心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者が移動すると

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自己愛性人格障害者は、相手がどんな人かによって態度を変える人達

レベル1の無視から始まって、レベル10の最大限の称賛まで、まずは目の前にいる人のレベルを決めてから話し出す

だから、初めにいたグループでは物凄く強気のワンマンリーダ的な人でも、自分より強い人達が沢山いる所に移動すると使いっぱしりみたいな役になったりしちゃう

そして、もちろん周りにもそれを強要する




引っ掻き回し過ぎて、数人で追い出されたりすると、いったいこの先あの人達はどうなるんだろう?って気になるけど、強い人達が沢山いる所に行ってしまえば静かになってしまう

小さなグループに行けば、また天下をとって暴れ始めるし、場所によってコロコロと態度を変える事になる


それって当たり前じゃない?と思った人は危険かも


自分をしっかり持っている人は、どこに行こうとスタンスは変えていない

そこになじまない訳ではないし、失礼な態度を取るわけでもないけれど、その中で居心地のいい場所を探す

もし居心地のいい場所が無かったら、群れないで一人でいる事も気にしない


レベル分けなんてしないから、自分より上の人にも下の人にも態度を変えて接することは無い

物凄く上の人でも大親友が出来るし、皆が群がっているような人気者でも苦手なら近づきもしない


自分を持っている自立した人がグループを移動する時はもちろん一人での移動

なのに、仲のいい人が喋らなくなるわけじゃなく、知り合いの輪がどんどんと広がって行く

グループの垣根も容易く越えさせて、手を取り合う事が可能


それに対して自己愛性人格障害者が移動するときは、一人って少ない

誰か取り巻きを引き連れての移動

移動元はストレスから開放されるからせいせいするだけで、人間関係は全て切れる

自己愛性人格障害者は、関係無い物は無能だと思っているので、前の職場やグループの悪口を言いふらしながらその情報を売り捌いて次のグループへと移る


垣根を越えた友達も知り合いも出来ないし、現在のグループで仲良しごっこをして、毎日を過ごすのかもしれない


色々の人が色々な所に所属して抜けてを繰り返すけれど、自己愛性人格障害者は今までの出会いが自慢話にしかならない

パツンと切れてしまっていてもどうでもいいのだ


自立した人達にとって出会いは大切だけど、人脈じゃない

自分の為に使うのではなく、誰かと誰かを繋ぐ橋渡しみたいな存在でいる自分の中にある引き出しの一つみたいなそんな感じなのかな


誰かが移動した時に、その後に残った物を覗いて見ると面白いかもしれない


そう考えたら、自立した人にとっては、どんなに酷い状態で放り出されたとしても、自分の本意では無くても、移動する事は「出会いを楽しむチャンス」なのかもしれないです


自己愛性人格障害者にとっても、移動はリセット出来るチャンスです

でも、出会いを楽しむチャンスではないので、目先の利益の転がり方が違う所に動いて、自分の理想を追い求めて行くだけでしか無いのかもしれません