心と身体とピラティスと運動

倉敷でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の子の意地悪

自己愛性人格障害者の子供達は意地悪

もちろん、親がやるから子供もやるんだけど、ちゃんと親譲り

小学生だろうが幼稚園児だろうが、もうDNAに刷り込まれてるんじゃないか?と思うくらい

新しくグループに入った人で自分の立場を脅かしそうな人やキャラが被りそうな人は、速仲間はずれ

学校の先生や大人や親の前でとってもいい子を演じ、可愛がってもらってる人との関係を特権として見せびらかす

先生と仲良しだから、多少悪い事をしても許される私!

あなたには、こんな事出来ないでしょ!

ってな感じ

親もやります

偉い人や有名な人と仲良しな私と子供達!

「なんか、仲良くしてくれるのよ〜他の子よりうちの子や私に良くしてくれるのよ〜こんな事もしてもらっちゃってありがたいわ〜」なんて自慢する

これは、相手に対して「あなたはそんなふうに思われていないのね、可哀想に」って言うのが隠されてます

子供の場合も「あんたはクズだと思われてるけど、私はそうじゃないのよ」っていうのを常に後ろに隠しながら、他人をいじめます


そんな裏の事をいちいち感じなきゃいいじゃん

なんて周りの人は言うけれど、これを毎回やられると、どんなに鈍感な人でも気がつくんだと思います


気が付かない人には、気がつくように嘘をついたり、大人にチクって怒ってもらったりしちゃいます

悪い事を一緒にして、気に食わない子だけを先生や親に「こんなことやってました」って告げ口します

親や先生はすぐに怒りますよね

大体、あの子もやっていた!なんてその場で言える子は少ないです

モヤモヤした状態で怒られる事になるんです

下手したら、一緒にやったんじゃなくて、見ていただけの場合も多いです

そういう時も「なんで注意が出来ないの!」って怒ってもらうのを狙って、やったのは小さい子怒られるのは大きい子を標的にします

これ、未就学児でもやります

小学生の女の子がクラスの気に食わない男の子を一人ずつ吊るしあげてたなんて話もよく聞きます


私の言う事を聞かないと酷い目に合うわよ!って感じは、大人の自己愛性人格障害者と同じです


どんどんと権力を持ち、他人を奴隷のように操作していくのです

自己愛性人格障害者には食うか食われるかしかないのですから、食われる方になる訳にはいかないのです

もちろん、友達ではなく家来な訳で、他人をバカにして、目上の人も使える人としての認識しかないのです

それに使われる大人もどうかと思いますが、今はそんな先生も増えているのが現状です

先生が自己愛性人格障害的な考え方だと、見た目のキチンとした、悪い事をした人をそっと吊るし上げる様な子は、言う事を、良く聞く自分の家来の様な存在だと思っています

大事に可愛がるのかもしれないです



親がちゃんと自分の子を信じてあげられるか?

これは、子供のいう事をそのまま聞いてあげられるか?という事とは全く違って、悪い事をしても悪い事をした理由があるよねって分かってあげられるか?ってところだと思っています

寂しかったからやってしまったのか?断れなくてやってしまったのか?楽しくてやってしまったのか?

悪い事をやるのも理由があると思います


悪い事をする子は受け入れないのではなく、悪い事をしても次にやらなきゃいいよと言ってあげられるか?

寂しくてやっているなら、何度もお付き合いしてあげられるか?

楽しくてやっているのなら、他の楽しみを与えられるか?

断れなくてやっているなら、断る力がつくように勇気付けられるか?

こんなところだと思うんです。


これを、自己愛性人格障害的な人は一切やりません

悪い事は、怒られて当然

理由がどうであれ受け入れる事なんてありません

寂しくても楽しくても、理由なんて聞いてはくれないので、何も解決せずに毎回怒られて、子供達も怖いからやらなくなるだけなのです


信頼関係は皆無なのに、「私や俺の言う事は本当によく聞くんだ」と自分の力を自負します


自分のやり方が間違えているなんて思っていないため、対応を変えることもありません

言う事を聞かなければ、どんどんと怒りをエスカレートさせるだけなのです

そんな親達に育てられた意地悪な子供達

周囲に嫌われているのに、周りに取り巻きがいるので、慕われていると思い帝国を作り上げていくのです

ね、子供も大人も一緒


子育てって忍耐力が入ります

でも、意地悪の子の親がこれに気がつくことは無く、根本的に意地悪じゃなくなる事はなかなか無いかもしれないです

物作りへのこだわり

最近、物作りに時間を費やして毎日睡眠時間を削っております

 

これが納得行かなくて、どうやらやり直しになりそうな予感

 

一体私はどこまでこだわるんだか…

 

何かを作るときは凄く楽しいです

自分の世界に入って考えるのが大好きです

 

毎回お金を取れそうな作品が出来上がるのですが、実際お金をとってやるとなったら自分の好きなものは作れなそうなので嫌なんです

 

採算とかを考えてもまあ出来ません

 

なんでしょう?

