心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

他人の思いに気がつかない人


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他人の思いに気がつかない人って、自分の事でいっぱいいっぱいで他人の事を考えられないってイメージだった

 

だから、他人の事を考えたり人に感謝できる人は、さぞ余裕があるんだろうな~なんて思っていた

 

他人の思いに気がつかない人は、そに他人のしてくれた事や思いがあるなんてそもそも気がつくことがないから、感謝できないのは当然だ

 

物が見えないのに立ち止まって感謝しろ!なんて言われても無理だったんだ

   

要するに、知らない土地の看板も何も無いところで止まって地図を想像して動け!って言ってるくらいめちゃくちゃな事なんだと思う

 

感謝出来ない人に「感謝しなさい!」って言うことは、それこそ出来ない事をやってほしいと押し付けてる事になるのかもしれないです

 

分からなかった!ついつい子供達に言ってしまっていた

 

この人の思いに気がつけない人達、実は自分の事で一生懸命って訳でもない

 

そこがすごーく問題

 

自分の事も全く見れていないのだ

 

自分が今とっても不快だと感じていてイライラしているんだよねって事に気がついてはいない

 

人に当たり散らしていたとしても、自分が不快でそのイライラを他人にぶつけているんだとは思わない

 

あくまでも、「目の前の相手がイライラさせることをするからイライラしているだ!」と思っている

 

自分が不快に思ってる別の原因なんて一切見ない

 

それが証拠に、他人がいくらその人が怒り出す種を作らない様に行動したところで、イライラは一向に収まらない

 

他人の粗をあちこち探して、次々に当たる

 

「◯◯だからちゃんとしないとダメでしょ!」とか最もらしいことをいうけど、それが解決したところで意味がない

 

文句ばかりで感謝が出来ないのは、他人の思いに気がつけないのではなく、自分の状況が把握できないのかも

 

地図がないところで、「地図があったらいいじゃない?」って言うのは無い物ねだりで、そもそも「その土地に明るくないよね」って自分を見てあげて地図を用意しておかないといけないのだ

 

そんな人は、「地図を持っていこう!とか「あらかじめ確認しておこう!」って気がつくことはない

 

そこに地図の掲示板があったとしてもそのありがたさに気がつけないし、地図が無かったら自分が地図を用意しなかった事を棚にあげて地図が無いことを愚痴ったりしちゃうのかもしれないです

 

まあ、今はスマホでどうにでもなるけれど…

 

他人にガミガミ言う人は、自分の事さえ気がつけないなんて、大変です

 

 

では、そんな人に接する時にどうしたらいいのかなって考えます

 

ガミガミ言っていることに然したる意味はないのです

 

だから、無視する事も大切なんだと思います

 

言われた事のうち自分で受け入れた方が良さそうなことだけを拾って、後は聞き流さないといけないんだと思います

 

それでもあんまり文句ばかり言われると腹が立つので、そういう場合は離れないといけないです

 

自分が言われて納得いかない事は言い返さないといけません

 

文句を言っている方が上になりがちですが、対等の立場だとして言われ過ぎの場合は、「ちょっと頭に来るから離れてくれない!」って言ってもいいんです

 

「当たるのをちょっと直して貰いたいな」なんて思うのなら相手のイライラの原因は自分には無いことを頭に入れた上で、その当たり散らす根本的な原因を周囲が解決出来るのかを想像してみた方がいいと思います

 

本人も気がつけない原因を、他人が取り除くのは相当難しいので、そんなに簡単な事ではない事を肝に命じて、相手が変わることにあまり期待しない方がいいなと思います

 

逆に言えば、自分自身で変わろうと思って客観的に等身大で自分を評価出来れば、人の言うことも素直に受け入れられて、他人にも寛容でいられるのかもしれないです

 

余裕があるなあ!と感じる人は、別に他人に目を向ける余裕があるのではなく、自分をよく見て客観的に判断出来る人なのかもしれません

 

なんだか不思議だけど、結局良い感じで自分も周囲も回っている人は、結構素敵なバランス感覚を持って生きている人なのかなと…

 

自分の周りを掃除出来ない人が人に永遠と文句を言っているのを見て違和感を感じたので、その違和感の原因を探ってみました

 

そんなに人にキツく当たる前に、自分の事をしたら?って思うのは、至極当然な気がします

 

もちろんいくら正論でも、そんな人の言うことを全て聞くのは嫌ですし、ただただ面倒な人だけで関わりたく無いなって思うだけです

 

言い返したところで、その人は掃除をする事は無いと思うし、なんなら「そんなお前に言われたくない!」って言われそうです

 

どんなお前なんだか?

