心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

殻を被っていると立ち直る事が出来ない

いじめられた時、ターゲットになった時、心は傷つく

 

物凄く傷つくと、人は傷ついた事実も見れなくなる

 

傷つく事を恐れ、信じて裏切られる事を恐れ一度は殻に閉じこもる

 

でもそのうち殻から出たいと思うかもしれない

 

出なければいけないと思うかもしれない

 

そして立ち上がろうとした時、傷ついた事実を見ないまま、立ち直ろうと頑張る

 

笑顔を作り自分は立ち直ったとアピールするかもしれない

 

前とは違う環境に幸せを感じるかもしれない

 

でも、傷ついた事実を見ないまま、立ち直った振りをしていると、中身が空っぽなのに立ち直った振りの殻を被ったまま生きていく

 

立ち直った振りの殻は、周りが普通に接してくれて自分があたかも立ち直ったようで嬉しいかもしれない

 

でも、傷は全く癒えてはいない

 

立ち直った振りの殻を被っているはずなのに、なぜ今の状態から抜け出せないのか?なぜ人が怖いのか?なぜ傷ついた所の近くに行くと怖くて仕方がないか?分からない

 

殻を外すと、空っぽの自分が潰れてしまいそうで怖くてたまらない

 

何も無くなってしまいそうで怖くて仕方がない

 

「怖い」と口に出す事さえ出来ない

 

でも、殻を外したら本当に自分が空っぽなのか考えてみたことってありますか?

 

「怖い」と口に出して殻を少し外してみたら、あなたの大切な物は無くなってしまいますか?

 

あなたは死んでしまいますか?

 

その前に、今一番大切な物は何ですか?

 

もし、一度勇気を振り絞って「怖い」と口に出したとき、信じてもらえなかったら、もうその信じてくれなかった人は信用出来ませんか?

 

もう、信じてくれる人がいないから、自分の本当の気持ちはさらけ出せませんか?

 

そりゃそうだよって思っているかもしれません

 

でも、立ち直った振りをした殻を被っていたのはそもそも自分ではないですか?

 

それを素直に感じとった人に「本当の私を見れない信用出来ない人だ!」とレッテルをはっているのは自分ではないですか?

 

優しい言葉を掛けても「立ち直った私には関係無い」として跳ね除けて、素直にあなたの殻を信じた相手を「人の本質を見れない人だ」と評価を下げる

 

自分が傷ついた事がどんなに辛かったとしても、関係のない人にその評価をし続ける事は、失礼だし寂しい

 

殻を被っていては、いつまで経っても立ち直る事は出来ないのだ

 

もう一度考えてみてください

 

自分にとって何が大切なのか?

 

その大切な物は「怖い」と泣き叫んだら消えてしまうのだろか?

 

飾らない自分を受け止めて貰いたいと思ったら、せめて飾らない自分を見せないと難しいのです

 

怖くて弱い自分を誰かに受け止めて欲しかったら「怖くて弱い」と言ってみなくちゃ

 

それが出来ないなら、その殻の評価をされても仕方がないと思う事

 

殻を被っている間は、まだ傷が自分では見れていないということを知る事

 

立ち直った振りの殻を被っていると時に被害妄想で人を傷つけます

 

向けてくれた優しさに感謝もできません

 

 

何が必要か明確にする事が大切

 

いつか、等身大の自分を見れるような自信をつけて、自分の傷を見ても大丈夫な強い気持ちを持って外に出てほしいな