心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

大人の発達障害かも?!

f:id:pilatesno-1:20210521232046j:plain


「ずっとなんだか生きにくかった」

 

もしそんなふうに思ったことがあったなら、原因は発達障害だったりするかもしれないです。

「生きにくい」って言葉、結構あいまいな感じですが、要するに自分の思い通りに自分が動けないと「なんだか上手くいかないな」と感じます

例えば、周囲が初めて取り組むことについて一般的に60%くらいの完成度で出来るものが、まさかの20%の完成度だったりすると、自分も周囲も「え~!!」って思います

なんか苦手だなって思うだろうし、迷惑だなって思ったり思われたりしちゃうかもしれないです

居心地が悪かったり、緊張したり、変に気を使ったり自分も周囲もちょっぴり身構えます

そんなことがストレスになって動けなくなっちゃう方もいるのかもしれません

 

 

では、なんで周囲が60%のところを20%しかできないのか?

ここに発達障害ご隠れている場合があるかもしれないのです

 

他の人が見ている部分が見れないとかです

 

原因として、見なきゃいけにところに集中しにくい頭の構造だったりします

 

その構造自体を変えることはなかなか難しいんですが、訓練で改善できるところも実は沢山あるんです

 

実は本人もあまり気が付いていないけれど発達障害があるかもね?!なんて方はの世の中たくさんいらっしゃいます

 

アジャスタイルのレッスンでは、実はそんな大人の発達障害をそっと生きにくくないレベルまで改善できるプログラムを組んでいます

 

ちょっとした生きにくさの原因が解消されることで生活がとっても楽になります

 

誰でも皆とは違います

出来ないところも出来るところもあるのは当たり前です

 

楽しく改善してこれからの人生を生きやすく楽しんでみませんか?

 

元気になってケガをする?

f:id:pilatesno-1:20210819025911j:plain

ピラティスのレッスンを受けて元気になる方がとっても多いです

 

動けるようになるってとっても嬉しいことで、今までなんとなく腰が重かった人が足取りが軽くなると、動きたくなるものです

 

いい事なのですが、体はすぐに変わらないし筋肉は突然出来たりはしません

 

徐々に力をつけて変わっていくんです

 

ピラティスのレッスンにコンスタントに通って元気になってきた頃に、お仕事等でレッスンをお休みする方が、次のレッスンの間までにケガをしてしまう事が多くて気になっています

 

どうすればそこでケガをしないようになるのか?と考えてはいるのですが、止めることが出来ません

 

私のレッスンではずっと「動きたくなる頭」と「動ける身体」を作ります!というテーマを掲げています

 

「動きたくなる頭」も「動ける身体」も2回もレッスンを受ければ、レッスン終了後には何となく手に入れられるんですが…

 

「動きたくなる頭」はかなり維持できても「動ける身体」は数日しかもちません

 

このタイムラグで、アクティブに予定を入れたけど、身体が追い付かないってなってしまうみたいです

 

   

 

そもそも体力がない人は予定を入れませんが、以前アクティブに動いていた方や男性は要注意なんです

 

何日も先の予定はいれられても、何日も先まで身体はもちません

だから、その間で捻挫したり腰を悪くしたり転んだり…

 

とはいえ、何度も言いますが本人の問題なので私にはどうすることも出来ません

 

ピラティスは体の調整が動いて出来るとっても素晴らしい運動の一つです

 

身体の調整とは身体と心の一致ですので、自分の身体の声を聞いて元気に過ごしていければいいなと思います

 

そのお手伝いはいたしますので…

 

  

健康的な生活を始めてから1年!!

f:id:pilatesno-1:20210627025446j:plain


健康的な生活で痩せよう!

