心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

皆が動くとそわそわしちゃうじゃん

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何ヶ月か前に自己愛性人格障害者が、影響力を誇示しようとガチャガチャ引っ掻き回して動いてみたけど、誰も取合わず結局去って行った場所がある

 

自己愛性人格障害者が居なくなって平和が訪れると楽観的な空気に、なんとなく警戒していた

   

自己愛性人格障害者が周囲を引っ掻き回すと、自己愛性人格障害的な考え方の人はどちらについたら得なのかを見極める

 

この場合、自己愛性人格障害者につかない方が得だと思ったから自己愛性人格障害者に取り合わなかっただけで、自分をもっているから取り合わなかった訳ではない

 

最終的には自己愛性人格障害者が去って行ったので、選択は正しかったのだと結論づける事案

 

この人達はこの自己愛性人格障害者が居なくなった後はどうするのか?

 

自己愛性人格障害的な考え方の人達は、常に損得勘定が働く

 

今の状況で誰に付けば得なのか?を考える

 

自己愛性人格障害者が居なくなったらその自己愛性人格障害者を除いたメンバーの中で一番誰と居れば得なのかを考える

 

「あの人よりあの人の方がいい」と、こぞって次に担ぐ人を探すのだ

 

そして、同じ人を担ぐ取り巻き達の中で一番を狙う

   

もし担いだ人が偉くなったら、私におこぼれをもらえますか?と何も言わずにそっと契約を結ぶのだ

 

「契約」もちろんそんなものは無い

 

でも、人は何かしてもらうとしなきゃいけないかなって思うもの

 

その心理をうまく使って恩を売る

 

担いだ相手が自己愛性人格障害者であれば、それは餌となり、契約はどんどんと結ばれる

 

その取り巻き達は誰もがその取り巻きの中で一番になりたい

 

何の得も無くても、何の保証も無くても、見込みだけでそのピラミッドはどんどんと巨大化していく

 

そして、周りが気になる人達は、そのピラミッドに飲み込まれていく

 

なんだか分からないけど、一番になるといいらしいという構造に組み込まれ、目的をそこに置いて動き出す

 

「そのうち、私達がスタンダードだ!」と騒ぎ出す

 

気が付けば、あんなに嫌がっていた自己愛性人格障害者と同じ事、やりだすかもしれない

 

あーあー、と思いながら全体を遠目で見ているが、あーあー、と思いながら適度な距離を保っているが、あまりの担ぎっぷりにそわそわしちゃうかも

 

ちなみに!ここでも自己愛性人格障害的な考え方の人達に「担がれてもなびかかないよ」って態度で全体に平等を保っていれば、多少担いではみるものの諦める

 

ここで担がれるのは、基本的には仲の良い人とそうでない人で態度が変わる人

 

お金持ちかそうでない人で態度を変える人

 

人に対して偏見を持つ人

 

何かに劣等感があって、それを誇示しないといられない人

 

そういう人は、「やっぱりあなたは周りとは違って素敵だわ」とよいしょされながら担がれる

 

悪い気はしないので、そのままその人達と仲良くしていると、その人達からの情報しか入ってこなくなる

 

気が付けば、なびかなかった人への悪口

 

担げなかった人への悪口

 

そんな人達を皆でいじめたりしはじめちゃう

 

結局自己愛性人格障害的な考え方の人達が皆でグループを作りいじめ

 

前と何にも変わらないかもしれない

 

そして、またその人達は去って行くのかもしれません

 

 

困ったなあ

 

 

今日の友が明日の敵にならないように、そっとそっと動きたいですね

 

どんなに自立していてもそわそわしちゃうな