心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

信頼関係を使って相手を攻撃する手法

自己愛性人格障害者である親や指導者は、支配下にある子供や部下との信頼関係を使って他人を攻撃する

 

指導者の話に行く前に、ちょっぴり身近な家庭内の例を出してみようと思う

 

例えば、夫が子供に「ダメな母親に育てられたお前はかわいそうだ、こんなことも教えて貰っていないのか?」と言う

 

子供は、母親に従うと自分が人よりも出来ない人間になってしまう気がして、母親をバカにする

 

夫が直接妻を攻撃しなくとも、子供が母親に辛辣な言葉を放つ

 

家族は妻を一番下に置き、底辺にいるものはバカにされて当然という構造が家庭内で出来上がる

 

これはそのまま学校に持ち込まれ、その子は周囲に順位をつけ、下位の人をバカにする

新しい子が転校してくると、その順位を脅かされると攻撃する

いじめは家庭内から連鎖する

 

これ、指導者でも同様

指導者はその指導に関して親よりも圧倒的に上の立場にある

 

子供達の信頼も厚い

 

だから、実はこの手法はとっても使いやすい

 

指導者が子供達をひいきする際に、親の好き嫌いを含ませた場合、子供達は「自分が見て貰えないのは親のせいだ!」と思う

 

「お母さんのせいで私は見て貰えない!お母さんが他のお母さんみたいにちゃんとしてくれないから!」と母親を攻撃する

 

そんな指導者は親の目がない子とある子で扱いを変える

 

自分を評価してくれそうな親の子供を手厚く見る

 

親の目がない子は別に見なくてもいいし、子供なんかに自分を評価出来るわけがないと子供達をバカにしている

 

でも、実際子供達はその評価の理由が分かるから、親達に「来てくれ!見てくれ!」とせがむのだ

 

そして、自分が見てくれるかくれないか?上手くなるかならないか?起用されるかされないか?なんてところを全て親のせいにする

 

これで立派なパワハラ構造が出来上がる

 

これはスポーツの集団や習い事なんかには意外と多いなと感じる

 

そして、これって結構紙一重

 

指導者の自信がある時は、親の評価なんて必要無いからこんなことは起きない

 

子供達の成績がパッとしなくなってきて自信が無くなると、親の評価や周囲の評価が気になって、過去にはそんな事をしたことがない人でも、パワハラのスパイラルに陥ってしまうのだと思う

 

成績、評価の出るスポーツや競技は、パワハラが起きやすいのはこの為なんじゃないか?と感じる

 

これでそのグループの下位になった場合、逃げるしか無いんだろうけど、こういう指導者から逃げると敵認定される場合がほとんど

 

自分の評価を見限った事に対する嫌がらせや腹いせを覚悟しないといけないし、それにさらされる子供達が嫌な思いもする

 

それを親のせいにする考え方も子供達の中に健在だろうから、子供から親への攻撃もあるだろう

もしかしたら、その事自体をやめなければならない場合も…

 

それでも、その場から逃げる勇気をもって逃げた方が良いのか、その負のスパイラルの中で自分の子供だけの順位を上げることにつとめるのか?

 

そんな選択をせざるおえない時、親の考え方は子供にいつか伝わると思う

 

家庭でも習い事でも、パワハラ構造から逃げる事がとっても難しい理由として、「子供達が嫌な思いをする」とか「好きなことを出来なくさせられるのではないか?」という不安は本当に大きい

 

すっぱりやめて他の事をやるという選択が一番らくなんだけどそれが出来ない場合は覚悟を決めないといけないかも

 

敵認定をした場合、パワハラをする配偶者や指導者は、逆らった人間が嫌な思いをする事が目的になってしまう

 

それでも助けを求められるか?それでも出ると決意を固められるか?それでもやるという熱意があるか?それでも続ける位好きか?なんてところが試されてるのかなと思う

 

中途半端は辛い

 

逃げるなら逃げて良かったと思える日までその気持ちを維持する力と助けてくれる人への感謝をもって、逃げきって欲しい

応援しています

 

久しぶりにこのカテゴリーの記事を書きました

穏やかな日々を過ごしていた証拠かなあと思います

最近頭の中を整理したいことがチラホラ出てきているのでまた記事の更新があるかもしれません

 

学校教育の体育って必要?運動が苦手な人の運動不足解消ってどうする?


