心と身体とピラティスと運動

倉敷でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

派手な事をやる人は苦手

派手な発言や動きをする人っている

 

ちょっと羨ましいと思う反面、信用の置けない人だと位置付ける

 

なぜ、そういう人達が信用の置けない人になってしまうんだろう

 

ちなみに私の中で目立つ人と派手な動きをする人はちょっぴり違う

 

目立つ人には目立とうと思っていない人も含まれるが、派手な動きをする人は周りと比べて派手なイメージだ

 

それがどんなに桁外れな事でも「他の人には出来ない」とか「誰よりも高い」とか「世界でまだ誰もしたことがない」とか、なんとなく比較対象が存在する

 

自分の思いや芯がある上でのとんでもない事ではなく、とにかく人よりも派手な動きをすることに焦点が当てられているような感じ

を派手な動きをする人だなと思う

 

素敵な生活をしている余裕がある人達も「家にこんな施設があるのはうちだけだ!」ってテレビ番組に出てみたりする人は、そこを見せたいし「凄い!」って言ってもらいたい

 

派手に動いて「うわっ」て言ってもらいたいとか「羨ましく思われたい」とか、そんな思いに実は自分の意思はない

 

お風呂がとんでもなく素敵でも、お風呂を研究してこだわり抜いて念願の素敵なお風呂を作った人と、誰もが羨む金箔のお風呂を作ってテレビで紹介してもらうのとは全然違う

 

その派手な動きをする人たちは、芯がないので、キラッと輝く人が現れると、お金や地位に物を言わせてその人よりも上をいく

 

人よりも上を目指して努力して派手な動きをする人達には自分という基準がないのだ

 

もちろん、その発言は時によってかわるし、好き嫌いもその時によって変わる

 

その人との対応での正解もその時の気分によって変わるし、外からは読みにくい

安定した人間関係は築けないし、そもそも何を信頼すべきか分からない

 

だから、苦手と思うのだ

 

あのキラキラが私には素敵に見えない理由が分かったら、やっぱり苦手でいいと思えた

 

周りがチヤホヤしても、私は私の考えで距離を置こうと思う

 

 

子供が増えないと日本は無くなっちゃうよ

このままいったら日本って無くなるよね

 

夫婦で3人の子供を育てたら、ようやく人口が増える

 

夫婦で1人、2人じゃ、人口は減っていく

 

当たり前なのに、なんだか他人事

 

3人子供を産み育てても、増税で負担はどんどん増えていく

 

子供を産まない方が生活が楽なら、そりゃー、無理して子供なんて産まないよね

 

逆に相当得なら、損得勘定で生きている人ばかりな世の中は、絶対子供が増えていく

 

なぜ、この世代を優遇出来ないのだろう?

 

なぜ、負担を強いるんだろう?

 

過去に子育てをした人達も合わせて優遇して、「子供を育ててよかったね」って言える日本にして欲しい

 

子供育てないと、成長するのも難しい

 

成長しない大人が増えて、自分の事だけを考えるつまらない人達が増えていきそう

 

 

緊張するのかしないのか

緊張する人の特徴として、「成功したい!」っていうのがついてくる気がする

 

しかも、見ていると実力以上の力を本番で発揮したいという願いがついてくる人が多い

 

私自身も、長女の特徴だろうか?

期待に応えたいという必要以上のプレッシャーから緊張してしまうことが多い

 

だから、我が子達が緊張しない事を不思議に思う

 

 

そして、周りを見ていて思うのが、緊張の度合いは親子で同じではない

 

親だけが緊張していたり、子供だけが緊張していたり、親子で伝染したり…

 

新しい事にも、ワクワクする子と物怖じしてしまう子

 

どんな子でも、やっぱり親の影響だと思う

 

子供が緊張したり、新しいところにいつまでたっても馴染めなかったりするのを見ると「失敗が怖いのかな?」とか「神経質なのかな」とか「信頼関係が出来ないのかな」と親子関係を詮索してしまう

