心と身体とピラティスと運動

倉敷でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターのブログ

彼はあの有名な人と同じ立ち位置だ!と取り巻きの崇拝

自己愛性人格障害者の取り巻きは、自己愛性人格障害者を崇拝している

なぜそんなに崇拝するのかというと、素晴しい自己愛性人格障害者に仕える私も素晴しいと思うため

自己愛性人格障害者が素晴しくないと、自分の価値が落ちてしまうのだ

自己愛性人格障害者が崇められればられるほど取り巻きは、自分の価値が上がっていくと信じている

そりゃあ、価値が上がるなら上げとかなきゃね

「有名な人と知り合いの凄い人なのよ」 「あの人と同じレベルの人なのよ」

自己愛性人格障害者の自慢をする

もちろん、自己愛性人格障害者だって同じ事を言う

どちらもなんて他力的!!

本当に実力がある人は何も言わなくても周りは分かる

そんなに自慢しなくても、本物には何かあると気が付くのに…

皆に自慢しないと、私はここにいるしょうもない人達と一緒になってしまう

私は本当は特別なのに、この雑魚共と同じになってしまう

このままだと、誰よりも価値のない自分しか見えなくなってしまう

そんな恐怖から、逃れようと必死なのだ

他人をバカにし、自分の価値さえ見いだせない取り巻きたちの、劣等感から逃れようとする様は、見ていてもみっともない

それなのに、その取り巻きと取り巻きの周りの取り巻き達は、一致団結してやっぱり私達は他の皆とは違うのねと納得する

それと同時に、周りにいるすべての人をバカにしてほくそ笑んでいる

結局、人をバカにする行為は自分をバカにする

子供の頃に「バカって言った方がバカなんだ」と言っていたその言葉は、気持ちを収めるだけの言葉では無く、本当にそうなんだ!

取り巻き達は自己愛性人格障害者の被害者の仮面を被り、いじめの加害者となる

自己愛性人格障害者と共に生きていく事に心は幸せもメリットも感じているはずなのに、頭では苦しい事ばかりだ

物凄い変な集団を見てやっぱりカルト教団みたい!と思った

自己愛性人格障害は伝染る

自己愛性人格障害者が一人やってくると、その自己愛性人格障害者は周りから敵と味方を抽出します

 

敵とみなされると、攻撃を仕掛けてきますので、やられた方はイライラします

 

その人に自己愛性人格障害的な考えが全く無い人だったらいいのですが、なかなか全く自己愛性人格障害的な考えが無い人なんていません

 

誰でも障害とまでいかなくても、自己愛的な考え方は持っているのですが、それに自己愛性人格障害者の刺激が加わると、燻っていたものが燃えるようにワッと自己愛性人格障害者の様にピリピリとしてきます

 

それはまるで、風邪を引くように人に伝染っていくのです

 

まあまあ気にはなるけど、それほど害は無い位の過保護な親子が自己愛性人格障害者の様に、その自己愛性人格障害者と対立し、周りに味方をつけようと画策し始めます

 

成熟した人ばかりなら、敵だの味方だの言われても無視しますが、そうではない人はその自己愛性人格障害者の餌食になり、あっという間にピリピリした人達が何人もいるグループになってしまう時があります

 

その時に、そのグループのトップが鍵になります

 

人を競わせて上を目指す手法はビジネスでもスポーツでも存在します

 

そのようなやり方を好むトップだと、どうしてもその自己愛性人格障害者達が力や発言力を増してきます

 

ある程度の知識や経験から、そういう手法では無い方法で向上を促すトップであれば、その自己愛性人格障害者達はただピーチクパーチク騒いでいるだけで、近くにいても知らないふりをしておけば面倒な事にはなりません

 

もちろん、そもそも損得で物事を考える人達は、その考えの元に動かされますので、かなり面倒な事に巻き込まれるとは思います

 

日本は自己評価の低い人が多いですから、自己愛性人格障害者が操作しやすい人も、伝染りやすい人もゴロゴロしています

 

気をつけるのは難しいので、まずは自己評価を上げるために人と比べる事をやめてみるといいと思います

 

 

自由の裏には何がある?