学校教育に体育の授業って必要?って疑問

私の個人的な考えですが今のままだといらないなって思います

そんな思いとは裏腹に、学生時代の運動はとっても大切です

だから、体育の時間楽しく皆で運動をすることはいいと思うんです

でも、学校の体育って楽しいですか?

 

縄跳びとかプールとか分かりやすいと思うのですが、出来る子が「出来るを見せる時間」、出来ない子は「出来ないを思いしらされる時間」なんじゃないかな?って思います

 

運動が出来る子は、その後少年団やクラブチームに入って、プロの先生に教えてもらうことによって、人の話を聞いて練習すると出来るようになる事、目標を達成する事など、運動をする事で生きていく上で大切なことを学ぶんです

 

それに対して出来ない子は、家で練習してきてください!

休み中の課題です!って…

先生が出来るコツを教えてくれる訳じゃない…

 

運動大好きな体育の先生が、運動が出来る子に向けて運動のすばらしさを教える時間

 

運動が苦手な子の体育の時間の居づらさや運動が出来ない理由を紐解きながら運動が出来るようにしてくれる時間じゃないんです

 

出来る子と出来ない子を分けても、出来ない子を出来るようにするために授業がある訳じゃないんです

 

小学校なんて、もしかしたら運動が出来る子は体育の出来る先生がついて、運動が出来ない子にはちょっぴり運動が苦手な先生がついたりしちゃうことだってあるかもしれないです

 

なんせ、担任制ですから…

 

運動って、特に学生時代はやればやるほど上手になります

どんなに不器用で運動が出来ないなって諦めちゃうような子でも、ものすごい伸び代があるんです

 

なのに、不器用な子達は体育で「出来ない自分」を自覚させられて、恥ずかしい思いをさせられて、おまけに何をやっても出来ない事を思いしらされる

なんだったら、運動神経抜群の子達から「あいつはだめだな」なんて言われちゃう

 

運動が嫌いになるのは当然なのかも

 

小中学校で運動が嫌いになってしまった人は、それを一生ひきずっています

「運動が苦手」「運動神経が悪い」「運動神経がない」って言葉大人になっても聞きます

 

そのせいで、運動で学べる目標の達成の仕方や自分の体や心のコントロールの仕方を学ぶ機会が減ってしまうかもしれないです

 

運動にはめっちゃ練習しなきゃ出来ないことも多いですが、コツさえつかめば出来るようになる事だって実はたくさんあるんです

学校では向上心をくすぐる楽しい授業が出来たらいいのになあと思います

 

面白い先生がいたら皆その道に行ってしまうくらい学校の先生の影響って大きいんですから、体育が嫌いになるほどの影響を自分が与えてる自覚を先生達には持って欲しいなあと思います

 

 

ちなみに、もう既に苦手意識を持ったまま大人になってしまった方は…

 

運動しなきゃ健康に悪いよねなんて思いつつも運動不足を放置しがちです

 

そんな方は、とにかく、興味が持てそうな先生がいる習い事を探してみてください!

学校の先生と一緒で、先生の影響って本当に大きいです

上手になりたくなる気分にさせてくれる先生と出会えば、運動が苦手でも続けられるし、結果運動不足なんかに悩まなくても済むと思います

 

休みたくなくなるほど楽しい習い事が見つかれば、一生健康で幸せかもしれません

 

なんて、ピラティスインストラクターらしい記事で久々書いてみました

 

ショートスリーパーとロングスリーパーの性格


ショートスリーパーって知っている?

