クラスにグループが3つあって、どのグループにも自己愛性人格障害者が何人かいるとする
もちろんそれに伴い取り巻きも何人かいる
1つのグループの中で自己愛性人格障害者が初めは個々に問題を起こす
誰かと対立関係を作り、グループの中を引っ掻き回す
ある日、自己愛性人格障害者と距離を取る人がなんとなく自己愛性人格障害者を敬遠しながらそのグループをまとめようとしたとする
そこにいる自己愛性人格障害者は「のけ者にされそうだ!」「リーダーの席をあいつに取られそうだ!」と焦る
他の自己愛性人格障害者や取り巻きと手を組んで、まとめ役の悪い噂を立てようとするかもしれない
でも、その時点で周りはまとめ役に固められているとしたら、その自己愛性人格障害者はここにいては思い通りにならないし、自分の立場は悪くなると思い、そのグループから他のグループへ逃げようとする
移動はなるべく複数がいいと自己愛性人格障害者は思う
引き連れて行けるなら、自己愛性人格障害者と仲間たちでの移動したい
自己愛性人格障害者がもしそのまとめ役にそのグループを追いやられた事実があったとしても「やめてやったのよ、あのグループは最悪で、まとめ役は人を操って自分の思い通りにしようとしてるのよ」とか「あのグループはぬるいのよ。やっぱり成長するにはライバルが必要よね」と言うだろう
投影だ!
自己愛性人格障害者は移動した先でそんな悪口や元のグループの内情をお得情報として新しいグループの仲間に売り付けながら近づく
その自己愛性人格障害者のいなくなったグループはさぞかし平和でまとまることでしょうと思いきや、そんなに甘くはない
自己愛性人格障害者に引っ掻き回されたグループ内は既に自己愛性人格障害的な考え方の人のそんな思考を呼び覚ます
自己愛性人格障害者に対立を仕掛けられて乗ってしまうような人達は、そもそも対立をして生きていると実感する人達
対立が無くなってしまうと少し心が寂しくなる
そして、何人かがいなくなったそのグループをも寂しく思う
同じグループへのある程度の人数の動きがあった場合は、追いやられた経緯が分かっていても「あっちのグループに移ったほうが良いのかも」と思い始める
なぜか?
そもそも、自己愛性人格障害者的な考え方の人達は、他人の評価が気になる
自己愛性人格障害者の「あんなグループ最低よ、初めからこっちのグループに行きたかったのよ」なんて言葉に心が揺らぐ
平和なグループも寂しく感じる
自分のいる場所の良さや悪さを自分で評価出来ない人達なので、大きくなった他のグループに魅力を感じるし、小さくなったそのグループが本当に良いのか分からなくなってしまうのだ
気がつくと、その大きなグループを羨みながら、平和なグループにケチをつけるようになる
「やっぱりまとめ役はあの人達が言うように何だか良くないのかも?!」とか、「ゆったりし過ぎてうちには合わないかも」とか、「もっとカツを入れてくれないとやる気が起きない」とか言ってくる
自己愛性人格障害者がいるピリピリした競争の空気が合っていると思うのだ
結果、その人達も自己愛性人格障害者と同じグループに移動して行ってしまうこともあるかもしれない
その元にいたグループがどんなに素敵だったとしても平和でも、自己愛性人格障害者的な損得や勝ち負けの価値感と他人の評価が全ての人達には、その素敵さは測れない
どこに行っても、どんなに幸せでも、幸せを感じる事が出来ないのだ
ずっと幸せを探し求めて、他人を羨ましく思い移動する人達
いません?
移動する場所があるうちは良いけど、無くなったらどうしましょうか?
その頃にはクラスも変わると待ちましょうか?
これが会社だったらどうします?
転職でしょうか?
そうやって自己愛性人格障害者は引っ掻き回すんです
でも、結局それって元々そこにいた人達が持っていた性質を表に出しただけ
自分の幸せや居心地の良さはそこと合っていますか?って問われているだけだと思うんです
そのグループが立ち直るのに、ガラリと人が変わる位の時間がかかってしまう事もあるかもしれないけれど、もし自己愛性人格障害者の事を分かっている素敵なトップなら、少人数で自立した良いグループが出来上がると思うんです
なんて、学生の頃にはそんな事は分からなかったなあ
そんな悟った同級生もいないし、いても困るとは思うけど…
今戻ってもなんとか出来ないし、結局一人じゃ難しいな
いつか同士なんて思える人とそんなグループを目指して作ることが出来たらちょっと面白いかも
自己愛性人格障害者達の引っ掻き回した後をどうするか?
自己愛性人格障害者に引っ掻き回されるのは大変なんだけど、そこにも課題はあると思うので、平和を噛み締めて課題に取り組めるカッコいい大人になってみるのも悪くないかもしれません