グループを抜ける時の感謝が無い人
ずっと前にも同じような事を書いたような
ちょっぴり違うけど、同じ様な人がいたなあ
独立とか、引き継ぎとか、お店の暖簾分けとか、引っ越しとか、習い事をやめるとか、色々な場面で、師匠や上司や先生から離れる時がある
引っ越しでのお友達とかは今回は置いておきますね
そんな時に、きちんと挨拶をして古巣を出ないと、その後のお仕事や関係に支障をきたすなあと
移動先で同じ習い事をしてもしなくても、新たな場所を紹介してもらってももらわなくても、移動時の挨拶はきちんとした方がいい
なんなら、自己愛性人格障害者っぽい指導者や参加者で、散々な目に合ったとして逃げて出てくるとしても、挨拶だけはキチンとすべきだと思う
自己愛性人格障害者が指導者の場合は、「外に出ても自分の悪口を振り撒く気がないよ」アピールでニコッと笑って菓子折りでももって行かないと、最後の留目を刺されちゃうかもしれない
出てしまったらもちろん何を言おうが関係ないけど…少なくともその場の信用が大切だ
例え、方針が合わずに最後に揉めたとしても、そこまで育ててくれたことに変わりはないし、そこにいて全ての人が辛く当たったわけじゃない
感謝してお礼をしなければならない人がいるはずで、挨拶をキチンとするのとしないのでは、その先は全く違うと思っている
引き継ぎする場合も、始めた人の苦労や思いを引き継ぐことになる
引き継ぐ側には一生分からない苦労や思いが隠れているのだから思っているよりも感謝かも
始めに色々と教えてくれた周囲がいてその場にいれたのかも
自己愛性人格障害者だって、優しく近寄って来た時期がある
やりすぎなくらいの優しさや面倒見の良さに甘えていた時期もあったのではないかと思うんです
そのお礼が自分の苦労よりも大きいと相手が感じれば、相手は勝手に調整してくれるものなので、思わぬ見返りがくるかもしれません
揉めたとしても、感謝が感じられればぶつぶつは来ないかもしれません
感謝をして損することなんて実はないのです
なのに、嫌なことがあったからってそっぽを向いて出ていってしまう人が増えています
人と離れる時こそ感謝をして上手に離れていくことが、この先を楽に生きていく方法なのかもしれないなと、人の振りをみて思います
実はここ、自己愛性人格障害者の世界を変えるとってもチャンスなのかもしれません
次回、ここを掘り下げてみたいと思います
3人兄弟姉妹の真ん中さん
3人兄弟姉妹の真ん中さんってどんなですか?
今回の記事は物凄い偏見で私の周りの傾向を書こうと思います
人の話を良く聞いている、聞き上手イメージですが、聞いているのはポーズの場合が多いです
そのポーズは人一倍上手
実は人の話はあまり聞いてないく、かなり頑固で排他的なイメージ
結構物静かで分からないのですが、「出来ない奴なんて知らない!」って思っています
負けず嫌いで努力家で、自分の出来そうもない事には手をだしません
失敗したものには手を出さないので、年齢と共に段々と選択肢が減っていくイメージがあります
これにはキチンと理由があります
そもそも、物事を自分から始めることが少ない2番目
兄や姉にはある程度の年齢まではいつまでたっても敵いません
要領良く、周囲の同じ年齢の子よりも早くなんでも上手くなる器用なイメージです
兄姉に勝てないうっぷんや劣等感を弟妹にぶつけるので、かなり暴力的だったりもします
口下手で物静かだけど、こうと思ったら持ち前の頑固さで意見を曲げることはありません
謝ったら負けの下克上の様な世界にいると思っている感じです
穏やかに見えても、あまり深く考えず何も言わないしあまり謝りません
見た目や人との調和をとっても大切にします
良く言えば、協調性があり上手に社会を渡ります
悪く言えば、他人の目が気になり他者評価が強めです
兄弟の始めたことを一緒にやり、人についていくので、自分で何かを決めることが少ないのかも
「これやる?」
「うん」
「これどうする?」
「うん」
「やってあげようか?」
「うん」
みたいな会話
下の子も生まれて、ママも忙しいし、大人がやってあげなきゃいけないことは一人目じゃないだけにだいたい分かるので、周囲がやってあげちゃう
やって貰うのが当たり前
逆に弟妹に何かをやってあげることは少ないちょっと癇癪持ち?