私は、典型的なショートスリーパー6時間未満の睡眠時間)なんだけど、実は5~8%しかいないらしい

 

そしてロングスリーパー(9時間以上の睡眠時間)も3%~9%なんだけど、これは我が家の旦那様なんだけど、性格に偏りがあるらしい

 

ショートスリーパーは外向的で勤勉、社会に適用しやすく自信を持って精力的・野心的で多忙。不平不満はあまり持たず、自分自身や現在の状況に満足しているんだって!

 

そして、ロングスリーパーはというと、内向的で孤独を愛し、創造的でしかも細かい点にまで注意をはらい、社会や政治に批判的な目を向けるので現状に満足しづらいらしい

 

引用:「All About「医療 健康」」より

 

ふふ、私ですが今でさえ外向的ですが、どっぷり内向的で自信のない時からショートスリーパーです

睡眠時間が少なくて精神的に病んでいるほどピリピリしても寝る時間は短かったけどなあーなんて思いますが、今や立派なショートスリーパー的性格

ショートスリーパー的で、速攻深い睡眠に入ります

 

そして、旦那様ですがとっても社交的で自信満々な感じ

外では細かいことにとっても配慮しますが、家では何にも気が付きません

社交的な外見は家では全く見られませんし、創造的な面も全く見られません

まあ、不平不満ばかりなのは細かい面に気が付くからなんでしょうから、いい風には使えていないなと思います

 

ショートスリーパーには、明石家さんまさんなんかがいるようです!

??私あんな感じなのかな?

まあ現状を受け止めてはいますが、満足…カナ

3時に寝たとしても、翌日は家の中で一番早く起きてますから、自分でもすごいなあと思います

これ。ピラティスのおかげかな?

 

睡眠時間の常識が全く違うのだから、理解し合えないなあと思います

 

勉強をやればできる不登校の子の脱出方法を一つ


勉強をやれば出きるけど不登校の子も親も悩ましい

今その真っ只中で不安な人達に…もしかしたら頭では分かっているかも知れないけれどこういう道があるよ!って現実を少しご紹介しますね

小中学校は、別に勉強をしにいくところじゃない

それが証拠に、勉強が出来なくたって学校は楽しい!
塾に行ってれば学校の勉強なんて楽しくない…

だから、日本の義務教育には馴染めないけど勉強が出来る子は沢山いる

そういう子供達は、もちろん内申点なんて取れない

だから、義務教育が終わるときに【学校に行っていない】という教育的評価に苦しむ

これは、日本の教育が課した不登校の子に対するハンデみたいな物

行かない選択は自分でとったんでしょ?
皆に合わせたくないってわがままを言った罰だよ!

って事なんだ

内申点の評価割合はますます増えていく傾向にある

そして、そんな子達は高校で通信に行けばいいじゃん!色んな道があるじゃない!

と人は言う

でもね、通信制高校出身は高校を出てからもそのハンデを背負うことを誰もが知っている


それが、日本の現実なんだ

授業に出れば小学校の勉強なんて余裕で出来る様な子でも、授業に出れないから気がつけば勉強が全く出来ない

そういう子は自主的に勉強するか?塾だけに通わすか?通信で勉強するか?なんて選択しか勉強についていく方法は無いんだ

そりゃ、抜け落ちる
そりゃ、勉強しょうと思ったらお金がかかる
そりゃ、勉強させようと思ったら親の負担は凄い

それもこれも、わがままの罰…


でも、このわがままは、大人になったら活かす方法が沢山ある
このわがままは、大人になったら武器になる
そして、このわがままな子達こそが大成できる期待の星だ

なんて知らない人は多い


だから、道があることを知ってほしい!
そして、大成出来ると信じて欲しい!

私自身、小中学校なんて楽しくなかった
私達の時代は学校に行かないなんて選択肢は無い時代
妬みや嫉みが見えてしまうのが本当にしんどかった

でも、高校からはだいぶ楽になったかな?

