心と身体とピラティスと運動

倉敷でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターのブログ

SNSで拡散させるみっともない行動の正体

後から考えたら「みっともない行動」って皆ある

 

若い頃カッコいいと思ってやっていたことでも、目も当てられない位残念な事ってある

 

でも、昔は全世界に向けて流す事も、一生映像として残ってしまう事もなかった

 

それより何より「いいね」なーんて思ってくれる人がいなかった

 

そもそも、問題行動をSNSにアップさせてしまう人は、その行動がいいか悪いかの判断をしていない

 

そこには「皆に承認してもらえるかどうか?」というシンプルな価値観しか持ち合わせていないのだ

 

だから、「これが悪い事だと気が付かないのか?」とか「想像力が働かないのか?」とか「人に迷惑がかかる事を気が付かないのか?」なんて議論はナンセンスだ

 

人の評価のみを判断基準としている人は、自分の考えが持てるほど自立していない

 

周りがいいといえばいいし、周りが悪いといえば悪い

 

本当にただそれだけしかないのだ

 

なぜ、そんな子供達が育つのか?

 

 

それは、親が子供を支配した結果だ

 

親の評価が正しくて、親がいい子と言ってくれるいい子を目指して子供達が成長しているからだ

 

親のいい子を目指してしまうと、自分がどういう大人になりたいか?なんて自分の意思を持つと面倒だ

 

親の意向に添わない意思が自分の中にあると、親のいい子を目指している子供達には邪魔でしょうがない

 

だから、自分の意思や自分で考える事をやめてしまうのだ

 

それが自分の判断でいいか悪いか?どうなるか?なんて考える思考回路が存在していない

 

自己愛性人格障害者が人を支配して動かす手法として使われるこの方法が、教育や子育ての中に組み込まれてしまった結果、何にも考えられない自立出来ない人が育ち、その自立していない人達が子供を育てる

 

結果、考えることが出来ない思考回路が退化した人達が、自分では出来ない自己評価の部分を他人に預けて他者評価してもらおうとして必死にSNSに自分の動画や写真をアップする事になった

 

考える事が出来ない人達なのだから、当然のごとく考えの足りない動画や写真や言葉になっただけ

 

厳罰化も必要かもしれないが、根本的な所で何とかしなくちゃいけないんじゃないか?

 

もっともっと日本は危機的状況じゃない?

 

いいか悪いかも考えられない人だよ!

 

自分の考えが無い人が子育てしちゃうんだよ

 

そんな人が学校の先生になるんだよ

 

学校に預けたら何とかなるなんて思ったら大間違い

 

自分が出来ないのに他人に丸投げしたってやってもらえるわけ無いじゃない

 

もっと皆が自立出来る社会を作らなきゃ、少子化の前に日本人って使い物にならなくなりそう

 

ほんと、いつか「AIの方が変な事しないから、うちは子供を産むのはやめてAIでも育てるか」なんて世の中になっちゃうよ〜

 

「嫌だったら電源切ればいっか」とかね…

子育ては楽しいか??

市のアンケートが来た

 

「子育ては楽しいか?」

 

私は…楽しくはない

 

大変だ!幸せを感じる事や得るものは沢山あるけれど、大変だ

 

趣味でもないし、楽しく子育てしてる人なんているのか??

 

なんて疑問

 

その後も「笑顔か?」「近くに相談する人はいるか?」「子育てを手伝ってくれる人はいるか?」「親は近くに住んでいるか?」「近くの相談機関には行ったことがあるか?」「配偶者は協力的か?」なんてアンケート

 

全部NO

 

まるで虐待をしてしまいそうな親のアンケートが出来上がってしまった

 

いったいどうしたいんだろう?

 

なんか、理想はこうであって欲しいってアンケートなんじゃないかと思えてならない

 

まっ、被害妄想かな??

 

子育てなんて皆大変だと思う

 

まあ、全部お婆ちゃんとおじいちゃんがやってくれているところもあるかもしれないけど、それはそれなり

 

人間の厚みが、色々やれば違うだけ

 

これも皆、自分の為

 

それでいいと思う

「学校に行かない」の中身は?

