心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

先生や社長が自己愛性人格障害者だといじめは横行する

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学校の先生のいじめが騒がれているけれど、学校でも会社でもグループでもトップが自己愛性人格障害者でひいきしたり陥れたりいじめたりすると、周りは自己愛性人格障害的な考え方の人達が増え、いじめが横行する

 

自己愛性人格障害者は支配的だ

 

トップが自己愛性人格障害者であれば自分の思い通りになるよく言うことを聞く人を評価する

言うことを聞くということは、良いこと悪いことの判断はそのトップの意向を丸々反映しなければいけないということで、その人自身の判断を求めているわけではない

   

先生や社長が良いなと思いそうな事をすれば評価されるし、都合が悪そうだなと思う事は言わない方が評価されるのだ

 

そこは良いこと悪いことの判断は自分ですべきではない場所となる

 

なので、今の時代数少ない自立した考え方を持った自分で考えたい人達や成長(自立)の早い子供達はその自己愛性人格障害者がトップで支配している場所にいることに物凄い苦痛を感じることになる

 

もちろん、自立して自分の考え方を持った支配しにくい人や子供達は自己愛性人格障害者である先生や社長にとってはかなり疎ましい

 

トップの意向を汲むことが評価に繋がるから、トップに疎ましいと思われる人を排除することがトップの評価に繋がる

 

結果、トップが「こいつ面倒だな!」なんていえば、その人は排除して当然の人物となりあっという間にいじめの対象になる

 

小さなグループでもそうだが、大きなグループでも圧倒的な力を持つ人が、どこを評価するかは重要だ

 

自己愛性人格障害者が世の中には増えている

 

しかも沢山の生徒という家来を従えられる先生なんて職業は自己愛性人格障害者が多い職業だと思う

 

そんなところで、自己愛性人格障害者を量産して、自立した人を潰すような今の学校の制度はいかがな物かと思う

 

せめて、あまりにも強い自己愛性人格障害者的な先生は休職とかにしてくれればいいのかな

 

自己愛性人格障害者的な人が全て悪い訳では無いだけに、切り捨てる事も出来ないし難しい問題だと思う

 

ほんと、人間紙一重

 

あの強烈な劣等感が血の滲むような努力する原動力になる

 

死ぬか評価されるかの選択を常にしている人達を、全て否定することなんて出来ない

 

努力の原動力にも良し悪しがあるのかもしれないが、人を陥れるための努力と自分が成長するための努力との区別なんてつかない

 

思いがどんなに荒んでいても、成績トップは称賛されるし称賛されて当然だ

 

数字にこだわる自己愛性人格障害者が先生なら子供達の成績を上げてくれるかもしれないし、社長やグループ長なら営業成績は高いかもしれない

 

ある程度組み込まれた状態から、その有能な人達を考え方が狂っているからって外すのは難しい

 

自己愛性人格障害者達が害を出さないように権限を渡さず上手にコントロールしながら共存出来るようにすることが社会の課題なのかなと思う

 

大人も子供も自立した人を育てたり支えたり出来る人が増えていくといいな

 

どちらも私の課題で、只今挑戦中です!