と思い、とうとう1年が経ちました

 

夏休みの忙しさに1ヶ月飛ばしてしまいましたが…昨年のちょうど今頃思い立ったんだなあとちょっぴり感慨深いです

 

ところで1年後の今頃は10キロなんて軽々痩せているはずでした

 

フタを開けてみれば家族の問題やら自分の仕事やら緊急事態宣言のストレスや 自粛で、精神的な安定を図ることが本当に難しい日々

 

ここ1ヶ月は、ジムにも通えず家でもトレーニングなんて何もやらずでした

 

 

それでも、とにかく毎日の生活で精神的な安定を図る事だけは気を付けました

 

寝不足のまま頑張り過ぎない

家族に対して言いたいことは貯めない

親だけど妻だけど、良い親じゃないし良い妻でいる必要なんてない

 

しんどい時にしんどいと言い、頭に来たら頭に来た相手に怒る

 

運動という運動は出来なくても、あまり気にしない

 

そんなこんなで、1ヶ月で0.5キロ減でした

1年で5キロ減

 

体脂肪率は先月より若干上がっていますが、体型に変化はそれ程ないです

この結果、良しとしたい!

 

ただ、先日ジムに行ってみたら、走れない

30分間時速11キロで5.2キロ程走れていたのに、30分なんてもう死にそうで、時速10キロで20分しか走れませんでした

 

体力は落ちています

 

筋トレもしてみましたが、確実に回数が減っています

 

それでも仕方が無い

 

ジムの年配の方達に「久しぶりだね~、良く来たね~」って声を掛けられました

   

ありがたいです

 

このジムにも通い始めて1年

 

なんだかんだ言っても精神的な安定とダイエットの大きな味方だったりします

 

1年間、ダイエットを裏目標に掲げ精神的な安定を重視して健康的な生活を送ってみましたが、やっぱり健康的な生活や精神的な安定が一番大切です

 

免疫力も精神的な安定が大切です

 

そして、体型を保つ事にはストレスを貯めないことが不可欠だなあと改めて実感しました

 

そう思うと、太ったり痩せたりする方や痩せられない方の精神状態はきっと不安定なんだなあと思います

 

痩せなければ!と思う時は、自分の不安定な精神状態に気がついてあげないとけないのかもしれません

 

今はまだ目標の半分です

あと1年はかかるも

 

長いけど、安定を図る習慣が着くために必要な時間かもしれないです

 

頑張ろうと思います

 

ダイエットを目的に健康的な生活をしてみませんか?

元気と幸せが両方とも手に入りますよ

 

まっ、その分安定を試すとんでもない出来事が着いてきちゃうかもしれませんが…

 

pilatesno-1.hatenablog.com

 

 

パーソナリティー障害って治る?

f:id:pilatesno-1:20210307082146j:plain

これ、何回か書いてると思うけど…

 

 

パーソナリティー障害は、障害

 

病気?病院?精神科?

 

精神科に通えば治るの?って疑問

 

精神科で何をするのかは知らないけれど、私はパーソナリティー障害ってただ単に厄介な考え方だと思っている

 

そう、考え方

 

自分に対する極度の否定がその原因

 

親子関係に起因している場合も多い

   

だから、本人が病院を受診してもなかなか治ることは難しいのではないかと思う

 

パーソナリティー障害を治す鍵になる「自己肯定感を高める」って事は、信頼関係がとても大切

 

信頼関係の基本はやっぱり親子関係

 

一番身近な親との信頼関係がないと、それ以外の他人との信頼関係なんて皆無じゃない?

 

この障害の特性に気がついた恋人や配偶者がどんな手を尽くしても、どんなにパーソナリティー障害の事を学んでも、やっとの思いで本人を医者に連れていったとしてもなかなか治すことの出来ない難しいものなんじゃないかな

 

ただ、身近な人の対応で、そのパーソナリティー障害的な考え方を小さくする事は可能かなと…

 

周囲が自立した考え方を持って、パーソナリティー障害者から理不尽な考えを押し付けられても凛として跳ね返す事が出来れば、パーソナリティー障害的な考え方は力を強くすることが出来ない

 

簡単に書いたけれど、これが今の日本人にはなかなか難しい

 

そして、パーソナリティー障害者の近くにいる人こそ、とっても苦手な事かも

 