子供が「学校に行きたくない!」と言う時がある

 

3人育てると、これにも慣れてきた

 

5人育てても、そんな子一人もいないよってお家もあるかもしれないが、一人目で不登校とかがあると、確実に二人目もその次もそんな時がある

 

選択肢があるからだ

 

素直に学校に行くのが当然と思って行くお家には、不登校の選択肢がない

 

不登校にならない理由には家より学校の方がいい場合もあるし給食が大好きな場合もあるだろう

 

別に何でも良いと思う

 

家族以外のコミュニティーに出てみることが大切なんだから

 

では「学校に行きたくない」の中身はなんでしょう?

 

いじめられるから行きたくないのか?

 

行きたいけど、嫌な子がいるのか?

 

怒られるのが嫌だからか?

 

勉強が出来ない自分を見たくないのか?

 

運動が出来ない自分が見たくないのか?

 

なんとなく動く気がしないのか?

 

寝てたいのか?

 

先生が嫌なのか?

 

親が行ってほしいと思ってる気がするけど、自分は上記の理由で行きたくないのか?

 

自分が行ったほうがいいと思うけど、上記の理由で行きたくないのか?

 

ただ、親を困らせたいから言ってみただけなのか?

 

なんだか上手くスケジュールが組めなそうだから全部諦めちゃえって逃げてるだけなのか?

 

うちの場合は、こんなバリエーションかな

 

 

いじめられるからとか先生が嫌な場合は、それを学校に言って別室登校って手がある

 

親を困らせたいとか全部逃げたいとか出来ない場合は、自分が何とかしないと何も変わらない

 

たいてい高学年以降だと思うし、自分に目を向ける思考にならないと解決が難しいから、自立するための準備かもしれない

 

「出来ない」に目を向けてやる気を出すには、他人に甘えてては始まらないと、気が付くのは結構時間がかかる

 

親にも覚悟が必要だ

 

ここが無いとしっかり自立出来ないかもしれないから、仕方ない

 

小学校高学年から不登校なら、中学生も覚悟かな

 

早ければ高校生になる時か高校途中位で気がつけるかもしれない

 

高校生から不登校だと、親も向き合ってお手伝いして高校生のうちに自分の中で落とし込めるかもしれない

 

大学以降に自分で暮らしてみて自立する子は、もう親のお手伝いは要らないかもしれない

 

でも、早目に自立する子は親のお手伝いが必要なのかなと思う

 

それだけ、親子の中に信頼関係があるということなのかもしれない

 

ちなみに、そこで親がお手伝いしなかったり、親が自立した考え方に移行出来ないと、ずっと甘えたニートになったり、グレちゃったりするんだと思う

 

グレちゃうのも、親を困らせるっていう甘えだから、ニートと中身は変わらない

 

でも、外に気持ちを出せる子は、上手く行けばその後に自立する

 

まっ、そんなところかもしれない

 

不登校を自分でもし選んだなら、自分でその人生を背負う事は覚悟しよう

 

学校にいかないで人とのコミュニケーションを取れない時間も全て自分が背負う事

 

転校とか別室とかフリースクールとかの手段を提示してあげるのは親の役目かもしれないけれど、親がやってくれなかったら今はネットがあるから、中学生にもなれば調べられる

 

 

いつか、自分でどこかに出ていかないといけないかもしれないとか、早く社会に出てみないといけないとかも思うかもしれない

 

もしそう思ったら、バイトや仕事が出来る高校を選ぶとか、専門学校に行くとか、夢を早く探すとか、その時間を普通の高校生とは違う時間の過ごし方をすればいいと思う

 

早く自立する事が決まると、学生時代を楽しみたいと思えるかもしれない

給食だって食べれないなら食べておきたいと思うかもしれない

 

結局、自分のその時間は自分のための時間だ

 

もしあなたが子供なら、自分がいいと思った道があるなら理論をもって親を納得させてみればいいと思う

 

だめなら、他の大人に聞いてみるといい

 

大人は社会を生きている

 

あなたの理論では、立ち行かない事があっても、思いがあれば、助けてくれる人が沢山いる

 

甘えている人には助けてくれる人は現れない

 

 

親以外の味方がいないのは、自立していないから

 

子供が立ち上がれないのは、自立していないから

 

自立出来ない年齢なら仕方ないけど、中学校を卒業したなら考えないといけないかなと思う

 

学校に行きたくないの中身は何?