これ、案外いい風だったりする
気を遣われるのって人間鬱陶しい
気を回さないことは上手に人を育てられる一つの方法だったりもして周囲を成長させるのに役立ちます
機嫌のいい時は誉めるのも上手です
ところで、この人達はいつか壁にぶち当たります
うーん、ぶち当たっているのかいないのか分からないで一生過ごす人もいるかも
ずっと続けてきたことはたいてい自分から始めたことじゃない
出来ることも、やりたいことじゃないかもしれない
好きな事がやりたい事ではないし、出来ることをしていることが幸せな事じゃない
兄姉の食べたい物と弟妹の食べれるものを食べていたので、自分が食べたい物も良く分からない
食べ物を買ってきても、自分の食べたい物を買ってきて自分で食べるより人の食べたい物を買ってきて「ありがとう」と言って貰った方がうれしい
うれしい事が自分のためじゃない
自分のやりたい事をやっても満足出来ないし幸せな気分になれない
別に自己愛性人格障害者に支配されて育てられたわけじゃないのに、自分を大切に出来ない人達な気がします
上手く何かを見つけられれば、持ち前の負けず嫌いと頑固さで上手くいくかもしれないけど、自分の好きな事かどうかは分からない
社長とかにもなれるけど、やっぱり自分の好きな事を見つけるより、誰かを喜ばすためとかの方が幸せかもしれない
仕事も出来るかもしれないけど、家族を喜ばす事が好きな独りよがりなありがた迷惑なパパになりそう
素敵なママだけど、自己愛的な感じかも
自分で考えて自分の思いをもって動く回路が実はあまり育ってないので、どちらかというと衝動的で深い自分の思いに気がつくのにも時間がかかる気分やさん
難しいのかなと感じます
皆、壁にぶち当たっても動けなくなっても、いつか自分の好きな事を見つけられたら幸せだと思います
私の周りの真ん中さんはそんな感じなので、何かを見つけてほしいと願っています
考えの甘さ!ってなんだ?
子どもや部下を育てるということは、いつかは独り立ちさせようと思っているはず
まあ、今の世の中「さっさと独立してよ」といいつつ、全然独立させる気の無い自己愛性人格障害者が沢山居るのは事実なんだけど、とりあえずそういう人達は置いておくとしよう
我が子もそうなんだけど、何でも出来る
たぶん10才以上年上の人とでも同等の事をこなす
だからって、大人と同じように独り立ち出来るのか?っていうと全然だ
まだまだ甘い!!って感じるところだらけ
今の人達って、ネットで調べれば何でも正解が手に入る
YouTubeでやり方を教えて貰える
親や上司より、その検索の仕方も上手で短時間で正解が手に入る
だから、失敗する事がたぶん昔に比べて凄い少ないのかも
失敗して試行錯誤したり、微調整したりする必要も無いから、ピンポイントで正解の情報を手に入れるスキルばかりを身につけて成長していく
最近の「何でも出来る」ってたぶんその情報を手に入れる方法を豊富に持っていて真似が上手にできるってだけなんだ
はて、確かに何でも出来るけど、何でも出来ても独り立ち出来ない理由って何?って考えてみた
「自分で考えて自分で組み立てる事」なんじゃない?
今の人達はパーツを作るのは完璧だけど、それを組み立てる事を大人になるまであまりやっていないのかも
課題が与えられたら完璧にこなすけど、その課題がなんのために与えられたのかを全く考えていない
「これ、直して!」って言われたら直すけどじゃあ何でそこを直してって指示が出たのかなんてあんまり考えないから、最終的に何も出来上がらない
要するに、お野菜を切るけど、煮ることもしなければ味付けもしないようなものだ
これじゃあ一人で料理が出来るようになんてならない
その状態で「料理できるぜ!」なんて言ったら、「甘いな!」って言われるのは当然
「仕事できるぜ!」って言ったって、そんなの子供だって調べて出来るかもって思う
でも、パーツを作るのは完璧なんだ
教える方が何かを始めたばかりの時は全然出来なかった事が簡単に出来るのに、教える方がそれをこなせる位になった頃に出来ていた事が放っておくと全く出来ない
いつまで経っても、パーツ作りばかりで組み立てが出来ないのかも
だから、いきなり何かを任せても何から手をつけたらいいか分からず、パニックになっちゃうかもしれない
これ、私も子供達を育てる時に「足りていなかった!」と最近反省している
家族の一部に「これさえやっておけば文句を言われない」って感じの風がふわ~っと吹いてくる
独り立ちするには、組み立てる力をつけなきゃダメなんだ
どうすればいいんだろうな
日常で組み立てをさせないといけない
何がしたいか?そのために何が必要か?を考えて、必要な事を一つ一つやっていく事が大切かのこも
足りないなと思う事があっても、本人が気がつくまで手を出さなくてもいいのかも
失敗したらやる気が無くなっちゃうけど、やる気が出るまで待ってみないといけないのかも
見守るってそんな事かも
今の時代は「皆がせっかちで皆が完璧」ってところから始まっている
この時代では何かを考えて組み立てて完成させる過程は、実は凄く面倒でリスキーな作業なのかもしれない
圧倒的に足りてないこのリスキーな作業にぶち当たるのがいつか知らないけれど、そのいつかが突然やってくると、不登校とか出社拒否とか鬱とかになる人もいるのかもって思う
甘い!の中身って…今の時代だからこその問題点を持ったかなり面白いものだった
それを鍛えながら人を育てていけたらいいな!