商売って、好きな事でやるのは難しいなとつくづく感じます

 

自己満足は、他人に押し付けられないなって思っちゃいますし、勝手にこだわって原価が高くなったら売価で負担をお客様に押し付けるなんて事は出来ないです

 

こだわりたいので、このまま趣味でいきましょう!って結論でした

器用も不器用も素敵

器用な人は、すっごく繊細で色々な事に気が付く人

細かいところが抑えられるから、器用なんだ


不器用な人は、おおらかな人

色々な物事をゆったり構えて受け入れられる


でも、どちらも使い方を間違えるとどうにもならない

器用な人は、情報量が人一倍多いから、キャパオーバーになればパンクする

まあ、要するにパニックだ

不器用な人は、感じる事が少ないから自堕落な生活に陥りがちかも


じゃあ、どう使う?

器用な人は、誰よりも情報整理をして、自分のキャパを確認しておかないといけないのかも


不器用な人は、少ない情報を受け入れて誰よりもチャレンジしないといけないのかも

器用でも、整理されてないとただの器用貧乏になっちゃうし、不器用でもチャレンジして努力しないと何も物にならない

結局、どっちがいいの?とかじゃなくて、自分の良いところを自分で知って、最大限に活かす事が大切なのかもしれないです

器用でも不器用でも素敵です

どんな人でも輝き続けるには、自分を知って自分の体や頭を上手に使っていかないといけないなって思います

なんとなくですが、自分も含めて近くにいる人のいい面を最大限に引き出しながら歩んでいければいいなあと思います

器用な人が羨ましくても器用な人の悩みは尽きないのです

器用な人が努力すれば敵無しのように見えますが、現実世界は敵だらけ

繊細な心は扱い辛いのです


誰かが羨ましいなら、そもそも自分の体は使いこなせているんだろうか?ってところをもう一度確認してみた方がいいんじゃないかと思ってしまいます

羨ましく見える素敵な人は、多分自分を知って身体全てを使いこなしている人達なんだと思います

生命力って何だ?(三浦春馬さんが亡くなった事で考えた)

三浦春馬さんが自殺

 

カッコよかったなあ

 

テレビをあまり見ない我が家でも何となく気になる存在

 

なんの時だろうか?

ちょっぴり調べた事があった

 

結婚とかパパになるとかが全く想像出来ない感じの印象

 

動物である人間として生きている感じがしない人だった

 

役者って、完璧を求めれば求めるほど自分を大切にしているかが問われる職業のような…

 

自分がどこにいるのかをきちんと確認しておかないと、消えて無くなりそうな職業かなって思います

 

思いが強くて真剣なほど、自分をキープする力が必要なイメージ

 

でも、彼には自分を保っている印象がない

 

それくらい何でも出来て器用で完璧を求める人なのかもしれないが、なんか、かっこ悪い自分が封印されちゃってるんじゃないかってイメージ

 

人間って結構泥臭い

 

良いところも悪いところもあるのが当然だから、自分の醜い面を封印しないで、認めてあげないと、しんどいんだと思います

 

多分、彼を見た時に私にはそれが感じられなかった

 

もう、色々な自分の中に自分を見つけられないのかもしれない

 

何が原因かなんて分からないし、どうでもいいとは思ったけれど、あの時私の中で引っかかった物があったのは確か

 

ところで私が感じる生命力って、何だろう?って

 

何があっても生き残れそうな力?とかいう単純なものじゃなくて、何を見ても拒絶しないで冷静に受け止められる力みたいな物かもしれないです

 

結局、自立でしょうか?

 

人気商売の芸能人にはなかなか難しいのかもしれません

 

空想を現実世界に具現化するのが役者だとしたら、映像の中でしか生き続けられない彼の存在はちょっぴり寂しく残念です

なんで女性は同性には厳しいのかな?

先日、朝の番組でをぼーっと見てると、なんだか東京都知事の小池さんにとっても厳しいコメンテーターがいました

 

ええ〜、小池さんとっても頑張っていると思うけど…日本は東京じゃないし、責任を東京に押し付けても仕方無くない?(安部さんよりはやっていそう…)なんて思っていた私

 

その人のコメントはただただ「同性に厳しくない?」って感じのもの

 

そして、何となく男性社会を我武者羅に突っ走って、男性と対等に生きてきたっぽい人にそのコメンテーターが見えた

 

強い?いや強がりって感じの

 

なんだろう?

 

全く共感出来ない

 

私が頑張ったのだから、あなたもできるでしょ!みたいな

 

私が出来たんだから、血のにじむような努力と男性からの批判は当然でしょ!みたいな

 

自分のやり方しか認めなそうな変に強い感じ

 

プライベートも意地で完璧をめざすか諦めるかの選択をしたような、劣等感が凄い

 

一体何なんだろう?この違和感の正体は…

 

そもそも、女性の方が同性には厳しいらしい

 

そして、どうやら強い男性社会でのみ女性は同性に極端に厳しいらしい

 

そしてそして、男性は同性に協力をする傾向が強く、女性は異性に協力する傾向が強いのだとか

 

なんと、女性は同性からも異性からも協力を得にくいのだそう

 

これを考えると、なんだか小池都知事の現状が納得行くなあ〜なんて思いました

 

国会議員からブツブツ言われて嫌われて、女性のコメンテーターからも厳しいコメント

 

やっぱり政治って男性社会なんだなあと改めて思う

 

だから女性が政治に向いてない訳じゃなく、そもそもの男性社会を変えないといけないらしい

 

男性社会で男性がトップだと女性も男性も女性に厳しいギクシャクした構造になるって事

 

逆に女性がトップになると差別区別が無い雇用が実現するのだと

 

そういえば、頭がいいなと感じる女性は簡単に障害者や年齢や性別の枠を取っ払う

 

男性はなんだろう?