さて、私の話は置いておいて…これはあくまでも一つの考え方として読んでもらえるといいかなと思います

不登校の子が不登校から脱出する方法として、とにかく選択肢を増やす事だと私は思っています
何かをしようと思った時に、足かせが少ない方が動きやすいから、その選択肢は自分の未来のために増やしておいて欲しいです

まず、勉強が出来る不登校の子は、自分の未来のために勉強した方がいいです

はは、現実はそこか…なんて思わないで…

出来れば小学校の塾代が一番かからない時期に塾に行くか、学校の勉強くらいなら親や親の知り合いに頼めば教えてくれる人なんて沢山います

そして、とりあえずダメでも中学受験させて貰いましょう!

もちろん、私立の中学校なんて行けない!って子がほとんどでしょう

だって、小学校に登校できないのに私立の中学校にお金を払って行かす親なんてなかなかいない

多分、入学金なんて払った損だと思うし、ダメでも義務教育があるのに意味がないって思うと思います
普通の親なら、それが当たり前

だから、中学受験しても行かなくてもいいんです
オープンキャンパスとかに行ってみて行ってみたいなって思ったら行けばいいし、頑張ればいいけどね

ただ、やるなら中学受験が出来るところまで勉強しましょう!本当に勉強をやれば出来るなら中学受験で受かる実力をつけましょう!

実は、中学校の勉強は中学受験をしている子にとっては復習みたいな物なんです


中学受験直後の小学生が中学3年生4月にクラスに入ったとして、2ヶ月もあれば中の下くらいの点数はとれるはずです

中学受験さえしておけば勉強に追い付かないなんて事はないんです
実際、中学生で勉強の出来ない子の数学の実力は小学校3年生程度で、かけ算が出来ない子がゴロゴロいる状態なんです

中学校が完全不登校だとしても、勉強だけで行ける全日制の高校は沢山あるんです

中学も勉強だけなら探せばボランティアでやっている別室、夜間中学みたいのも地域にある場合もあります
もちろんお金はかかるけどフリースクールや通信高校の中学校、塾もありますよね

是非、そこでも皆と同じ道を行く事を諦めないでチャレンジしてみて欲しいと思います


中学校不登校だったとしても高校は思っているより選べます
興味のあるコースのある学校、単位制の高校でも毎日通うような高校、途中まで全日制に行ってみて難しいなら通信制に移行できる様な単位制高校、もう年に何回かしか通わなくていい完全な通信制の高校もあります

通信制の高校という選択肢の場合、もし勉強が出来るなら学校を選ぶ時に高校を出た先を考えて学校を決めてください!

なりたいものが決まっているなら、通信制の学校に通いながら迷わずその職業につける方法を探して下さい

通信制の学校を選ぶメリットとしては自由な時間が多い事です

アルバイトという経験をしっかりして、社会見学をしてみてください

社会に出てみると、現実が見えると思います
途中が外れた経験を多く持って生きている人の価値も知れると思います

外の評価を得て自分に自信をつけてください

また、この先がまだ想像できないとか、自分に自信がなくてなりたいものが決めれないという子は、ここからの選択肢を増やす道を見つけて下さい

現実、日本で一番選択肢の多い道は人数の多い道を行く事です

なので、迷っている場合はそれに近い方法を取ることがベスト

全日制の普通校に行けるなら行く

そこでちょっと学力が追い付きそうにないな~と思ったら、同じ学校内にレベルの違うコースがある高校を探すといいと思います

2年時にコース選択が出来るような高校もありますし、中学校の復習をしてくれるような高校もありますので、オープンキャンパスにしっかり行って相談してみてください

普通校に受かって通ってみたけどやっぱり通うのが難しいなと思った場合は、通信高校に編入という選択肢がありますのでそれも視野にいれていいと思います

とはいえ、さっきも言ったように親も子供も通信制高校にはまだまだ偏見があります

実は通信制高校の中には勉強に力を入れている学校は多いです

しかも、少人数なのでサポートもしっかりしています

普通校に行くよりも、大学に容易に行くことできる通信制高校も沢山あるんです

今の大学受験は勉強だけではありません
大学に入ったらもしかしたら復習が必要かもしれませんが、受かる方法はいくらでもあるし、なんだったら指定校や内部受験で入れるようなところもあります

周囲と同じように大学まで自分の未来の選択を先送りする事は可能です
せっかく勉強をやれば出来るのであれば大学を目指す道を残しましょう!