 

社会に出たくないの中身は何?

 

時間やお金に余裕が無いと、そんな事考えられませんから、そんな事を考えられるのは幸せかもしれません

不登校から羽ばたくには?

不登校の選択

 

不登校は少なくとも自分で選択している

 

学校に行かないという選択をした事を忘れないで欲しいと私は思う

 

学校から逃げたのではなく、不登校で家にいる選択をしたのだ

 

家にいる選択をしたなら、家にいる時間を充実させないといけない

 

その時間をゴロゴロして過ごす事は、学校から逃げているだけだと思う

 

その時間をどう使うか?

皆が学校に行く時間をどう自分の為に使うか?小学生だろうが中学生だろうが考えた方がいい

 

じゃないと、不登校を選んだ意味はない

 

義務教育という制度がある限り、ゴロゴロしていても卒業出来る

 

不登校を選ぶのではなく学校から逃げてしまう1つの原因ではないかと思う

 

 

ちなみに、高校生になると義務教育では無くなる

 

学校に通信という選択肢が増える

 

でも、通信の中で、サポート校のある3年で卒業資格だけ取れる学校は、義務教育と変わらない

 

在席して最低限の回数行けば、卒業出来るのだ

 

家でゴロゴロしていても親が許せば構わない

 

結局、他の人が勉強や人間関係を試行錯誤している時間をゴロゴロと何もせず甘えて過ごしている事に変わりはない

 

この生活を許すなら、この先をニートとして過ごす事も想像して許さなければいけないのかもしれない

 

逃げる選択をするなら、義務教育での不登校も通信も変わらない

 

 

ここから羽ばたく為に、前を向いて不登校を選んだ意味を自分で探そう

 

学校に通わない選択をした事で得た事の価値を自分で実感出来る生活にしよう!

 

その先に、未来の自立がある事を知ろう!

 

受験と向き合って色々な選択肢を見てみると、そんな事に気が付いた

 

不登校の選択、通信の選択、なんの為にしましたか?

 

それで得るものはありますか?

時間を大切に使えてますか?

 

今がどんな状況でも、高校や大学に通う事は出来るし、働く事も、なりたい職業につくことも出来ると思います

 

同じ事をするのに、通る道は人それぞれだから、どんな道を通っても構わないと思うんです

 

人の通った事のない道は、ちょっぴり大変かもしれないし、ちょっぴり刺激的かもしれない

 

風当たりもちょっぴり強いかもしれない

 

でも、自分がその時間を無駄じゃなかったと誇れれば、なりたい職業まで、なりたい自分まで突っ走れるかもしれないんです

 

それが、不登校や通信に通う意味なのかなと思う

 

風当たりにも負けない心や強い思いに気が付きながら、未来を描いている人なんて、実はそんなにいないんじゃないかと思う

 

でも、きっとその思いに気がつけたら、不登校や通信に通った意味がある!

 

ちょっぴり立ち止まった意味があるのかもしれないなって思う

 

選択肢が増えてきた今だからこそ、できる事をして欲しい

 

応援したいし羨ましいぞ!

悩め、子供達

物を擬人化する文化って

日本って、アニメの文化が海外に比べて発達している

 

これって、擬人化の文化じゃないかって思う

 

何でも目と口をつけて可愛く動かすこの文化がアニメを生み出すんじゃないか??

 

物を擬人化する事で物の気持ちとか思いとかを好きに考える事が出来る

 

素敵な事なのかもしれない

 

 

我が子を育てる時に、ちょっぴり試してみた事がある

なるべく物を擬人化しないで物は物として扱っていた

 

でも、ある時突然「物が泣いている」「物が喜んでいる」と言った

言葉もおぼつかない小さい頃

 

まあ、保育園とかに行っていたり絵本を読むからそんな事はあるのかもしれないけれど、小さい頃から物を擬人化出来るのだなと思う

 

おまけに、子供には生きているという概念がない

擬人化は全ての物で行われる

 

これって、大切なんじゃないかって思う

 

物を擬人化すると全ての物が暖かく感じるのは私だけかな?

