心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

周りを否定して生きていくのは大変

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同じ事をしても、同じ状態でも、周りを否定して生きていくのと周りを肯定して生きていくのとは、雲泥の差がある

 

親や家族を否定して、反面教師にしながらそうならないようにと生きていく方法が無いわけではないと思う

 

誰かを否定したパワーって、案外大きいから、もしかしたらそれでもかなりの長い期間頑張れるかもしれない

 

でも、周りを否定しながら生きていくと、否定された周りの人達との感情が上手く噛み合わない

 

「あなたみたいになりたくは無い」と言われながニコニコと一緒にいる人は居ない

 

そんな風に直接言う人はなかなか居ないかもしれないけれど、そう相手が思っているかもしれないと思えば、周りは近づかなくなるだろう

 

同じ状況で、同じ事をしても「あなたのやり方も素敵だけど、私はこういう風に考えるから別のやり方で進んでみたいんです」と言われたら、別のやり方で進む人と隣にいながら生きていく事は出来るのではないかなと思う

 

そう考えると、周りを否定しながら生きていくのは風当たりも相当強くなるだろう事は想像ができる

 

同じ事をするなら、目の前にいる人や周りの人達を一人の人として肯定しながら動ければ、周りとは違う事も応援したりされたりしながら進めるのかななんて思う

 

自己愛性人格障害者は周りの人を全て否定して生きている

 

偉い人を賞賛していても「賞賛していれば楽チンに使えるチョロい奴、バカね」と思っている

 

もちろん、自分より下だと思った人達は「虫ケラだし、人間としての価値が無い」と、そもそも人間として否定している

 

誰もが近づけばいい思いはしないのはそのためだ

 

だから、結局心から応援されることはなくなってしまうのだ

 

自己愛性人格障害者のように自分以外を否定しないと自分の存在さえ認められないなんて極端ではなくても、周りを全て肯定出来る人なんてなかなか居ないかもしれない

 

けれど、出来る事ならなるべく周りを素敵だと思っていきていけたらいいなと思う

 

どんな人でも、良いところはあると思う

 

きっと自己愛性人格障害者にもその役割はある

 

なんて、世の中が喜びに沸くロイヤルファミリーの赤ちゃん誕生を見ながらちょっぴり考えてみた

 

周りが素直に祝福するために、一言「あの人も素敵よね」って言葉がほしいかな~

 

それがあれば、誰もが手放しで喜べるし、色々なところのかけはしになれるだろうななんて余計なお世話だけど…