 

親子の関係や親の声かけが子供達のチャレンジに影響を及ぼすと感じる

 

今は、親子ともに失敗出来ないと思っている人が多い世の中だ

チャレンジして失敗したら恥ずかしいと思っている人が多いし、成功したものしかやらないしやらせない

出来ないかもしれない緊張感なんか出来れば避ける

 

でも、緊張しない本番に強い人っている

 

緊張しない人達は緊張するということがどういうことなのか分からないのかもしれない

 

確かに、本番というピリッとした空気感とプレッシャーを感じて失敗出来ないという緊張感とは違うし、成功しなければ!という緊張感もまた違う

 

緊張をあまりしない人達はピリッとした空気感をいい空気として感じているだけなのかもしれない

 

なんて、何かの度に思う

 

是非このピリッとした空気感の中で丁寧に物事を遂行する場面を作って生きていって欲しい

 

丁寧にやれば出来る事も多い

 

期限を区切れば力を発揮出来る時だってある

 

チャレンジすることで、今まで見れなかった世界も見えてくる

 

頑張る事で自分の背中を支えてくれる自信もついてくる

 

自分がそんな子供時代を送れていない私が子育てをしてみたら、子供達は自分とは違う緊張感を経験しながら大きくなることができている

 

自分がそんな子を育てられるなんて面白い

 

羨ましいと思いながら、なんだか誇らしい

 

チャレンジすることを楽しく思えて、失敗しても経験に出来て、プレッシャーをコントロール出来る安定感を持ちながら、緊張感がある時間を大切に経験を積み重ねていけたなら、きっと面白い人間になるだろうと思う

 

自分の成長も子供の成長も緊張も失敗も楽しもう!

 

 

人間だけが不公平??

人は「不公平だ!」って事に敏感だ

 

兄弟がいれば、必ず不公平は喧嘩になる

 

平等にお菓子を分けて、平等に親の愛情を受けたい

 

誰か1人に片寄ってお金を使われたら、そんなの許さないとなる

 

当然だと思ったけど、たぶんこれって人にしか認識出来ないことなんじゃないかな

 

 

猫と犬を飼っていても、その猫と犬は飼い主の愛情が平等かなんて思うことは無い

 

嫉妬するなら、全ての愛情が欲しい

 

全部か、無しか、特別か、無しか…

 

 

人間が、例えばお兄ちゃんがお母さんの愛情を半分に分けたいと思ったり、お菓子を平等に分け与える作業って実は随分高度な頭の使い方なのかな??と

 

鳥が隣の鳥と同じ量の餌を食べようと考えることなんて無いもの

 

人だけに与えられたこと

 

 

自己愛性人格障害者は、全ての利益を享受したい

 

それが、特別な自分にとっては当然の権利だと思っている

 

平等を高々と掲げながら、その中に自分は入ってはいない

 

家来達には平等を当然としながら、人も自分も平等に扱うことは無い

 

そう、随分高度な頭の使い方をすることはない

 

そんな社会性は小さい頃にどこかに置いてきてしまって、成長することは無い

 

ほんと中身が成長しないのに口だけ達者な厄介な人達

他人を食い物にして生きていく自己愛性人格障害者と共存するのは難しい

自己愛性人格障害者が近くにいると、その人はもちろん周りの人をバカにしたり見下したりしながら自分を保って生活しているけれど、それで気持ちを削がれた人達もまた周りの人をバカにしたり見下して削がれた気持ちを補おうとする

 

食物連鎖みたいな状態で、強い物が弱い物に食い物にされることになる

 

当然、自己愛性人格障害者の周りは気持ちを削ぐ人と削がれる人が混在していて、被害者が加害者になり、また加害者が被害者になる

 

私の周りにも自己愛性人格障害者が沢山いる

 

影響されて狂う人も何人もいる

 

もちろん火の粉はバンバン飛んでくる

 

