心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

逃げるのは最終手段

自己愛性人格障害者のターゲットになった時は逃げた方がいいと私は思う

いじめられた時、自殺するなら不登校になった方がいい

命や精神に危険が及ぶなら、逃げなければいけないと思う

でも、それはあくまで最終手段として使って欲しい

嫌な人と無理矢理付き合わなきゃいけない訳では無いし、いじめる方が悪くない訳ではないけど、嫌いな人と付き合わないで生きて行く事って出来ない

苦手な人がいない世界をその人が作れるのなら、そんな自分にとって理想の世界を作ればいい

もし、そんな世界を作る技量が無いなら、苦手な人の苦手な所をスルーして、距離を取る方法を身につけたり探したりしないといけないかもしれない

いじめられた事や、朝起きれない事、人との関係に疲れた事その他色々な事があって不登校になったり、会社に行けなくなったりした人とも、いつかその苦手と向き合わないと、いつまで経ってもその先に進めない

ずっと好きな事をして好きな人と生きて行くのは楽かもしれない

でも、生きている限り日本に住んでいる限り労働は義務だ

その義務がその年齢になっても出来ないのなら、出来るようにピリピリとした厳しいフィルターから、もっと何でも通せる緩いフィルターに変えていかないといけない

今のままでは、針の穴に糸を通すような条件の整った事しか許せず、それ以外の事は逃げなくてはならなくなってしまう

大多数がかなり厳しいフィルターをもっている今の世の中では生きていくのも大変だが、だからこそあんまり気にしない緩いフィルターを持つ事を目指して欲しいなと思う

鈍感を目指すのではなく、気が付いても許してあげられる想像力や思いやりがある人間力を目指して欲しい

やる前に逃げてしまったり、もう既に挑まないのでは無く、ギリギリまで乗り越える方法を模索してそれでも無理そうなら、自分を守るために逃げる選択を取ってもらいたい

始めから逃げる選択があると人間は楽を取る

逃げる事は、始めからある選択肢では無いと心にとめておかないといけないなと思った