気がつけば、一番人の多い道を歩いているかもしれませんしね

不登校だった子達にはその経験があります

大人になった時に人とは違う道を歩んだ面白い経験が付いてきます!
それに価値が有ることにいつか気がつくことがあると思います

生きている時間の全てを肥やしにして自分の未来を作ってみて下さい
皆と同じ経験に特別な価値は無いんです
同じ経験に共感する人はいても、興味は沸かないです

自分だけの経験の価値を大切にしながら、自分の思うカッコいい大人を目指してみてください!

不登校ってだけで、充分その経験は価値があるということを信じて欲しいと思います

そっと不登校の親子を応援しています





プーチンさんは自己愛性人格障害。だからどうした!

これ、何だか書けなかったテーマ

だって、大きくなりすぎちゃったもん

 

プーチンさんは典型的な自己愛性人格障害

 

見た目が大切で強くてかっこよくて、周囲には「自分の味方に付くとお得だよ!」って思わせながら取り巻きを増やしていく

 

裏切ったら殺されるってなんだかわからない恐さを身に纏いながら国を治めてる

 

ちょっと前まで自己愛性人格障害者のトランプさんが居たので静かにしていたけれど、居なくなったらとたんに力を誇示しだした

 

この自己愛性人格障がい者という存在をもってどうすれば戦争が終わるのか?って思うけど、生きている限りは「負けました!」「あなたが一番です!」って言わないと実は終わらない

 

はっきり言って妥協点なんてこの人種の人達には見いだせない

 

妥協点を模索した時点で負けなので、歩みよりを自分がする事は死んでしまう事と何も変わらない

 

0か100しか答えは無い

 

この考え方を外からただそうとしても全く変わらない

 

自分を潰す大きな力が無い限り(要するに自分より強い自己愛性人格障がい者的な人が出てこない限り)気持ちは収まらない

 

ここから、プーチンさんよりも圧倒的な影響力と力を持った人が出てくるのかな?

プーチンさんが、「この人の言うことを聞いたら俺って株が上がるよね!」って思えるような人…

 

私には分からないな…

 

ところで、ここで自己愛性人格障がい者を大人しくさせられる世界っていのが模索出きるのかも

 

今、プーチンさんを慕う人達の中には、実はお得なんて一切感じてないけどお得につられている人がほとんど

プーチンさんの味方になると良いことがあるかも!あの人のように!なんて思って何となく近づいた人が取り巻きをどんどんと増やしていく

 

もしかしたら今やお得どころか損してるかもしれない

 

でも、プーチンさんサイドに付いた事実を持って、プーチンさんを批判する事は裏切り者という恐ろしいレッテルを自分で貼る事

 

人間には普通罪悪感があるからなかなか難しい…

 

実際は脅迫されているようなもので、周囲は何にも出来ない

プーチンさん以外の話にはなってしまうけど、一人一人が自己愛性人格障がい者のお得を本当にお得かどうか自分の物差しで計れれば、中身の無いお得情報に左右されて安易に誰かの取り巻きになることなんて無い

もちろん、これをそこにいる誰もがしないと意味がない

 

誰か強い人間の傘に大勢が入っているか中で一人だけがこれをしたってなんの効果もない

 

もっと誰もが自立して誰もが自分の物差しに自信をもって他人の考えを尊重させて生きていかないと、自己愛性人格障がい者を生み出し大成させてしまう世の中って続くんだ 

 

今の日本人は自分に自信が無い

 

誰かを尊重する力もないし、自分に優しくする思いも大切に出来ない人が多い

 

日本国民が一斉に成長する方法って無いのかな?

豊な心を育てて行く教育ってどこから作っていけるのかな?

そんなコミュニティーを作る方法ってないのかな?

