回、グループを抜ける人を見てどんな時でも感謝をして方がいいよねって話を書きました
今まで自分達が移動した時の経験からも凄く感じる事です
移動する時にはもちろん人間関係は整理すべきだとは思いますので、迷った関係は全て切ってしまってもいいのかなと思います
でも、絶対素敵な関係の方もいらっしゃると思うんです
せっかくのご縁ですから、そういう方との繋がりは上手に維持していけたら幸せだと思うんです
そのご縁のあった方や自分の周囲の方に感謝して迷惑をかけてはいけないなと思っていつも動きます
自分と繋がることで、そのご縁のあった人に不利益があっては要らないものをその人に託してしまうことになりかねない
具体的には、物凄く意地悪をしてきた人がいて、それでも盾になって仲良くしてくれた方がいるとします
自分は意地悪に耐えかねて、そこをやめてしまう場合
1、皆さんに挨拶をきちんとして、どの方にも感謝を伝えてやめる
2、なにも言わずにやめる
どちらかの選択だと思います
最近は2の選択が多いのかなと思うのですが、いじめて来た人達は被害者がいなくなった場合、自分達の勝利だと言わんばかりに「あの人って非常識な人ね、仲良くしてくれた人もいたのにね、失礼な人ね」って、言うだろう想像はつきます
そう言われると確かにそうだし、盾になって仲良くしてくれた人達のグループ内での株は下がって、「余計な人と関わりをもった面倒を引き受けて損をした人」というレッテルを張られてしまう
その後、そのグループでいじめがあった時助けてくれる風潮は無くなるかもしれません
自分がその素敵な関係をその後も維持しようと思っても、「リスク覚悟でお付き合いしたのにお礼も無い人と仲良くするのはちょっとな」と思われてしまう可能性もある
いじめは一度するとターゲットを変えて次々としてしまうものなので、その後のそのグループの雰囲気は悪くなっていくかもしれません
一方、1の選択をとった場合ですが、その場は変わらないかもしれません
いじめた人達から「なんで、やめたか分からないわ~」とかは言われるかもしれませんが、やめた人の気持ちをそっと分かってくれる人もいると思うのでその場はそれで充分かと思うんです
でも、そこに置いていくものは大分変わります
かばってくれたり盾になってくれた人に「ありがとう」と感謝を伝えられた事で、リスク覚悟で動いてくれた人達のその行動を肯定出来るのです
その人がやめる結果は至らない事があったかもしれないにせよ、動いた事を肯定されればその関係が良かったなって思えます
いつか同じ様な被害者が出てきた場合そっと助けてくれる様な風がそのグループに残るかもしれません
いじめはいつまでも無くならないかもしれませんが、周囲の雰囲気は逃げた人のせいで悪くなることは無いのです
そして、その後そのグループを離れた人が新たな地で頑張ることが出来た時には古巣での人間関係が応援に変わったり、生きてくる時が来るかもしれません
長くいれば、そこでの影響力は勝手に上がるので、長い期間暖めた関係はお互いの地で影響力のある関係になることもあるかもしれません
地位のある人同志なら、移動を介してそのグループの繋がりが出来る場合だってあるでしょう
チラッとでも外部との特別な関係が垣間見れれば、閉鎖的なところでしか意地悪をしない自己愛性人格障害的な人達はコロッと態度を変えて声を掛けてくるかもしれません
その態度の変化には頭に来るかもしれませんが、ついこの前までターゲットとしてばかにしていたとしても、した手に出てくることもあるのです
うまく行けば自己愛性人格障害者封じ込めの策が築けるかもしれません
そうなったら、外からそっと自分に良くしてくれた方をお手伝いが出来るかもしれません
もちろん、同じ業界にいればとかその他の人間関係とか条件は色々あるとは思うので、全て上手くは作用しないと思いますが、そんな可能性を挨拶は秘めているのです
いずれにしても、「この人に声を掛けて良かった!」と思って貰うことは大切だなと思います
散々意地悪をしてきた人に対しては、すり寄って近づいて来ても適当にあしらえばいいですし、そういう人は特別な利益のありそうな人には何もしない人が多いですから、嫌がらせ等も特に気にしなくて良いと思います
人間関係はとっても難しいし難解ですが、ほとんどがお金では動いていないものなので、もしかしたら挨拶と感謝は絶大な影響力のあるカードなのかもしれないなと思います
ちなみに、どんなに最悪な事が起きたとしても、それがチャンスかもしれないです
チャンスは自分の力で見つけて物にするものなので、そこをチャンスだと思えなかったり、そこをチャンスとして行かせるスキルが無いと勝手に無くなってしいます
何が生きるか、何が正解かは分からないので、今ある環境や目の前にいる人を大切にするために感謝したいなと改めて思います
とはいえ、私自身もかつて挨拶もせず失敗したなあという経験も何度もあって、整理してみて見えてくるものが沢山あります
奥が深い!