心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自分の感じ取る自己愛性人格障害者の匂いをどう処理しながら立ち直るか?

いじめやパワハラやDVやストーカーに合うと、感覚が研ぎ澄まされる

自己愛性人格障害的考え方の人がいるとすぐに察知する

ただ、感覚が研ぎ澄まされただけの状態で放置すると、中途半端に察知するだけで、自己愛性人格障害的考え方の人を引き寄せてしまったり、自分から近づいてしまったりする

自己愛性人格障害者はそもそもステキを装って生きている

気がつく人から見たらポンコツの装いかもしれなが、魅力的に見えるのは当然だ

だから、一度被害に合って、もしまた惹かれてしまったとしても、それは自分の見る目が無い訳じゃない

魅力的に見せてる人を魅力的だと思う事はごく自然な事だし、その自分の目は信じていいと思う

被害者が被害者である一つの要因として、自分を信じていない事が上げられる

人の表をステキだと思った自分の感覚さえも否定して自分には見る目が無いと思ったり、皆がステキだと言っている人がパワハラをしてくるはずがないと自分の痛みが他人の評価に負けてしまったりする

そうではなくて、表はステキだけど中身は最低だったとか、皆はステキと言うけれど私は嫌いとか、キチンと自分の見る目を信じて判断を下し、それを離れるという自分の行動までリンクしてあげないといけない

そうしなければ、自己愛性人格障害者のターゲットになった意味は無いし、その経験は活かされない

「この人は苦手だ!」と思ってもニコニコとお付き合いしてみたり「喋りたくない!」と思ってもその人に皆が群がるから自分も一緒にいたりするのは、自分の心や自分の感覚を信じていないし大切にしていない

自己愛性人格障害者の周りには自己愛性人格障害的な考え方をする人が沢山いる

そんな人が沢山いる中で、「こりゃー友達なんて作れないぜ!」って開き直って一人でも楽しめる勇気があるか?

自分の感覚を信じて、人とつるまない選択を取れるか?

酷い噂が立っている1人でポツンといるような人の事を「好きだ!」と感じたら周りがなんと言おうと、その人を友達として信用出来るか?

誰がどんな噂を立てようと、自分の目や心を大切に出来るか?

なんてところが、自分を信じてあげるってことなんだと思う

そこまで出来ればもう自己愛性人格障害者の被害に合うことなんて無い

変なやつは何があろうと近づかない!って判断も自然と取れる

優しく近づいて来ても気持ち悪いと思った瞬間にバックレられる

沢山のプレゼントを貰ってしまっても、全てをお返しして縁を切ることを選択出来る

今までのステキな思い出も、今は大っきらいなのだから捨てられる

恩を仇で返してきたのは相手だから、恩を売られるのは迷惑だし買う義務も無いといえる

そこまで行かなきゃ立ち直ったとか、経験が活かせる自分とかにはなっていないのだ

一歩間違えれば血も涙もない人間と思われるかもしれない

そんなのなかなか出来ないかも

もしかしたらずっと立ち直り途中かもしれない

立ち直りながら、色々な人を見てそんな自分の感覚を養うための練習をして、自分を大切にしていけたら良いなと思う

ゆらゆらと揺れながら、少しずつ自分の目を信じているとステキなお友達やステキな知り合いが増えて来るかもしれない