そもそも、パーソナリティー障害者になるには、土台となる環境がある

 

周囲が自立していないという土台

 

お互いに自立出来ない相手を好きになる土台

 

だから、自立する事とかけ離れた周囲の環境で、自立しないと治らないって物凄い矛盾を抱えることになる

 

自立している人が自立した考え方で動くのは簡単だけど、自立していない人が自立するのは本当に難しい

 

しかも、考え方を変えなきゃいけないのは一人じゃない

 

家族皆で変わるなんて…はっきり言って出来ない

 

だから、私にはパーソナリティー障害からの脱出の仕方が浮かばない

 

でも、きっとゼロじゃない

 

周囲がそのパーソナリティー障害者本人だけの問題ではなく自分の問題だと思うことで改善される事は沢山ある

 

いじめたり、叩いたり、怒鳴ったりする人が悪いけど、いじめる人も叩く人も怒鳴る人も相手を選んでいる

 

悪いのはいじめる側だけど、いじめられる側になってしまう理由もあるかもしれないって事

 

いじめられる側は悪くないけど、そのいじめっこから離れても、いじめっこを引き寄せる力を持っているならどこに行ってもいじめられちゃうかもって事

 

いじめる相手を非難しても、何も変わらないのかもってところに目を向けないといけない

 

悪いか悪くないのか?を気にするんじゃなく、自分がどうしたいか?どう思うか?を考えないといけない

 

人に迷惑を掛けない様に!じゃなくて、自分が嫌な思いをしないように!なんだ

 

日本人に向いてないなと思う

 

ほんと、日本人全体を変えないといけないかも…

 

日本人の良いところは協調性!

でも、協調性を大切にするあまりに自分の気持ちを大切に出来ないのは本末転倒なんだ

 

出来るかな?

治るかな?

 

ほんと難しいと思う

 

発達障害で時間が守れない?

f:id:pilatesno-1:20210521232046j:plain

私も待ち合わせ時間にはぎりぎりな方だけど、大人になっても約束を守れない人っている

 

理由はそれぞれだと思うんだけど、社会に出て時間を守らないと相手はどう思うかというと「その人と会うことを大切だと思っていない」「やる気がない」「信用が置けない」こんなとこかな?

 

まあ印象は良くない

 

確かに、やる気がなくて遅れる人もいるんだけど、実はやる気があるけど時間を守れない人もいる

 

やる気があるけど時間が守れない人は、ADHDとかADDとかの発達障害の可能性がある

 

特性を持っているから、許してあげてほしいなんて思っていない

 

やる気がないととられることも仕方のない事だけど、遅刻したこととやる気の問題は一致しないかもしれない事は頭に入れておくのも悪くないかも

 

私なりに、近くにいる人や本人はどうしたらいいかな~って考えてみました

 

まずは発達障害の特性による遅刻としてこんな感じがあるかもって例を挙げようと思う

 

発達障害の過集中によるもの

 

発達障害の中で過集中とか注意力散漫とか多動なんかが強く出ると、準備中何かを取りに行ってそこにあったものに集中してしまう

 

時間を経つのも忘れてしまうくらい集中してしまうので、気がついたら家を出る時間を過ぎていた!なんてことが起こる

 

歩いている途中で、気になるものを見つけたらそれが気になってそこで過集中が起こって遅刻するとかもある

 

発達障害の気になると進めない

 

前日に用意を終わらせていたとしても、ぎりぎりでカバンの中身が心配になって、調べずにはいられない

 

気になると、やらずに出る事が出来ないので気になってもう一度カバンから全ての準備物を出して調べてしまう

 

出る時間ぎりぎりなのに調べてしまうので、そのまま電車に乗り遅れてしまう

 

火止めたかな?とか、玄関のカギ閉めたかな?なんていうのも、頻度が多いならちょっと怪しい

   

発達障害のこだわり

 

どんなに急いでいてもルーティーンを崩せない

 

近道があっても、どうしてもこの道を通りたい

どんなに遅刻しても、このルートしか行けない

原因って何だろう?

