心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

困難はその人に必要な事??

何か困難があった時、その困難は自分には必要な事だと考えられるかどうか?

 

乗り越えて何年か経ってからその考えに至ることがあっても、その最中にそれを思う事は出来ない

 

しかも、その困難を乗り越えなければその考えに至る事は出来ない

 

でも、どんな困難でも困難の中立ち向かい這い上がってみると、他の人の困難がその人に必要な事だという事が分かる

 

この大変な現状をこの年齢で受け止めなければならないのか?と思うほどの事が起こっても、その人にはその困難を乗り越える意味があるのだと思う

 

「人は自分の行くべきところにいけないと、そこに向かわせようと色々な事が起こる」と言ってくれた人がいた

 

そうなのかもしれないと思う

 

だから、今が順調なら周りの誰かに出会うためにそこにいるのかもしれないし、今が困難の最中なら、そこを越えないと自分の出会うべき人には出会えないのかもしれない

 

有名な人に困難が訪れた時は、その有名な人にしか出来ない何かをそこで周知させるチャンスなのかもしれないし、その人が周りの支えをもっと感じてもっと支えられて生きて行く必要があるのかもと思う

 

だから、やっぱり何かの困難が報道された時、その困難は心配な事たけれど、それと同時にその人の活躍が楽しみだと思う

 

困難が大きければ大きいほど、支えてくれる人も増え、優しさに触れる事も多く、自分の小ささや自分の役割に思いを馳せる時間も持てるのかもしれない

 

人への感謝が足りない人には感謝出来る様な困難が、優しさを知らない人には優しさを実感出来るような困難が、もっと大きな支えが必要な人にはこの後の支えに行き着くための困難がきっと訪れる

 

何に行き着くかなんて分からないかもしれないけれど、自分も他人もいつかここだったのかって思える日が来るといいなと思う

 

 

自己愛性人格障害者のように困難が多そうに見えるだけで逃げてばかりいる様な人は、何も得れず何も分からず優しさに触れる事もない

 

だから、ぜひ前を向いて自分自身で歩いて欲しい

逃げたら益々困難が訪れるかもしれない

 

その場から逃げる事も前を向く行為かもしれない

 

その行動が前を向けるものかを自分で考えて進んでみて下さい