自分の事をちゃんとやったら?って思うので、やっぱり無視して放っておきましょう!

 

自己愛性人格障害者達のプライド

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たぶん、自己愛性人格障害的なこの家族…

 

相手が絶対にその結論を動かさない事を確認してから「やってあげる」と言うのは王道だ

 

子供達がよくやらない?

   

「謝らなくてもいい!」って言うと、謝ってくる

 

「手伝わなくてもいい!」って言うと手伝ってくる

 

もう、気持ちは収まらないし謝ってくれても手伝ってくれても気持ちはぐちゃぐちゃに拗れている

 

謝ってくれても手伝ってくれても拗れた気持ちの修復は難しくなっている

 

それまでなら、謝ってくれたら手伝ってくれたら気持ちがスッと収まったのにって思う

 

そんな彼らは、いつか周囲は許してくれると高を括っている

 

自分のプライドを保ったまま、謝らず手伝わず「もういいよ」と言うのを待っている

 

結局、謝らないの?

結局、手伝わないの?

 

って、なるんだけど、それでも許さないとなんだか周囲が悪者になった気分になったりして折れてしまう

 

これ、たぶん私もダメなところ

 

気分がモヤモヤしてるなら、「もういいよ」は言っちゃダメ

 

結局、この家族の結論もそうなるのかもしれないけれど、周囲にそのモヤモヤが残って気持ちよく祝福って訳にはいかないのかもしれないです

 

なんだか、過保護の行く末が強調されて考えさせられました

 

pilatesno-1.hatenablog.com

 

 

 

 

「りんご」と「トマト」を反対に教えてみた


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実は前にも書いたけど…我が子に「りんご」と「トマト」を反対に教えてみました

 

確か、良くしゃべる様になった2歳の頃だったと思います

 

子供の間違えってかわいい!!

 

と思って、我が子にしか出来ない事をしてみようと…

   

「りんご」を「トマト」と教え、「トマト」を「りんご」と教えました

 

でも、この子は3月生まれであるにも関わらず、おしゃべりが凄い!

 

この保育園のクラスの女の子のコミュニケーションが凄い!!

 

朝から「◯◯ちゃんのママ、その服かわいいね、どっか行くの?」「◯◯ちゃん、今日の服、上と下が合ってるね。かわいい」ってお互いに話すんです

 

女の子は2歳でも女の子だ!って感心していました

 

案の定、3日後には「りんご」は「りんご」に、「トマト」は「トマト」になっていました

 

「トマト」を「りんご」と言いながら食べてるのが可愛くて楽しかったのに、たった3日しかもたなかった

 

残念

 

メカにもメディアにも弱い私


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こんなにブログを書いていて、皆気がついていると思うけど、メカにもメディアにも弱い

 

たぶん一昔前の人って感じです

 

出来れば全部教えて貰いたい

 

出来れば全部やって貰いたい

   

なのにインスタやらブログやらホームページやらで、やっぱり関わっていかないといけない

 

年齢が高くてもそういうことが出来る人って尊敬してしまうなあ

 

こんな私なので、メディアに溺れる生活はやっぱりストレスなんだと思います

 

最低限で、何かを増やしたら何かを減らす事が必要なんだと思います

 

自然に触れるとか、テレビを消すとか、早く寝るとかでしょうか?

 

インスタ、子供におまかせしながらそっと始めたんですが、任せっきりになりそうです

 

キャパの小さめなメディアバケツが既に溢れていますので、ブログのおかしな更新も多めに見てください

 

ちなみに、このブログと仕事とはあんまり繋げる気がありません

 

自己愛性人格障害者を語っているくらーいピラティスのインストラクターってどうなんだ?って、頭によぎりました

 

自己愛性人格障害者を無害にする明るいピラティスインストラクターって方でいく予定なんですけどどうでしょう?

 

芸術は立体が好きだ(糸通しって「おじさん」)


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手芸で立体的な物を作る人が結構好きだ

 

芸術も、平面より立体が好きだ

 

実はずっとちょっぴり不思議だった

 

でも、分かってしまった!

 

先日、我が子が裁縫をしていた

 

我が家ではなかなかの不器用度で、なかなかの芸術作品が出来るのだが、私や他の子供達では絶対にしない妥協もなんて事無い

 

立体を作っているのに縫い代がない

 

型紙を作っているのにはじめから適当

   

出来ないと途中で面倒になって叫びだす

 

失敗だなと思っても直さない

 

教えても、自分の解釈でやり方を変えてしまう

 

出来ないのに誰かが教えてあげると否定された気分でおこりだす

 

本当にそれを作りたいのか?