どれも、優先順位が目の前の物になってしまうこと

絶対に何時に!ってところに優先順位をつけられない事が原因なのかも

 

解決方法はどうする?

解決方法をどうしよう?って考えてみた

絶対に何時!をひたすら1位に置く練習をするしかないのかも

 

例えば、子供たちは夏ならラジオ体操とかいいかも!

6:30までに行かないと、すぐ終わっちゃう

 

スタンプを集めるとかは子供でも大人でもなんとなく楽しいしいいモチベーションになる

髪がぐちゃぐちゃでも、ご飯を食べていなくてもとりあえず行かなきゃいけない

 

学校の遅刻はゆっくり行ってもみんなはいるけど、ラジオ体操は終わったら誰もいなくなる

 

誰も困らないし、時間の経過の練習するにはもってこいかも

 

大人だったら、時間を最優先に考えるルーティーンを作る事

手に今日の守らなきゃいけない時間を書いておくとか…

こだわりが強い部分を利用して、時間が守れるルーティーン作りを日々目指す事

準備は前日に必ずやるとか、持ち物は3回確認したらOKの付箋を貼って出かけるまで見ないとかかな

 

結論

心が病んでいたり、発達障がいだったり、やる気がなかったり遅刻といっても中身は色々

頭に来るときもあるけど、相手の遅刻を相手の意気込みと考えて自分のテンションに合わないことにイライラしてしまう前に、その人にとっても困り事かもしれない可能性を考えるのも悪くないかも

 

なーんて、遅刻されたらイラッとしちゃうけど…

 

 

遅刻といっても中身は色々

 

 

 

人間性と能力って関係無い?(自己愛性人格障害者)

f:id:pilatesno-1:20210719221252j:plain


自己愛性人格障害者は、とっても負けず嫌い

 

「誰かと競争してこそ生きている価値がある」この言葉こそが、自己愛性人格障害者の真髄

 

だから、全然出来ない奴ももちろん沢山いるけれど、競う相手と共にとてつもない成長をする人も多い

 

何かを始めたときに、競う相手が近くにいれば、ライバルとして自己愛性人格障害者同士でガンガンと成長して能力をつけて、その技術のトップになることだってある

 

だから、能力はあるけど、性格は最悪ってパターンは往々にしてある

 

というよりは半分以上そうかもしれない

 

そういう場合、能力だけを評価する事が出来るのか?

   

これは、とっても疑問

 

人間性…目上の相手にはとっても人当たりが良く、目下の相手には横暴で虫けらの様に扱う

 

全ての人に対して酷い人ではない

 

これも、とっても問題

 

ある人から見たら、横暴だなんて微塵も感じられない位素晴らしい人間性

 

能力もあって、一部の人だけに素晴らしい人間性

 

要するに、一部の人だけに横暴

 

これをどう捉えるか?

 

最低の人間性だから能力は評価しない!

 

って、ならないと思うんです

 

でも、最低だと思っている人達から見ると、人間として扱われないし捨てられるし、信じても搾取ばかりされるし脅されるし、近くにいるだけで害なんです

 

だから、暴露されて困ることばかりの自己愛性人格障害者だけど、誰かが暴露すると今いる周囲の人達にも迷惑がかかるかもって我慢している周囲は多い

 

虫けらだと思われても暴力やパワハラを受けても我慢している人たちは、自己愛性人格障害者達の成功なんて許せない

成功した瞬間に暴露話が出てきゃうなんてことはあるかも

 

私だって!たくさん持っているけど…

 

そんなときに、やっぱり能力は凄いから人間性を今は置いておきましょう!なんて言う人達も沢山いる

 

そして、その発言に物凄い反発する人もいる

 

過去にいじめをした人やパワハラをした人や暴力的な人や、虐待している人、DVをしている人やストーカーしてる人で能力がある人をどう扱うか?

 

虐待していても能力があれば良いの?

