心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

助けを求められる人は自信のある人だから…

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有名人が亡くなって…「亡くなる前に誰かに相談出来なかったのか」とか、「もしそんな気持ちになったらここに連絡してください」とか言うけれど、助けて!なんて結構言えないんじゃないかなって思う

自分から死を選ぶ時には、自分の価値なんて無いと思ってその結論を出す

生きたくて死を選ぶのであれば、誰かに相談するけれど、自分に価値が無いと思っている時に「助けて!」なんて言う意味は無いなって思うんです

と言うか、自分の言葉で誰かを惑わすのも多分嫌だし、自分の相談に乗ってくれる人なんていないし、そんな価値も無いと思うんじゃないかな


相談に乗ってくれたとしても、価値の無い自分の相談には価値が無いので、相手の言葉にも多分価値なんて見出せないんじゃないかと


結局、相談できる人や助けを求められる人は、死を選んでしまう人とイコールになることは無い

相談できる人や助けを求められる人は、自分は助けてもらう価値があるという自己肯定感を持っている


自己愛性人格障害者から人格否定をされたりして自分の価値が無いと自己肯定感を低くしてしまった人間は、辛くても自分にはその辛い現実が似合っていると思ってしまう

死を選ぶ事も価値がない自分にはピッタリ

これは、自己愛性人格障害者の被害者が自己愛性人格障害者から逃れられない心理と同じ

相談なんてしない

そう考えたら、「相談できる場所があります」なんて物凄い意味のない物だし、残念だけどそこじゃないのかも

自己愛性人格障害者がどんどん増えていく世の中で、人が人の自己肯定感をズタズタに傷付けあっている今の現状を何とかしないと、死を選ぶ人は増えていく

自己肯定感が低い人達は、周りを傷付けるから、結局死を選ぶ人達は死を選ぶ事で最後の最後に周りを傷付ける

やってる事は違うけど、他人を傷付ける事も原理も同じ

本人は被害者と思っている事も、パワハラをする人も、死を選ぶ人も同じ


だから、私はあまり共感も出来ないのかも


「助けて!」って言えるって、自分も相手も信じられる、やっぱり随分と素敵な人のする事だなって思います

厳しいけど…厳しすぎるか…