何でもやりたい放題

これが自由では無いと思ってます

 

わが家は3人の子育てをしてくる中で、一人っ子を育て、2人兄弟を育て、今は3人兄弟を育てています

一人っ子の時と2人の時は特にやっていた事ですが、なるべく遊ぶ時は母親は子供の一人になります


子供達と一緒に遊ぶ時は、子供達の年齢相応で遊びます 
やりたくない事はやらないし、やられたらやり返します

 

もちろん、面倒なのもあるけれど、親として関わると子供の意見が通り過ぎる気がして気になります

 

子供が一人の時は、親子でゲームをして負けたら泣く子なら、負けてあげてしまいそうです

 

子供2人だと母親を味方に付けたほうが一人をねじ伏せようとします

 

それよりは並列でいる方が、なんだか楽です

なんて思ってます

 

それを理由にしていいかは分かりませんが、うちは0歳から叩かれたら叩き返してました

今でも、蹴られたらまあ軽くですが蹴り返します

 

痛いのは私も嫌だけど、あなたも嫌でしょ!って…

 

まあ、やり過ぎかもしれませんし、周りからは何やってるの?って思われていると思いますが、人間経験した事しか想像出来ないので、想像力は豊かな方がいいって思ってます

 

色々経験して、想像力豊かに、自分のした事への責任を自分で取りつつ、自由を勝ち取って欲しいなと思ってます

 

ただの自由は責任がないです

それは自由では無くわがままです

 

わがままでは、いつまで経っても自立出来ないし、嫌なことは人のせいにして回避して、嘆いて生きていかなきゃいけません

 

自由に動けて自分で責任の取れる子に育って欲しいと思います

 

 

子供のテストを受ける親

子供の受験やテスト、試合や大会など、親はもちろん応援する

そう、応援しか出来ないはず

でも、最近の親は、一緒にテストや受験をして、一緒に大会に出る

もちろん、会場には入れない

テストを受ける事も出来ないし、試合に出るわけでもないのに、気が気ではない親っていませんか?

何日も前からちゃんとやっていない子供にイライラして、当日も子供より緊張して子供よりも精魂を使い果たしたようになる母親が多い

親も頑張っている微笑ましい光景のようですが、私はうんざりです

それって何が起こっているんでしょう?

子供と親が一体になっちゃってません?

そこには子供と親の境界線なんて存在してません

だから、親が自分の思い通りに動かない子供の体と心を乗っ取ろうしています

そりゃあ、子供だって他人です

他人の体ですから、思い通りには動きません

当たり前の事だけど、子供が自分では無い事を親が理解できていません

親子間で境界線がないので、親は子供を自分の一部として動かせるはずだと信じています

だから、自分だったらやるであろう勉強や練習をしない子供にキーッとなるのです

怒るのも分からなくは無いですが、子供が他人だと認識出来てますか?

出来なくて困るのは親ではなくて子供です 練習や勉強をするのは誰のためですか?

そこをまず切り離して、しっかり応援して欲しいなと思います

あんまりヒステリックになってたり、終わってぐったりしている親を見ると、なんだか二人羽織のようで滑稽だなって思ってます

自己愛性人格障害者は、これが日常的です そんな親の子供達は気の毒ですが、連鎖してるので仕方ないです

親の悩みは、尽きないわ!