 

いじめて他人を精神的な死に追いやっても能力があればいいの?

 

程度の問題なの?

 

警察のお世話にならないことでも、酷いことは沢山あるのに、そこは能力があれば許されるの?

 

私にはどちらの意見を言う人も極端だと感じてしまう

 

この人達の能力だけを上手に生かして、悪いところを封じ込める方法ってないのかな?

 

って、ずっと思っているんです

 

今の社会は自己愛性人格障害者をどんどん増やして、悪いところが凄く目立って、なんだかギスギスしてしまう方向に進んでいる気がしてならない

 

極端に振れれば、戻るのかな?

 

それにしても、人を虫けらのように扱う人たちは…無理だな

虫を人のように大切にする人は好きかも…

 

承認要求を他人にしまくり、他人と比較して安心する自己愛性人格障害者ばかりが育つ社会を、自立した家族や自立した社会へ変える方法って…いったいどこにあるのかな?

 

親子の信頼関係をもう一度見直してみようかな

 

「もしこうだったらどうしよう?」過度な不安って面倒だ!



f:id:pilatesno-1:20210711024408j:image
何人かのグループで仕事をする時に絶対に一人はいるかもしれない

 

「もしこうだった時はどうするんでしょう?」ってやったら上の人に聞いている人

仕事がいかにも出来そうにせかせか動いて、細かいところまで気が付きます!風に過度な不安を想定しながら、ここぞとばかりに聞いている

 

そんな人絶対にいないでしょ!って人の事まで想定して、面倒な気を回させる

 

これ、本人は仕事が出来そうだと本気で思って意気揚々だけど、仕事が出来ない人の典型だ

   

要らぬ心配ばかりして、周囲を前に進ませない

 

さらっと流せる下らないところに時間をかけて、他人の時間も使い、自分の出来るアピールをしながら、周囲の労力を食い尽くす

 

 

おまけに、こういう人って主導権を握ろうとするから始末が悪い

 

仕事が出来る人って、問題が起こった時にそつなくこなす

何なら、その人がいるだけでその日の仕事が楽に感じる

何かがあったら、その人に一声かけると解決の糸口が見えてくる

 

別にその人が直接問題を解決してくれるわけじゃないのに、問題が解決する

周囲にもタイミングよく声を掛けてくれるので誰もが無駄な動きをしなくていい

笑顔で話しやすいので、問題が大きくならないうちに相談が出来たりするのもポイント

 

自然に人が集まる人

そう考えると、「コミュニケーション能力の高さ」がカギののかも

 

はじめの話に戻ろう!

「過度な不安を想定する」って、そもそもとんでもない人が目の前に現れる前提だったりする

 

それって、人間に対する不信感が半端ない

とんでもない人が自分の目の前に現れるかも?

とんでもないことが起きるかも?

とんでもない問題が起きた時に自分一人で解決しなきゃいけないかも?

 

なんか起きたら、その場にいる人で一緒に解決すればいいんじゃん!

って思っていたら、周囲の人と協力できる体制さえ作っておけばたいていのことは解決できる

 

結局、人間同士の信頼関係を築く気がない人ってことなのかも

 

そう考えると、仕事が出来る人と仕事が出来ない人の違いって、「信頼関係」かも

 

信頼関係を作る基礎は半分以上親子関係だから、親子関係がいいことが重要

 

親がいい事が重要じゃなくて、親が人間として今一だとしてもそれを受け入れて前に進んでいる人なら親子関係はいい

 

人間だからいいところもある

親だって完璧じゃないし、もちろん自分だって完璧じゃない

それでもいいところを生かしていいところを前面に押し出して良いところを見ながら生きていけばいいじゃん!って思えればいい

 

どんな親でも人間なので、人間を否定している限り、人間関係も信頼関係も上手くはいかないって事かもしれない

 

あの面倒な人達の正体は、信頼関係を築けない人達だったという結論

 

久しぶりにスッキリさっぱり出来たかも!!