心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

暴力が止まらない仕組み??

f:id:pilatesno-1:20210209232652j:plain自己愛性人格障害者的な考え方だと、気持ちを気が済むまでぶつけてしまう

 

前回、そんな記事を書いた

 

やり過ぎてもやめられない自己愛性人格障害

https://pilatesno-1.hatenablog.com/entry/2020/02/27/003332

 

それに加えて、暴力がエスカレートしてしまう仕組みがある

 

自己愛性人格障害者達は、いい人でないと他人に自分が受け入れられないと思っている

   

 

常に一生懸命目の前の人の中の理想的ないい人を演じる

 

理想的な人は自分の中には無い

 

他人の理想を探して探してなんとなくこれだと思って演じる

 

それって考えただけでもストレスじゃない?

 

ありのままの自分は、演じてない自分

 

演じてない自分は、だめで最低な自分

 

でも、本当はだめで最低な自分を誰かに受け入れてもらいたいと思っている

 

物凄くストレスのかかっただめな自分を誰かになだめてもらいたい

 

「普段頑張っているのだからそれでもいいよ」と言ってもらいたい

 

それが、自己愛性人格障害者にとっての「愛」かもしれない

 

だから、ストレスをぶつける相手を自己愛性人格障害者は愛していると信じているし、それを受け入れてくれる相手も自分の事を愛してくれていると思っている

 

死ぬほどの暴力や暴言を受け入れたなら、死ぬほど愛しているとなる

 

そんなわけ無いだろう!!って普通の人は思う

 

そこまでしたら人間として扱われて無いだろう!!って周りの人は思う

 

でも、二人の間ではそれが成立してしまうから、「他人には分からないのよ」なーんて、やった方もやられた方も言ってしまうのかも

 

「愛」じゃないって気が付く事は、なかなか出来ない

 

やられた方が「自分を大切にしなきゃいけないな!」って思えば気が付く事はできるけど、やられた方は「相手の事を思う優しい自分」でいたい

 

「相手を大切にしてあげたい」と思ってると、自己愛性人格障害者との関係だと自分を犠牲にするしかないので、我慢するしかない

 

自己愛性人格障害者との関係で、並列の関係は存在しない

 

目の前の人間が不幸にならなきゃ、自分の幸せはない

 

目の前の人間が犠牲にならなきゃ、自分は満足出来ない

 

だから、自己愛性人格障害者の幸せを考えて身近にいるなら、常に不幸で常に犠牲を強いられないといけない

 

暴言や暴力を受ける事は、自己愛性人格障害者の幸せに繋がるはずだとお互い信じているから、どんどんとエスカレートする事はお互いの愛が深まる事だと信じている

 

エスカレートしていく事は、お互いに望んでいる事だったりする

 

そんなのって…

 

まあ、周りがどうこう言ってもどうにもならないのは当然

 

どちらもこの人しかいないと思ってる

 

どちらもこの人としかこの関係を維持できないと信じている

 

どちらも周りにこの深い愛を分かってもらいたいなんて思っていない

 

だから、外では不必要な位仲良しだったりもする

 

愛はどんどん深まっているのだから…

他人には分からないところで…

 

これ、親子でも夫婦でも恋人でも上司と部下でも友達でもある

 

そんな関係がおかしいよって気がつける様な人間を育てていきたいなと思ってるけど、出来るかな?

 

自分が大切だから他人も大切!

 

優しさは分け与えられる物だから、自分が優しさを持ってないと難しい

 

誰かに100の優しさを分け与えても、100の優しさが自分に残っている優しさって不思議な物なのだ

 

あげても減らない優しさは無限

 

自己愛性人格障害者達には一生手に入れない物だから、それを知った人は大切に周りに優しさを分け与えていけばいいなと思う