心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

想像力が育てる人間関係

前記事でバーチャル砂場で想像力が欠如しそう!って書いた

 

想像力って、共感性を作る大切な物

 

他人の気持ちや思いは見えないし自分で経験する事も出来ない

 

それを思い考える事は想像力でしかない

 

今の時代の子供達、砂場で遊ぶ事は愚か公園で遊んでいる事も少ない

 

我が子が誰もいない昼間の公園で1時間一人で遊んでいたのは、かなりびっくりしたけれど、子供って何もないのに何時間も一人で「想像の中の宇宙で戦いごっこ」とか…大人じゃちょっと飽きちゃうような事を平気で出来る

 

ブロックで動物園を作ったり、積み木でお城を作ったり…

 

色をつけない無垢の木の積み木なら、そのお城は想像で虹色やレンガ、もしかしたら純金で出来た輝く城へと変わる

 

でも、今の子供達はどうだろう?

 

幼稚園や学校から早く帰ってきたら、家でテレビを見たりゲームをしたり…

 

「静かにして欲しかったらYouTubeでも見とけば」なんて提案をされてしまう始末

 

テレビってボーっと見る事が出来る

何にも考えなくていい

 

ゲームなんて考えてると思うかもしれないが、ゲームが出来たら何が出来るのかな?

ゲームで勝つ事以外の思考がストップする

 

携帯でやるゲームは、作り手はとにかく長くやってもらいたい

 

人をずっと釘付けにしたい

 

楽しくて止めたくないような物になるように技術を駆使して作る

 

だから、ゲームにびっくりするほどの時間を費やす

はっきりって依存

 

最近、色々な待ち時間の親子をみると、親はゲーム、子供はYouTube、なんて光景はよく見る

 

他人が座った瞬間に狂ったようにゲームをする姿に嫌悪感どころか恐怖を覚えるけど、静かならそれでいい

 

メディアに釘付けになる時間は、どんどん増えている

そして明らかに無駄な時間

 

考えず身にもならない勿体無い時間の使い方なのだ

 

昔はその時間で出来る事をもっともっとやっていた

 

家族で喋ったり、トランプしたり、外で遊んんだり…もちろん勉強をしたり物を作ったり、絵を書いたり本を読んだり…

 

今より昔の方がやっぱり人とのコミュニケーションもとっていた

 

コミュニケーションを取る時間と考える時間を奪ったゲーム等のメディアの影響って大きい

 

小さい頃の想像力を欠いた遊びのせいで、人の気持ちが自分と一緒だと当たり前に思う人達が増えている

 

自分が急いでいれば、前の人も急いでいないと気がすまない

 

自分の気持ちを当たり前に分からない他人にイライラして牙を剥く

 

ゲームやメディアで想像力を欠いた人間をこれ以上増やしてしまうのもどうなんだろう

 

だからって、他人のメディア時間は家族でも規制するのが難しい

 

頭も悪くなるし、人間も成長出来なくなる

 

ちなみに、お金持ちにもなれないらしいよ

 

とりあえず、自分達のメディアの時間を減らすと何かが変わるかもね