 

そんな疑問さえ沸いてくる

 

出来上がったら、ご機嫌なんだけど、そのクオリティーで満足なのか?と疑問

 

ほんと、ある意味で芸術作品なんだけど…

 

死んでからプレミアが付くのか…

 

そもそも、立体って難しい

 

私も洋服とか入れ物とかポーチとか作るけど、裏と表を縫い合わせたりポケットを付けたりファスナーを付けたりで、順番を間違えたら大変だ!!

 

私自身今までも「出来てみたら、入らないじゃん!」なーんて事もあった

 

裁断もとっても難しい

 

寸棒を計って型紙を作ったこともあったけど、大変だった

 

案外数学的なのかもしれない

そして、立体の物を作る人は芸術的だけど頭がいいのかもしれない

 

精密かつ立体は分かるけど、抽象的かつ立体なんてとっても高度

 

頭の中に興味が沸いてくる

 

だから好きなんだ

 

それにしてもわが子…縫い代が無いって…どうなってるんだ?

 

端がほつれていく生地だと大変だ

 

そんなところのツメの甘さが、見ていて理解できない

 

立体を想像する過程と組立る過程を面白いと思えるかどうか?なんてところが、立体を作る人の事を好きな理由かもね

 

結局、頭を使っている人は面白い!

 

我が子も何度も作ればそのうち上手くなるのかな?

 

それにしても、理解できない

 

ところで、題名の糸通し、我が子の学校では「おじさん」って言ったらしい

 

衝撃だ!

 

しかも調べたら「エリザベス」とか…

 

なんだ?

 

おじさん、貸さない!!

針に糸通す位自分でやったら?って思う

 

 

自己愛性人格障害者の「しょうがないな~」にイラっと!

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「分からないな~」「こういうこと?」と聞いていると自己愛性人格障害者がイライラと怒りながら「 ◯◯に決まっているだろう!」「そんなのも分からないのか?」「さっき言っただろう!」とめんどくさそうに答えます

 

そもそも、分からないって言っている人にどうしてそんなに怒っているのか?どうしてそんなにイライラしているのか?さっぱり分からないのです

 

まあ、よく子供にそういうことってありますが…大人が大人にって相当です

 

何かをやろうとしていて、「分からないなあ教えてくれる?」と聞いているだけで、そんなにイライラするのかな?

それって、自分が知っていることは常識の範囲以内で相手が知らない事は非常識だと思っているからなんじゃないかな?

   

そして、出ました!

 

偉そうに「やってやるよ」

 

いやいや、自分でやろうとしているからその人は「教えてくれる?」って聞いているんじゃないんかい?(ちょっと私の心の声もイラッとしてますが…)

 

教えてくれれば自分でやるんじゃないんかい?

 

と、思います

 

イライラして教えるのを面倒そうに変わりにやるのって「お前じゃダメだから私がやってやるよ!」と相手を下げて自分を上げる

 

教えてもムダだ!的な…

 

この場合、別にやってくれなくてもいい

 

逆に、やりたいなら「やりたい」って言えばいい

 

「私がやりたいからやる!」と言うのと、「お前がダメだからしょうがないからやってやる」って言うのは全然違う

 

おまけにこの場合、その日1日中ちょっとバタバタすると、出来ない奴のせいにして「やってやってるから予定が詰まったんだ!」とか「やってやってるからおとなしくしろ」とか言い出す

 

「やってやったから感謝しろ!」っぽい雰囲気で、やりたくないことを全部押し付けて来ちゃう日もある

 

教えて貰って自分でやろうとしていた事を奪われて、なおかつダメ出しされて、うまく行かないと文句まで言われるってなんなんだ!と思わない

 

でも、案外子供にはやっていない?

 

案外家族にはやってしまう

 

なんていうのも、自己愛性人格障害者達のパワハラモラハラなんです

 

「私がやりたい!」っていえばいいんです

 

子供がグダグタしているときも、「時間がないから今回はここまでで後は私がやっちゃうね、次回はもう少し早く来て全部やってね」って説明すればいいんだと思います

 

なかなか見てるのはしんどいけど…なかなか教えるのは大変だけど…相当我慢も必要だけど…

 

でもやっぱりそれが、相手のやる気を削がないで成長させることに繋がるし、最終的には自分が楽になる方法なんです

 

やりたい時は「やりたい!」

 

出来ない時は「一人じゃ出来ない!」

 

やりたくない時は誰かのせいじゃなくて、「本当はやりたくない!」って言えれば、もしかしたらやってくれる人もいるかもしれないし、やりたい人もいるかもしれないです

 

自分のやりたくないこと全て他人もやりたくない訳じゃない

 

相手が出来ない事をやってみることが苦痛だと思っているわけではないのに、ちゃっちゃか出来ない相手がそれをやることを誰かに代わって貰いたいと思っていると思っちゃったりしちゃうのもどうかな~と思う

 

客観的に見て、相手も自分も成長出来る道を見つけて行きたいなと思います!