被害者になったときに、そこから加害者にならない為にどうしようかを考えた時に、自分であれば同じ土俵には立たない

 

もちろん、悪口を言われたり見下されたら頭にくるけれど、ここまでしないと満たされない気持ちを哀れむ

 

ただ、子供達はそうはいかない

 

悪口を言われれば落ち込むし、自己評価は下がる

 

そんな時は大抵子供達は家族に当たりまくる

 

これがなかなか厄介だけど、仕方ないのかも

 

正直、当たられる家族は被害者だし面倒だけど、外に発散して被害者を作るよりは数倍ましだと受け止める

 

ただ「悪口を言われたのが嫌だった!」と素直に言ってくれるならまだ対応のしようがあるのだが、そんなに簡単にはいかない

 

下らない事で突っ掛かってきて被害妄想の挙げ句、自分以外の否を認めさせる

 

被害者は加害者になるからそれは我が家に持ってきても変わらない

 

ただ、受け止め方がここで変わる

 

面倒な奴だ!

どうせまた当たっているだけだ!

 

と放っておいて終了

 

誰も近づかないだけ

 

結局、我が子は少し経つと落ち着く

 

そんなのの繰り返し

 

自己愛性人格障害がごろごろいるところにいれば、ストレス無くやり過ごすのは難しい

 

自分の事でも、さらりと流す事には力がいるのに、子供が受けてくる攻撃をも流すのは大変だ

 

自分が攻撃を受けない様に変わっていく事は出来ても、子供を同じように変えることは難しい

 

我が子達も日々成長しているけれど、日々の攻撃が凄くて余裕が無くなる

 

きっと我が家の中で吸収する日々がまだまだ続くだろうな…

 

同じ土俵にたたなくても消耗するわ

 

ほんと、自己愛性人格障害者って迷惑だな

 

なんたって、トラブルがあって生きている事を認識する人達なのだから、平和は死んだも同然

 

影響を小さくすることは出来ても、平和に暮らすのは難しい…

ダメな相手を好きになる人

もうどうしようも無い人を好きになる人っている

 

私自身も私の周りでもそういう経験はある人がいる

 

変なのを拾ってきちゃう様な時

 

そんなときは、おもいっきり自己評価が低いとき

 

めっちゃ頑張ってても、なんだか認められた感じがしない時

 

そんなときは「私が僕がこの人を見てあげないとダメかも」って思って自分の存在価値を見いだす

 

「この人には私が僕が必要」と言って、自分の存在意義を考える

 

誰かにとって必要な自分でいたい

 

そうじゃないと生きている価値が見出だせない

 

子供のために毎日悪戦苦闘している同級生を横目に、キャリアはあってお金もある女性がヒモみたいな男性と同棲しているなんて事はある

 

精神的に不安定な女性と献身的に一緒にいる男性とかも多い

 

それって依存

 

子供を過保護に育てている母親と一緒で、「その人が自分無しでは生きられないでしょ」と思い込んで、「そんな自分は優しくて立派で偉い」と位置付ける

 

ダメ人間を飼っている飼い主だから、ダメ人間が出来る人間になったら、自分の存在価値はなくなっちゃう

 

だから、相手の成長も自立も望まない

 

お互いにとってとっても居心地がいい

 

子供もペットもダメ人間も皆一緒

 

相手に優しくしてる自分が素敵

 

養ってやってる自分が偉い

 

上手く動いてくれなきゃ、脅す、叩く、殴る、蹴る

 

だってペットだもの

 

都合に合わせて溺愛する

 

だって育っちゃ困るもの

 

自己評価の低い日本で過保護もDVも虐待も増えている世の中で、そんな男女も親子も増えているかもしれない

 

それでも子供は産まれてくる

 

男女の依存が、親子に代わる

 

親子の依存が祖父母と孫に代わる

 

自立出来ない自己愛性人格障害が増えていく

 

これ、何なのかな?

 

ダメ人間と自己愛性人格障害者を増やして2人で1人と数える作戦かな?