どこかに五体満足な男性じゃないと戦力にならないだろう!って雰囲気がある

 

多分、そもそもの役割や考え方の違いかな

 

もしかしたら、女性がしっかり社会進出していくと勝手に枠が外されて多様性が認められる社会に変化していくのかもしれない

 

だったら、今はまだまだ発展途上

 

漠然と安倍さんもトランプさんもそんなところがとっても似ているのかもなあ〜

 

なんて、思ってみました

 

女性が同性に厳しく当たる瞬間って、多様性のある社会がとっても遠くに見える瞬間かも

 

嫌だなあ〜

自己愛性人格障害者の100と0と自分

自己愛性人格障害者は白黒つけたがる

 

何でも100%か0%

 

なんだかそれがカッコよく見えちゃうときもあって、良くないかも

 

人間は、多分曖昧な物が苦手

 

明快な答えが出ている事に安心するんだと思うんです

 

でも、実際100%の事なんてほとんどなくて、特に人間関係に置いては曖昧

 

曖昧な物に不安になる人達に、「私は100%正義よ」なーんて人が現れると、それは素敵だ!って飛びつく人が沢山いるんだと思います

 

実際はどうなんでしょう?

100%良いなんて、嘘っぱち

 

そして、相手が100%悪いも、嘘っぱち

そんな事はある訳ない

 

だから、「絶対に私は悪くない」なんて言葉があちこちに出てくる人は自己愛性人格障害者っぽいなと思う

 

近くにいるといつか「あなたが100%悪い」って言葉が突然浴びせられて、加害者になるだろう事が想像出来ちゃう

 

100%の正義の裏に100%の正義を振りかざされる怖さがあるって分かると、カッコよく見える人が怖く感じられちゃうかも

 

言い切る強さや明快な喋りは素敵だけど、その裏に決めつけない優しさと100%にならない曖昧さがあればいいなと思う

 

100%が信用出来ないなんて、なんだか面白い

 

曖昧で不安な事こそが安心だなんて、なんて微妙なバランスなんだ!って思う

 

人間はバランスを上手く取りながら生きていかないと、苦しいのかもしれない

 

バランスは自分の中でのみの事

 

他人の評価も他人の意見も関係有りそうで無いのかも

 

色々な出来事があっても、自分の中のバランスを見つめて生きていけば、結構楽に生きていけそうかも

 

 

 

動きたくない人達が動かなくてもいい社会

皆、本当は動きたいのかな?

 

もし、経済的に余裕があったら今は動きたくない人って沢山いるんだと思います

 

事業者も会社員もバイトもパートも学生も全ての人達の中で動きたくない人達が動かないでいいのなら、そんなにピリピリしないのかもしれません

 

今は、動きたくないのに動かなければ生活が維持出来ない人達と、ただただ動きたい人達が一緒にいるから、こんなにギクシャクしているのかな?と思います

 

例えば、めっちゃ稼ぎたいパチンコ屋と、依存症に近いパチンコをする人達が動いたとしても、どうでもいいと思いません?

 

コロナにかかろうが死のうが知ったこっちゃないんです

 

ただ、この人達が病院にかかった時は迷惑です

 

家に帰って家族にうつしても迷惑です

 

人は一人で生きている訳ではないので、自己完結出来る事は少ないので「勝手にしたら」とは言えない現状

 

でも、例えば開きたくない宿をお金のために開かなければいけない人達は、動きたい人達を出迎えなければいけない訳で、距離を取りたいのに取れない環境はストレスだなあと感じます

 

自己愛性人格障害者に近づかなければいいじゃん!って分からない人は言うけれど、毎日近くにいなきゃいけない人達と同じ様な感じなのかなと思います

 

これは凄いストレス

 

おまけにこれは経済的な活動です

 

経済は一度縮小してしまうともとに戻るのは大変です

 

潰れた宿をもう一度同じ場所で同じ人が同じ様に立ち上げるのは不可能に近い

 

だから、この動きたくない人達が、動かなくても生き延びられる様な支援が必要なんだと思います

 

コロナ渦で得したい人や稼ぎたい人は、リスクを承知で動きたい人を迎え入れればいいんだと思います

 

動くのを渋っている人達を動かす必要なんてないので、GO TOキャンペーンなんて、随分とんちんかんだなって思います

 

距離を取りたい人が距離を取れると、ストレスはだいぶ緩和されます

 

そんな、ストレス縮小型の社会になるといいなと思います

 

そのために、一人でも距離を取る選択が出来る自立は不可欠

 

今の日本人にはとっても難しい課題がそこにあるのかもしれないです