なんて言っていますが、親の悩みじゃないです なんて自分勝手なんでしょう

自己愛性人格障害者のオーバーアクションにげんなり

自己愛性人格障害者は、お付き合いする人を損得で決める

ちょっと有名な人、力の有りそうな人は大好物

だから、その人やその人の関係者の目に付きそうなところではとにかくオーバーアクション

ちょっと大きな声で、賞賛してみたり、わざわざ近くに行ってみたり…かなりわざとらしい

自己愛性人格障害者が普段から誰にでもやる行動では無い

得になりそうなその人の目に入らなければやる意味の無い行動なのだ

その人が目の前にいる時はキャーキャー言ってたとしても、居なくなったら「ちょっと有名になったからって気取ってない?」位の事は言う

あっという間に悪口に変わることもある

その変わりようが、人の信頼を得られない原因だとも分からない

しかも、得になりそうな目上の人さえも見下す発言で、その人との距離が近い事を今度は周りにいる人達にアピールしようとするのである

相手は全くその人を知らなくても、あだ名をつけ、さも友達のように、バカにする

距離が近い事が何を意味するのか?

それは、まさかの「その目上の素晴しい人と同じ価値のある自分」

そして「その有名な人を見下せるほど上にいる自分」

ここまで、自分が上じゃ無いと劣等感が払拭出来ないなんて、なんてお気の毒

本人の実力がなくても、全然気にしない

周りも、とんだ蛇使いに恐れ慄く時もある

オーバーアクションには意味がある

どんなにわざとらしくても、された相手は好意だから受け取れる

そして、その時受け取りたかったら受け取ってオッケーだ

でも、相手はその見返りを求めている

見返りに応じない場合は、変な噂も立てかねない

見返りを求める気持ちを無視し続けられないのなら、そのわざとらしい賞賛を受け取らないという選択を取る方がいい

まだまだちゃんと言えない私

思った事ははっきり言えるようになりたいと思っていましたが、まだまだ言えません

 

先日、人を乗せて運転しました

朝暗い時間から夜まで、正直かなり疲れた

 

人を乗せるのは気を使うし、時間も長かったので、次回はお金をもらっても嫌かもと思うのですが…

 

一応、後日、高速代、ガソリン代を割り勘で請求しました

 

ちょっとお菓子位のお礼の配慮が欲しかったかもしれません

 

結局、同じところに行くのだから労力は変わらないし金銭的負担は減ったので割り勘で充分なのですが、こちらからお礼を含めて請求するのもどうかと思い、相手の気持ちに忖度してしまった

 

本当は、行く前に「後でちょっとご飯でも奢ってね!」とか言うべきだったかも

 

どうせモヤモヤするんなら言わなきゃだめよね

 

こういうお人好しな所、ガツッと言えるようになりたいかも

 

まだまだ言いたい事の言えない私の乗り越える壁は高い!

 

次回は、断わろ

 

あー、残念な私

手足が別々に動くか?

手と足は別々に動く

 

当たり前だと思うだろう

 

でも、意外と当たり前では無い

 

縄跳びなんかは、手と足は違う動きをする典型で、足はジャンプして手は縄を回す

 

それに対して、走るとか歩くとかは、手は足の動くリズムに合わせて自動的に動く

 

走るのが得意でも、球技が苦手な子は、手足を別々に動かす事の苦手な子が多い

 

手足を別々に動かせる子は、器用だし比較的どんな運動でもこなす

 

手足が一緒でないと動かせない子は、走るのが速くても他の運動が出来ないか、運動全般が苦手な子が多い

 

もちろんそれは手先の器用さや生活や勉強の器用さにも影響してくる

 

なぜなら上手い子の真似を出来るか出来ないかに関係してくるからだ

 

身体の動きの器用さは、運動のパフォーマンスを上げるには必要不可欠

 

何かが上手くなりたいと思った時は、まずは思い通りに体を動かせる様にする事が大切だと私は思う

 

昨日今日は「めざせNo.1」でそんな事をひたすらやった

 

直ぐには結果に繋がらないかもしれないが確実に身体の動きが変わってくるはずだ

 

親子でコーディネーショントレーニング「めざせNo.1」

https://mezase-no123pilates.jimdo.com/