 

生きている価値が無いと思わせて自殺に追い込む作戦かな?

 

動物行動学上、一種類の生物が増えすぎると共食いしたり殺し合いをして自分達て丁度いい数にしていくはず

 

きっと、人間も増えすぎて、イライラして命を粗末に扱ったり、1人じゃ生きられない人が増えたりしていくのかもしれない

 

なんて、ダメ人間から動物行動学って、話が飛びすぎたかな

義務教育のあり方ってなんだ?って独り言

日本の義務教育制度は素晴らしい??

 

不登校やいじめを考えるとこの制度に関する違和感を感じている

 

画一化したこのやり方が本当に必要なのかなと思う

 

ところで、小学校や中学校の意味ってなんだろう?って私なりに考えました

 

小学校…

 

※勉強を教えてくれる

 

文字や足し算引き算が誰でも習えるなんて素晴らしいかも(皆に教育が出来るのは素敵)

 

※給食が食べられる

 

1日一食でもちゃんとしたご飯が食べられるなんて幸せ(だったら給食費は取るべきではないよね)

 

※虐待やネグレクトから子供を守る

 

外に出ないと虐待とかに外部から手を差しのべられる時はなかなか無いので、学校で気づく事はチャンスかな(これが目的なら小学生じゃなくて産まれてすぐから義務教育にしてもいいのかも)戸籍のチェックとがも出来るのかな?

 

まあ考えたらこんなところかな

 

どれも素敵だから残して置きたい気もするけれど、なんとなく中学校までも必要無い気がする

 

そもそも小学校も中学校も高校も大学も、お金を取らないで教育させてくれる制度はあった方がいいと思うんです

 

でも、年齢の制限はそんなにいらなくない?

 

いつでもいいから各学年1回はただにすればいいんじゃないのかな?

 

行きたくない子は行かなくていいし、行きたい人はおじいちゃんおばあちゃんでも教育が受けられる

 

ただし、進級出来ない場合は自腹でいい気がします

 

レベルの合わない学校を選べば進級出来ないなら、色々な特色の学校が出来て来るだろうし、色々な年齢の人がいれば、小さな差を人と比べて競う意味もない気がします

 

小学校まではまあ今のままでもいいけれど、中学、高校、大学ほ行きたい人だけでいいんじゃないかな

 

行かなくていいなら不登校の子の為に要らぬ税金を使わなくてもいいのに…とか思う

 

飛び級だってすればいいし、中学生で働く子が居てもいいかもしれないし、家がしんどい子が親を離れて駆け込む様な学校が出来てもいいのかも

 

義務教育と一緒にどんな親でも子供を支配下に置くような、保護者っていう制度が長く続く事への不快感が半端なくある

 

やり直しがきかない感じの制度への苛立ちもある

 

中学校は要らないと思ってたけど、やっぱり行きたくなった!っていう人がもっと当たり前にごろごろいれば、偏見も減らないかな?

 

中学、高校、大学と10年で卒業出来る様な学校を探せばお金もかからないし、お金がある人は何年でも通えるなら、今のニートみたいな人達はずっと学生だっていいかもしれない

 

なんなら子育て中とか闘病中とか理由がなければ、学生か社会人かどっちかに所属しなきゃいけないとかにすればいいかも

 

学生って肩書きはずっとなくならないから親だって子供だってお金さえ払えば恥ずかしくないかも

 

働かない人から税金が取れないなら、そういうところからお金をとればいいのかも

 

消費税上げたってこの国の税金は賄えないだろうだろうから

 

まっ、適当の事ばかり言っていてもたぶん問題だらけだろうから、ちゃんと発言するには勉強しないといけないのかもしれないけれど、画一性の温床の様な日本の義務教育は嫌だな~

 

なんとか不登校やいじめを減らすための多様性を目指したい!なんて思います

 

結局考えてみたけど、何がベストかよく分からない

 

バカな独り言になっちゃいました