心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人間性と能力って関係無い?(自己愛性人格障害者)

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自己愛性人格障害者は、とっても負けず嫌い

 

「誰かと競争してこそ生きている価値がある」この言葉こそが、自己愛性人格障害者の真髄

 

だから、全然出来ない奴ももちろん沢山いるけれど、競う相手と共にとてつもない成長をする人も多い

 

何かを始めたときに、競う相手が近くにいれば、ライバルとして自己愛性人格障害者同士でガンガンと成長して能力をつけて、その技術のトップになることだってある

 

だから、能力はあるけど、性格は最悪ってパターンは往々にしてある

 

というよりは半分以上そうかもしれない

 

そういう場合、能力だけを評価する事が出来るのか?

   

これは、とっても疑問

 

人間性…目上の相手にはとっても人当たりが良く、目下の相手には横暴で虫けらの様に扱う

 

全ての人に対して酷い人ではない

 

これも、とっても問題

 

ある人から見たら、横暴だなんて微塵も感じられない位素晴らしい人間性

 

能力もあって、一部の人だけに素晴らしい人間性

 

要するに、一部の人だけに横暴

 

これをどう捉えるか?

 

最低の人間性だから能力は評価しない!

 

って、ならないと思うんです

 

でも、最低だと思っている人達から見ると、人間として扱われないし捨てられるし、信じても搾取ばかりされるし脅されるし、近くにいるだけで害なんです

 

だから、暴露されて困ることばかりの自己愛性人格障害者だけど、誰かが暴露すると今いる周囲の人達にも迷惑がかかるかもって我慢している周囲は多い

 

虫けらだと思われても暴力やパワハラを受けても我慢している人たちは、自己愛性人格障害者達の成功なんて許せない

成功した瞬間に暴露話が出てきゃうなんてことはあるかも

 

私だって!たくさん持っているけど…

 

そんなときに、やっぱり能力は凄いから人間性を今は置いておきましょう!なんて言う人達も沢山いる

 

そして、その発言に物凄い反発する人もいる

 

過去にいじめをした人やパワハラをした人や暴力的な人や、虐待している人、DVをしている人やストーカーしてる人で能力がある人をどう扱うか?

 

虐待していても能力があれば良いの?

 

いじめて他人を精神的な死に追いやっても能力があればいいの?

 

程度の問題なの?

 

警察のお世話にならないことでも、酷いことは沢山あるのに、そこは能力があれば許されるの?

 

私にはどちらの意見を言う人も極端だと感じてしまう

 

この人達の能力だけを上手に生かして、悪いところを封じ込める方法ってないのかな?

 

って、ずっと思っているんです

 

今の社会は自己愛性人格障害者をどんどん増やして、悪いところが凄く目立って、なんだかギスギスしてしまう方向に進んでいる気がしてならない

 

極端に振れれば、戻るのかな?

 

それにしても、人を虫けらのように扱う人たちは…無理だな

虫を人のように大切にする人は好きかも…

 

承認要求を他人にしまくり、他人と比較して安心する自己愛性人格障害者ばかりが育つ社会を、自立した家族や自立した社会へ変える方法って…いったいどこにあるのかな?

 

親子の信頼関係をもう一度見直してみようかな