 

失敗を恐れる世の中で、成功者を崇めながら誰かにあやかって得して生きていこうと考える人達に違う世界があることを気づかせることなんて出来ないんだ

 

いつか、そんな人達が時代遅れになる日が来るといいな~って、プーチンさんを見ながら思う今日この頃なんです

 

 

マウンティングしてるの?に対する対処方法?


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ちょっぴり理解に苦しむ男のマウンティングを見ながら、同性の思考は分かっても異性の思考は分かりにくいなあと思う

 

男の子は男同士で話をしたい

だから同然のように小学生の男の子同士が話をしている

 

ある女の子の父親がどうやらその片方の男の子や家族の事が気にくわないのかな?

それともコンプレックスがあるのかな?

羨ましいのかな?

男の子が二人でしゃべっていると、もう片方の男の子に大きな声で喋りかけてくる

しかも、呼び捨てでその子の事を何でも知ってそうな口振り

なぜかその男の子の自慢話をしたがる

 

気にくわない男の子よりその男の子が凄いといっている…ように聞こえる

とにかく言葉が汚いし品がない

 

自分の子は女の子だからその気にくわない子に対抗するにはちょっと役不足なのかな?我が子を比較対象にはしないで男の子である他人の子を比較対象として気にくわない男の子にマウンティングしている

 

自分の子がその気にくわない子より負けているものなんて端から見て無い気がするけれど、何かが羨ましいのかな?

近くの使えそうな道具を我が物のようにしながら、マウンティングする

 

自己愛性人格障害者って、こんなものまで道具として使うのかな?

しかも、子供に…

子供じゃなくて家族なのかな?

羨ましい物を潰そうと必死だ

 

でも、さすがに男の子

 

その父親の気にくわない男の子はマウンティングには気がつかないし、そんな回りくどいやり方をしても暖簾に腕押しだ

 

やり方は女性っぽいけど、コンプレックスやプライドが高くていまいち理解出来ない感じはやっぱり男性なのかも

 

プライドがあるなら子供を使うのはみっともないと思わないのかな?

自分が表に出なければいいのかな?

 

その辺の矛盾が子供っぽい

あまり関係ないことだけど、近くにいるだけで何だか気分が良くないと感じた

 

そんなところを他人は見ているとも知らず、しらっと他の人と仲良くしようとしても上手くいかないに決まってる

 

自分のやっていることが自分の価値を落とすことも知らず、だから品格がつかないことも気がつかず、羨ましいと思う人達と同じ品格や環境を得ようと物だけ揃えても、何も得れないことを分からない

 

ちょっと幼稚過ぎかも

 

ということで、自己愛性人格障害者のマウンティングの中見が分かってスッキリ

品のなさの理由も分かってスッキリ

その男の子のようにさらっと流すことも一つの対処方法なんだと改めて思う

 

暖簾に腕押しの力って案外凄い!!

自己愛性人格障害者には改心の一撃!!

と子供達の行動に学ぶ一幕でした

 

生きていることは奇跡

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呼吸をして心臓が動いて脈を打って血液が流れて酸素が頭に送られて、身体が動き出す

 

身体の動きも脳が全てを制御している

 

どこかが止まればたちまち全てが滞る

 

そんな身体で人間は生きている

 

毎日、全てが滞る危険をはらみながら人間は生きている

 

結構危ういところでバランスを保ちながら生きているのに、明日も明後日も1年後も生きていると信じている

 

奇跡の連続を当たり前に信じて疑わないなんて、かなり楽観的かもしれない

 

生きているだけで幸せ!なのかもしれないけど、それを感じて生きている人の方が少ないなんてとっても贅沢

 

当たり前の日常が次の日も続く幸せを噛み締めた日は、悲しいけど幸せな日常の始まりなのかもしれないです

 

死を見て生きるを感じて、不幸を知って幸せを感じる

 

今が最悪だと思う裏には、いつか最高の時が来ることを信じて危ういバランスを保って生きていきたい