心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

離れていく人が敵に見える時

 

 

自分から離れていく人が敵に見える時ってどんな時だろう?

バトルして全否定して離れていく人はともかく、何も言わずに去っていくだけなのに、なんだか否定された気分になる時ってあります

 

それって、相手が否定した訳じゃなく、自分の自信の無さなんじゃないかと思うんです

 

自分は他人に比べて価値が無いから、この人は去っていくんだ!って思う

 

要するに自己肯定感が低い自分を自分で否定してしまう状態なんです

 

ただ、「合わないよね」って思える事が精神状態としては健全だと思うんです

「自分の悪かったところを改善するチャンス」と思えるなら、ものすごいポジティブだし、自己肯定感は高い状態

 

そんなポジティブに考えられない心は、もっともっとネガティブを引き寄せる

 

その去った人が楽しくしていれば、「自分と居ることが楽しくなかったんだ」って思ったりしちゃう

 

自分で自分を攻撃しているのに、それは相手が攻撃しているとすり替えて相手を敵視してしまう

 

その人の動向が気になるし、その人が他人と居ることを阻止したくなる

 

その人が楽しめる物で自分の力の及ぶところはみんな切り捨てたくなる

 

要するにパワハラだけどそれが敵で自分を攻撃してくる存在だと認識すれば、自分の中で正当化される

 

動向が気になってストーカーのようになっても、それが何をされるか分からない敵の動向を確認しているだけだとなると自分の中では正当化される

 

その人が自立したら自分無しで生きていけると思いしらされる

それは要するに自分が要らない存在だと分かる事だから、その人の自立を阻止してしまう

 

親子でも先生でも友達でも先輩後輩でも彼女彼氏でも結構よくあることなんじゃないかと思うんです

 

そりゃ、人が去っていくには理由があるんだろうけど、仲が良かった人なら去ると決めるまでのアプローチって0じゃない

 

本当は手前で気がつかなかったか気が付きたくなかった自分にフォーカスできない自分の心を何とかしてあげないといけないけど、プライドや傷つきたくない自分が邪魔をする

 

 

そんな人のそんな心をその敵認定された人が戻ってきて何とかしてあげられるわけじゃない

だから、一度離れると決めて敵認定されたならどんな意地悪をされたって戻る事に意味はない

行ったり来たりするとお互いに辛い時間を過ごし続けるだけなんだ

 

そう思って、離れることを躊躇している人や今離れたことで嫌がらせを受けている人は頑張ってほしいななんて思う

 

自分のことでいうと実際ちょっと甘い自分なんて誰でも持っているし、ずっと甘やかしているといつかダメな自分って見れなくなっちゃうのかもしれない

 

自分が劣化する前に少しずつアップデートできるような環境に自分をそっと置いておかないといけないなあと実感させられます

 

小さな痛みのうちにチクチクと言ってくれる人を周囲に置いておかないといけないです

ちょっと目障りだしだんだん遠のいていきたくはなるけど、やっぱりそういう人って大切なんだと…

 

自分を肯定できるように自分のやっていることがいいと言える行動をしていくことも大切なのかも

 

自分を肯定するのも否定するのも1番は自分だけど、それをそっと支えてくれているのは実は他の人の評価だったりするので、その支えにも感謝したいなと思う

 

離れる時に敵認定されちゃうのって逆に言えばその人との関係が密だったってことなんだ

そんな深い関係が築けたことに感謝してそっと自立していければいいのかも

 

敵認定されちゃう人はどこに行っても離れようとすると敵認定されちゃう

距離が近い自分を直すことって難しいから、密でいい時もあるけど離れる時に大変さもセットでついてくることを忘れずに生きていかないといけないのかも

 

頭の中を整理して相手の行動を理解してそっと許していけるようになりたい!

意地悪されてもまっいいか!とはならないけど、なんでそこまでやるの?って思ってると怖いからっちょっぴり整理してみました