心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

他人に任せる子育てにも限度があると思う

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子供達は遊びに行ったときに「ママ見て!」「パパ見て!」と言う

 

ごく普通の光景

 

でも、基本共感してくれない親に子供達はそれを言わない

 

返事が返って来ない人にそれを言う事は、子供にとって辛い

 

無視されていると思うから

 

それは悲しい

 

悲しい思いはしたくないし、傷つきたくないから始めからしないのだ

 

子供達と遊びに行った時や習い事について行くと、たまに私や主人に他人の子が近寄って来ることがある

 

私に見て欲しいと視線を送って来る子もいる

 

出来た事を報告してくる事もある

 

私は「おっ凄いね〜」と言うのだが、いつも疑問だった

 

たいてい、その親は遊びに参加しない

 

そして、誰にも増して親が習い事に熱心だし過保護な場合も多い

 

 

その熱心な親に「見て欲しい」と言わずになぜ他人である私に見てほしいのか?親に一番褒めて貰いたいのでは無いのか?ととにかく疑問だらけだった

 

でも、その親はたいてい子供の近くにいても子供を見ていない

 

ママ達との話に夢中だ

 

自己愛性人格障害の親も多い

 

共感性は望めない

 

そうなると、子供は親の共感を受けることを諦める

 

他の人に求めて来るのかもしれない

 

 

そのうち、うちの子や私を妬む人もいる

意地悪する人もいる

 

うちの子供に意地悪をするのに親の私に見て欲しいと視線を送る事や私に出来た事をニコニコと話に来る事は私には考えられない

 

こちらは距離を取りたいのに近づいてくる

 

もう、「凄いね!」と言う事をやめてしまう事もある

 

出来るだけ距離をとって無視してしまう事もある

 

 

それでもそういう子達は、ずっと羨ましいと思っているのだろうか?

 

こちらに視線を送り続ける

 

 

習い事や学校の先生に全てを任せるのは構わない

しつけまでをも先生に預けてしまっても、先生も困るだろうが、それで子育てが出来ると思っているのだから仕方がない

 

お金を出せば、習い事が子育てをしてくれると思う親は多い

 

なんなら学校でちゃんとしたご飯も食べさせてくれる

 

でも、ちょっと手抜きしすぎな気がします

 

こんなに「褒めて育てよう」なんて言われているのに、なぜ見て褒めてあげないのか?

 

叱らないだけなのか?


習い事や学校のお金を工面する事だけが、親の仕事なのか?

 

それではいくらお金があっても足りません

 

子供の勉強に係る教育費より、遊びにお金を掛けると、人間力がつきますよ

 

なんて言っても、そんな言葉はそういう人達には届かないと思います