心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「親子で遊べない??」違和感の意味

f:id:pilatesno-1:20210307082728j:plain

海や川に行くと、違和感のある親っている

 

公園にいる幼稚園のママみたいな…子供が遊んでいるのに…見てるだけ??みたいな

 

「公園に連れて行ってしまえば親の役割はおしまい」と思っている親は多いのかもしれない

 

「遊べるところに連れていけばおしまい」

 

そういう子供達は、親に共感を求めない

 

そして、なぜか他人に共感を求める

   

「ねえねえ、これ採れた」「これ見て」と他人である私に共感を求める他人の子供達

 

親には自分の成果を見せに行かない??

 

だって、親は共感してくれる相手ではないから

 

そんな親達は、海や川に行ったからって変わらない

 

海や川は危ないよね

 

親の出番は多いはず

 

一緒に遊びながら、子供達を守らないと!

 

でも、まず一緒には遊ばない

 

海や川が危ないとも思っていないのか、子供が見えるところに座っているだけ

 

これで何度も遊びに来ているわけではない

 

衝撃だ

 

初めての川遊び

 

用意もろくにせず、一緒にも遊ばず、共感もせず、守りもしない

 

でも、分かった気がする

 

川だろうが海だろうが、公園と変わらないのかもしれない

 

そもそも、「子供達は勝手に遊ぶもの」と思っている親達は、子供と大人の間に境界線がある

 

「大人は遊ばないもの」なのかもしれない

 

違う生物だから、共感する事なんて想像すらしていないのかもしれない

 

 

これに私は違和感があったのかも!?

 

 

「とことん遊ぶ大人」が私は好きだ

 

これが、成功のカギじゃないかと最近思う

 

子供と遊んでいるときに親が本気で遊んでいるのを見て、子供達は大人になったら出来る事が増える事を知る

 

大きくなることを楽しみに大人を目指すのかもしれない

 

何かを見つけたら「みつけた!」といって「凄いじゃん!」って言われたい

 

それだけじゃなくて「俺だって凄いぞ!」ってパパが凄いものを見つけたら「おお、やっぱりパパ凄い!」って思うのだ

 

そんな関係が無いことへの違和感をずっと私は感じていたんだ

 

だから私は「めざせNO.1」親子運動プログラムをやっているのかもしれない

 

私は、子供に運動を教えながら、親に遊ぶ事を教えているのかもしれない

 

親が先陣を切って子供達より楽しんで遊ぶ事や子供達に共感する事で、親子の信頼関係を作っていたのだ

 

「めざせNO.1」に来た親子の関係がみるみる変化していく理由や、自分がやっていることの意味が分かって目からウロコだ

mezase-no123pilates.jimdofree.com

 

何を思って、何を教えていけばいいのか分かった気がする

 

これからは、そっと裏コンセプトを持ちながら親子の運動を教えていきたい

 

違和感の正体が分かったら、別のスッキリが得られたじゃん!

 

それにしても、この親子関係が増えている

 

大丈夫か?日本??