最近は「やりたくない事から逃げてもいいよ」って教育や社会が流行り
いじめやパワハラも増えているので、そこから逃げるのも自分の身を守る一つの方法だからだとは思う
私も自己愛性人格障害者からの猛攻撃で心を壊されてしまうのなら逃げるべきだと思っている
ただ、それはあくまで「壊されてしまうのなら」
生きていても死んだも同然とか、自殺を考えるとか、そんなことなら逃げるべきだと思う
でも、ただ嫌だから
友達が面倒だから
歩くのも嫌だから
同僚や上司が面倒だから
そんな理由で逃げられたんじゃたまらない
未熟な人に「好きなことだけしてればいいよ」って言っているわけじゃないのに、いつの間にかそうなっている気がする
そんなんじゃ嫌な事があったりイライラしたりする自分をコントロール出来るようになる訳がないんです
嫌な事でもその中で楽しみを見つけられる事もあるし、食わず嫌いかもしれないです
出来ない事が出来るようになる経験で、初めての事にチャレンジする力や、心構えの仕方を身に着けて、出来るようになる過程で目標の設定の仕方や練習方法や準備の仕方を学ぶんだと思います
自分を信じる力がなかったり、心が弱いと、出来なかったり出来なそうだったり嫌になったり追い詰められたりした時に逃げる事しか浮かばない
人間どこかで、「逃げたって始まらない」って覚悟を決めて進む事が、心をコントロールする為には大切です
これはいつ学んでもいいと思うのですが、若い時なら身についた後の人生も楽だなと思います
先日、ある番組で「バク転を参加者が連続で出来るまで合宿」なんてのをやっていました
番組内でも言っていましたが、体操競技は恐怖との戦いなんです
失敗して頭から落ちたりすると、今まで簡単に出来ていた事が全くできなくなるんです
足がびくとも動かなくなるんです
その恐怖を克服しない限り練習が出来ないんです
多分、どんなスポーツでもそんな戦いはあると思います
プレッシャーをかけるのも自分だし、怖いと思うのも自分です
そして信じて前に進むのも自分なんです
自分を信じて心をコントロールする事が重要だと言う事を最近は「メンタルが大事」なんていいます
多分どんなスポーツでもスポーツではなくてもメンタルは養われるものだと思うのですが、最近はそんなメンタルを問われる場面から「逃げても良いよ」って子育てをする人達もいるのかもって思います
スパルタで競技に向かう事なんて少ない今の時代で、そんなプレッシャーをかけながらスポーツをする人はごく一部かなと思います
昔なら、毎日同じ人と遊ぶ事やかなり危なっかしい遊びを緊張感を持ちながらやっていた子供時代も今はないと思います
「どうしても出来るようになりたい」とか「見栄を張ってしまったから頑張って練習してやる!」なんて事も少ない
出来ない事は「やりたくない」と避けて、恥ずかしい事からは逃げて、嫌になったら「やめてもいいよ」ってどうなんだろう?って思います
気が付けば、心をコントロールしなければいけない時が少なくなって、集中力や度胸もつかず、自分を信じる機会が少なくなってしまっているのかも
自己肯定感が低い人が増えて、他人をバカにしないと生きていけない人達が増えて、失敗するとバカにされるからはじめからやらない人達も増えて来た
嫌な事に向き合わなきゃいけないなら、向き合った先に良いことがあると自分の心をコントロールするけれど、嫌だったら逃げればいいなら、自分の気持ちの赴くままに生きればいい
頭に来てイライラしても、その人と上手くやらなきゃいけないならイライラを抑えこもうとするけれど、嫌ならその人と一緒にいなくてもいいなら、イライラを全面に出してぶっちぎれたって構わない
なんなら、何も言わずにそこからいなくなったって構わないと思うかも
そんな自分の心をコントロールする事を学ぶ機会が減ってしまった事が、心をコントロールする事が出来ない人達を増やしている一つの要因なんじゃないかと思います
ただ「嫌な事でも頑張ってやりなさい」って言っている訳じゃないんですが、嫌な事でも抱合せでやれちゃう位、夢中になれる何かが見つかれば良いのかもしれないです
そんな物が見つかる人ばかりじゃないですが、色々な人が自信が持てる事に出合えるといいな
実は、どこかで嫌な事から逃げれば平穏な生活が出来ると思っていた私ですが、目からウロコ!
嫌な事に向き合った後に得られる素晴らしい物があるかもしれない経験を沢山する事が、心穏やかに過ごすために大切な事かもしれません
なんかとっても矛盾していて面白い(^^)