面倒だなあ~と思う人
面倒な人ってどんな人かなあと?
自分と考え方がかけはなれた人が面倒かといえば、結構そうでも無いです
こういう人が面倒とかではなくて、考え方がどんなに自分と似ていてもかけはなれても、それを強要してきたり関わりをガンガンともってくる人が面倒なんじゃないかと思うんです
「かまってちゃん」とかは、こちらが構う時間や構ってあげたい思いがあるかとは無関係に構ってあげないと機嫌が悪くなる
これって、なかなか鬱陶しいです
「こだわりが強い人」も別に遠くで見てる分にはいいんですが、突然そのこだわりを近くで見せつけられて、少しでも強要されたら鬱陶しいです
「魚しか食べない!」とか言われて、お魚の出るお店に行くくらいならまだ良いけれど、そこでお肉や野菜を頼めない雰囲気なんか出されたらたまらないです
「お肉は見るのも嫌なんです~」ってボソッと言われたりしたら、もう一緒にご飯なんて行かないって心に誓います
自慢話とかも軽くならいいのかもしれませんが、ずっとは困るしマウンティングされたりするともう鬱陶しい
わざわざ人の上に立たなくても良くない?って思う
こんなことは、まあまあ当たり前なんだけど、ここでちょっぴり盲点があるんじゃないかなと思います
人間、色々な偏りとか障害とかクセを持っています
十人十色なのだから誰もが違う事は素敵な事なんですが、それを強要するのはやっぱり面倒だなと思います
特に障害者みたいに何かが偏り過ぎている人に対して、こんな人にはこんな対応をした方がいいよってあると思います
その対応が無理なく出来る人はとても素敵かもしれませんが、「障害者なんだから優しくするのが当然でしょ」っていうのも、ちょっと違うと思うんです
「優しくしなくちゃいけない!」って押し付けたら、近づきたくない人は多いと思います
だって面倒だもの
近くにいて、何もしない事で悪者扱いされたんじゃたまらないって思います
だからこそ、近くにいて助けてあげないって選択肢もアリかなと思います
何もしないで寄り添うだけを優しいと感じる人も必ずいるんだと思います
これ、面倒な人にとっての盲点なんじゃないかと…
何もしないことを避難したり、何かが出来ない人に対して厳しい人が良いわけでも無いけれど悪く言わなくてもいいんじゃない?って思うんです
自分の後始末が出来ない事に文句を言われてもいいんですが、他人を助けない事について人間としてひどい!とか言っているのを聞くと、なんだか偽善者っぽく聞こえるのかもな
「誰が稼いでると思ってるんだ!」
先日、夫が子供に「誰が稼いでると思ってるんだ!」と言ったそうな…
夫はここのところ自信喪失中です
気持ちも体も病んでいるし体力もだいぶ落ちてきているので、子供達が成長して反抗期やら思春期の向かってくる力に敵わなくなってきています
力も気力も若さも負けて、じゃあ後何が勝てるのか?と自問自答した挙げ句の言葉だったんだと思いますが、結構追い詰められてますなあ~と子供からこれを聞いて思いました
子供はだいぶ白けていたようです
ちなみに、夫は私にこれは絶対に言いません
反論されたら悲しいので、反論出来ない理解出来るけど言い返せない中途半端な年齢の子供に言うんでしょうね
うーん、家族は誰も夫を追い詰めてはいないのですが、自分で追い詰めています
パパは力持ちじゃないといけない
パパは強くないといけない
パパは何でも出来ないといけない
パパは偉くないといけない
と、こんなところでしょうか?
何にも出来なくても、いるだけで父親だと思うのですが、それでは不安なのかな~
それだと母に負けてしまうのかな~
勝ちも負けもないのですが、本人が「勝たないと男じゃない!」と思っているのかもしれません
そんなことを思う時点で、子供達にも負けそうだ!と焦っているのかもしれません
「いるだけで父親です」って言っているんですけど、伝わってないんでしょうね
いるだけで父親なのだから、権力を誇示するのではなく、生き方や何かに向き合う姿勢を子供達に見せてあげて欲しいなと思います
難しい!!