 

このなんでも擬人化する文化が日本人の暖かさにつながっているのかな?って思う

 

そういえば、日本は町中に擬人化キャラクターが溢れている

 

海外に行ってそんなに見ないかもしれない

最近は国際化とか言って少なくなったかもしれない

 

いつからかゲームで作られるキャラクターは擬人化した物では無く空想の化物のような物が増えて来てるのかもしれない

 

物は物になってしまうと、大切にしないし、思いも考えなくなる

 

人と共感するとか優しい気持ちになる事に繋がっていく素敵な心が育ちにくいのかもしれない

 

そういえばは、海外に行って心が豊かだなって思う瞬間って、子育て中の親子の擬人化した会話だったような…

 

まあ、私だけかも

 

日本人はそんな素敵な文化をもっと大切にしてもいいのかな

 

うちは、擬人化し過ぎの気がするけど

 

そういえば、ペットを擬人化して「自分の思いと一緒」とかやってるのは自己愛性人格障害者の支配欲を満たした行為だよね

 

結局、やり過ぎの過保護は、動物でもするのか…

 

動物虐待もDVも一緒か…

 

どうせなら、動物で満たして子育てではやめて欲しいかも

 

ちょっぴり休憩①

ちょっぴり休憩

 

読んでくれている人がいるって凄い

本当にありがとう!

 

私のただの日記が色々な国の人に読めるようになってるなんて凄い事

 

しかも、その色々な国の人が読んでくれるなんて本当に凄い

 

あまり他人に有益な情報を提供しようとか考えていないけど、気が付いたら周りの自己愛性人格障害者についてづらづらと書いているブログになっている様な…

 

ほんと、私の思考を垂れ流し

 

自己愛性人格障害者の観察には事欠かない環境にいなければならないこの生活、当たり前だけど近くに行くと疲れる

 

吸い取られそうだ

 

このブログにたどり着く人の中には自己愛性人格障害者のターゲットや近くにいる人がいるだろうから、きっと吸い取られそうなんてもんじゃなくて、クタクタなのかもしれないって思う

 

応援する事も助ける事も出来ないけど、何かを自分で見つけて欲しい

 

世の中楽しい事なんて無いと思っていても、自分の見てる世界が全てではないかもしれない

 

あの人の見方が偏ってるよね!って思う事は誰もが偏ってて自分も偏ってるのかもしれない

 

きっと私の考え方も変だけど、皆の考え方も変かも!って思ったら、人の違いを楽しんで受け入れられるようになるのになって思う

 

まだまだふらふらと書き続けたい

 

自己解析して他人がこんなに分かるなんて、面白くてしょうがない

 

結構、私って良い奴じゃんって思えて自己評価も上がる

 

私の周りはやっぱり素敵だと思えて感謝も出来る

 

しかもそれを見て何かを思ってくれる人もいる

共感してくれる人もいる

 

幸せだ!

ありがとう!

これからもよろしくお願いします

バカになんてされたくない!

「今の自分を誇れるようになって来た」彼女だが、たまに自己愛性人格障害者のコミュニティーに行くと、それを覆すようにバカにされる

自分より小さい子から比べられて見下される

今の自分でいいのだと思っていてもやっぱり悔しい

見た目や肩書だけではない何かを掴んで誇れるはずなのに、見た目や肩書だけを評価される場所に行くと不安になる

まだまだ、自己評価だけでは戦えないのかもしれない

そう、人間自己評価が高くなっても、ある程度の他者評価がついて来ないと厳しいのかもしれない

不安になる時があるのかもしれない

だったら、自己評価だけで太刀打ちする事を諦めて、他者の評価も受け入れられる所は受け入れるべきかもね

検定とか資格とか大会とか試合とか、そんな他者評価を上手く取り入れながら、自己評価を上げていかないといけないのかななんて思う

ちなみに他者評価だけで、自己評価が上がらないのも問題

なかなかバランスが難しい

彼女は、他者評価を上げて少しずつ自己評価を上げていけばいいのかもしれない

どちらも逃げていては始まらない

バカにされた悔しさだけで、成績を取ることは出来るか??

ちょっぴり見物だ

それにしても相変わらずの自己愛性人格障害者グループ

人をバカにして生きて行く事しか脳が無い

頭に来るけど… あんまり人をバカにはしない事って言い聞かせて終わりにしよう