 

難しい!!

 

 

 

草取りを子供と一緒にする時の母の気持ちの行方

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お休みなので、何もすることがなく時間をもて余したので、子供と草取りをしました

 

子供にお手伝いをして貰うとき、最近はあまりイライラしなくなりましたが、特に男の子はしんどい(男の子はなのか我が子はなのか分かりませんが…思わず男の子と総称してしまいました)

 

夫や長子や次子も息子と一緒にいるとイライラが募ってぶちギレることが多く、何とかならないのか?と思います

 

今回はたまたま自分の気持ちのもっていき方が上手く行ったので、備忘記録として書いておこうかなあと思います

 

先日、いつまでたっても着替えない息子に、「草むしり一緒にやらない?」と声かけをしました

 

息子が勢い良く「やる!」と言ったので、やったあ!と思いましたが、まさかの着替えてこない??

   

なので、そこで「着替えてこないといやだ!」と私は息子に言いました

すると勢い良く着替えた息子がやって来ました

 

とりあえず着替えさせてひとつクリアです

 

さて、はじめのうちは一緒に草取りをしていたのですが、3分後にはフラフラ

 

「玄関掃除しようかな」と

 

どうぞどうぞとそのままにしておいたら、なんだか掃除はしてそうなんだけど、ゴミ入れのプラスチックの鉢を持ちゴミと砂をガサガサと分けていました

 

とっても楽しそうなので、放っておきました

 

まあ、私の本心は「自分が心置きなく草取りをしている間にテレビを見てたりやゲームをしていてはちょっとなあ」って感じだったなので楽しそうに時間を潰してついでに草取りを手伝ってくれればラッキーなんて思っていました

 

30分以上掛けて砂とゴミを分けて、飽きたのか玄関の掃除をし始めました

 

ラッキーです

 

でも、その遊ぶ姿はお手伝いとはとてもとても程遠い

 

夫や長子のお手伝いとなると、大抵一緒にやっている方がキレます

「そんなんじゃお手伝いの意味ない!いなくていい!」と…

 

この一言で、息子は寄り付かなくなります

 

ちょっとのお手伝いも出来ず、やる気も失せてその後も何かを一緒にやる機会を奪うこの言葉

 

はたで聞くたびに、なんとかならないのか?と思います

 

そもそも、お手伝いなんて夫でさえ自分の都合でしかやりません

 

手伝って欲しいというこちら側の気持ちなんて無視して中途半端にやって、「手伝ったから誉めて!」って勢い良く感謝を迫ってきます

 

なのに、息子に自分の都合が良いように動いて欲しいなんて、なんてご都合主義なんでしょうって思います

 

ちょっぴりでもやって貰えればいいんです

 

迷惑なら知らんぷり、良かったことは「ありがとう!助かっちゃった!」の二言

 

二人目の自分が手伝ってくれるわけじゃないので、思っていることを全てやって貰えるなんて期待しちゃいけないんです

 

ただ、忙しい時ほど期待しちゃう!

忙しい時ほど頼んじゃう!

 

だから、きっと忙しい時は余計イライラしちゃうんだと思います

 

忙しい時はまず、自分の忙しさに気がついて自分が最低限の動きだけをチョイスしてこなさないといけないのかもしれないです

 

他人にお手伝いをお願いしなければ回らない時ほど、自分のギリギリな状態をなんとかしなきゃいけないのかも

 

これ、きっと出来そうで出来ない

 

余裕のある時は全て自分でやってしまった方が楽だし、忙しい時は少しでも手伝って貰いたい

 

我が家の家族もまさにこれ!

だから、忙しい時に息子に声を掛けてやってくれない息子にイライラ、ガミガミ、結局放置

 

完璧には出来ない他人を組み込むことのわがままさなんて省みない

 

結局、自分の気持ちがイライラしないバランスを保てたらいいのかもしれません

 

いやー、難しくない?

 

そんな葛藤を日々しています

 

心穏やかに過ごせるほど人間が出来ていないのですが、少しでもコントロール出来れば、楽しく過ごせるのかもしれないです

 

ちなみに、この日は玄関に小石がゴロゴロしていましてが、草取りも玄関掃除もまあまあ満足でした

 

キレイ好きじゃないので、まっいっか

 

皆はどうしているのかな?私が家族から「甘いなあ」と言われる理由はここら辺にあるんだと思います