自己愛性人格障害者がそっと近づく人
自己愛性人格障害者がそっと近づいてきた
「私先輩です!」って感じです
子供をしっかりサポートする出来たママです
いえいえ、ママの言うことを良く聞く反抗期も無い勝ち気なお子様です
近づいた相手も、ママには歯向かわないで兄弟をバカにしながらずんずんと勝ち上がって行く小さな子
新参者です
「これは、そのうち自己愛性人格障害者の私を脅かす存在になりそうだ!」とでも思ったのかもしれない
仲良さそうに近づいて情報収集
って、たぶんどちらも思っているはず
どちらも自己愛性人格障害者ママ
自己愛性人格障害者は情報収集の際、必ず二人で話をします
こそこそと喋ることで、周囲に秘密を持っている様に想像させます
秘密とはとってもいい情報の事
とってもいい情報は、価値があるのでそっと教える物なのです
周囲から見たら秘密でも何でもありませんが、勿体ぶれば価値が有るように見えるのです
新参者には打ってつけですし、自分を頼って貰えるでしょう
そっと悪口を言ってもいい、そっと悪口を引き出し、お互いに相手の嫌いな人を知り、心の中で相手を出し抜いたと思っているのです
あんなに思い通りにいってそうなのに、白い服を着ていても黒く見えちゃうなんて、残念です
素直に今の幸せを感じられる事こそが幸せです
悪口を言われるだけなら、知らんぷりして離れていればいいのですが、そっと近づく人達に近づかれるのは嫌です
でもそれには理由があります
信頼関係もなしに、お得な情報をくれる人なんていないのです
当然っちゃ当然
それをわかって、それに気がついて、対抗意識を燃やさない様に比べてバカにしないように、評価をしっかりしてあげたらいいんだと思います
あの人達は誰彼構わず近づいて来るけれど、誰彼構わず攻撃するわけではありません
攻撃されるには理由があるのですから、もし攻撃されたら、攻撃を交わすことも大切ですが、その前の品定め時点での自分自身を振り返ってみようと思います
正当な評価!自分でするのは案外難しいのかもしれないです
大人女子の発達障害のハードルは
発達障害って聞くと、世の中はまだまだ学習障害を伴うイメージが強い
おまけにADHDの様に、うろうろと落ち着きのないイメージがほとんどかもしれない
「不注意とか衝動性で学校の授業についていけない男の子」っていうのが一般的なイメージかなと…
実際は自閉症スペクトラム(ASD)みたいに、学習面で全く問題がないというより、ずば抜けて出来るような障害もあるし、勉強が出来ないといっても好きな科目は出来るなんて子も沢山います
日本は学力主義なので、コミュニケーションに支障があっても勉強だけが出来れば周りもあまり「発達障害」というところに考えが及ばない
女の子の場合、「不注意」があっても「衝動性」が無い子も多く、学生時代はちょっぴり「天然で興味が無いときはぼーっとしている子」って感じで普通に過ごして来てしまう人も多い
男の子は「衝動性」のお陰で、小さい頃から周囲は発達障害を認識しやすく、対応も早めになる
周囲の勧めもあって、社会に出る時には研究職などその特性にあった職業につけることも多い
逆に女の子は、何も気がつかず社会に出ることも多い
就職後、男性より女性の方がコミュニケーション能力を求められることも多いので、「興味がないのでぼーっとしています」「次にやることが分からないので動けません」「空気が読めません」「ゴミが認識出来ません」「顔と名前を覚えることが出来ません」なんて事があると業務が勤まらない
突然、「ダメな人間」と言われて自己肯定感は無くなり鬱になったり、何かがおかしいと発達障害と向き合うことになるのかも
ではどうすれば…
別に、小さい頃に発達障害に関するテストを受けたほうがいいとは思わないが、成長する過程で得意不得意の偏りを誰もが知れたらいいなと思います
自分の偏りを自分自身で知って、皆がそれを活かして生きていけばいいのかな
勉強が出来ない人や皆と同じじゃない人がダメな訳じゃないです
人は誰よりも出来る事が必ずあるはずなんです
誰よりも出来るところを一生懸命見つけて、社会に貢献出来れば、色々な障害があっても自己肯定感も保てるし一人で生きていける方法が見つかるかもしれません
大人女子の発達障害は、世の中の隙間に入り込んで、大人になるまでとっても分かりにくかったものなのです
自分がそうかな?と思ったら、今までの事は置いておいて、テストを受けることもありだと思いますが、まずは、皆と同じや人と比べるのを諦めて、ひたすら自分の得意を探して生きやすい場所に移る事が大切だと思います
女性は皆と同じが好きなので、これを諦める事も、大人女子には高いハードルなのかもしれないです
頑張ろう!