心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

先生が締めるクラス

学校にこの先生凄い!って先生居ます

男女関係無くキリッと締まった団結力のあるクラスが必ず出来上がる先生が居ます

問題児が沢山集まっても、締まったクラスが1年で出来上がります

あっ、これ幼稚園や保育園にも居ます

なかなかの技術だと関心します

この締める先生達には共通点があります

怖いか優しいかはあまり関係がありません 子供達から見ると怖いのかもしれませんが、どちらかというと怖い先生では無い気がします

では、私の見た共通点

・人の話を聞いて理解する力がある

・適度なリーダーシップ

・遊びや勝負事に全力で向かう姿を感じる

・危険だと思った問題児をとことんマーク

・卑怯な事は許さないという毅然とした態度

こんな感じでしょうか? 私自身が学校に通っていた時も含めて、何人か会っています

意外と多いです

ちなみに、先程も言ったように優しいかそうでないかは関係ありません

年齢もあまり関係ありません

新任の先生でもその体力で子供達の心をあっという間に持っていく先生っていました

でもやっぱり共通しているのが、全力で遊んでいるイメージがある事です

「クラス対抗」とかになると先生も燃えますが子供達が団結するクラスは、技術の向上より技術の底上げを考えます

出来ない子にクラスが優しいのが特徴かもしれません

そして、先生がガンガンとリーダーシップを取る訳でも無いのです

抑えるといった感じでしょうか?

毎日ちょこちょこと叱っているんですが、抑える所は決まっている感じです

全力で遊ぶので、変わった先生も多いイメージです

自分の趣味にとことんこだわりを持っている先生も多く人間力のある感じがします

こんな先生に会えると、子供の頃の一年は大きいと思います

問題児がキリッとしたリーダーに変わったり、いじめてた子が優しい笑顔になったりするんです

そんなクラスを作るのは私にはとても出来ないと思います

だから、やっぱり先生は大変だし凄いです

自己愛性人格障害者的な損得勝負の教育では無く、遊んで自己評価が上がる子育てや教育に変える方法って無いんでしょうか?

出来てる先生が沢山いるのに、社会がそれを重要視出来ないのはどうしてなのでしょうか?

分からないな〜

優し過ぎる先生の学級崩壊の仕方

f:id:pilatesno-1:20210212093319j:plain物凄い優しい先生がいました

 

何があっても怒りません

 

授業中居眠りしている生徒に「疲れてるとお思うので寝かして上げましょう」と言っていたとのことでした

 

それを聞いて「ずいぶん優しい先生なのね」と私は言いました

 

懇談会、その先生は御経のように話し、お母さん達をまとめる事も出来ませんでした

 

先生なのにリーダーシップが無いのです

 

何をやるかも決まらず、時間だけが過ぎていきました

 

家庭訪問時「もう少し子供達を振り向かせる喋り方をした方がいいかもしれません」と伝えました

そんなにストレートにはいえませんでしたけど…

 

そのうち、我が子が保健室登校になりました

 

学校にいるのがしんどいと…

教室にいるのがしんどいと…

担任の先生がしんどいと…

 

そして、年度末まで担任の先生の授業以外の授業と給食の時間だけを教室で過ごしました

 

小学校低学年です

 

ただ優しいだけでメリハリが無いのは、危険です

 

おまけに、出来ない子供や騒ぐ子をメインにクラスを運営する先生は学級崩壊を招きます

 

問題がある子が先生を独占して、きちんと授業に向かう子や静かな子を放って置くと、きちんとした子達が待たされて授業が出来ない事が日常化します

 

静かに待っても意味が無いと子供達が思うのです

 

集中力のある子の集中力を消耗して、集中力の無い子も集中させることが出来なければ、誰もが集中力を欠いたクラスになるのは当然です

 

子供達を引っ張るには、ある程度技術がいります

 

その学年にあった集中力を先生が引き出さないとあっという間に学級崩壊になってしまいます

 

そんな先生に今まで3人ほど会いました

 

毎年、常連のように学級崩壊が起きます

 

先生の質ってほんとにバラバラです

 

同じ質の教育が受けられないのは仕方が無い事だけど、このクラスに一年通い続けるのは辛いなあと思う事ってある

 

校長先生が「先生も成長するために頑張ってます」って仰っていました

 

でも、子供達が実験台は勘弁です

 

先生の質って上げることは出来ないのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

人を見下して自己評価を上げる子

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親子での運動プログラム「めざせNO.1」をやっていると、運動の出来ない子で人の出来ないのをバカにする子によく会う

どちらかといえば、下の子に多い

小さい頃から、年の差がある為に当たり前に上の子よりも出来ない事が多い

だから、劣等感がハンパない

その劣等感を何とかしたくて、自分が出来ようが出来なかろうが人が出来ない事で劣等感をもつ

ここから、負けず嫌いになるのは想像がつくだろう

でも、上の子を抜かす方法が分からなかったり、頑張っても勝てないと思ってしまうと、頑張る事を諦めてしまうのです

そして「やれば出来るけどやらないだけ、お兄ちゃんや周りが出来ないとバカにする事で出来ない人と出来ない奴を上から目線でみる自分」という対比して自分の評価を上げる方法を身につける

出来ないイライラを上の子を蹴ったり叩いたりして発散してみたり、相手の邪魔をして蹴落としてみたり、頑張ってる上の子を茶化したりしてバカにする

兄弟でやっていると、まあよくある光景なんだけど、これは小学校でも中学校でも社会人でも他人でよくある

ところで、この出来ない子をバカにする子達、本当は、出来るようになりたかった子達だ 自分が出来るようになって、出来る子側に立ちたかった子達なのだ

ただ、年齢故に上の子に勝つ方法が分からない

でも、大抵、「めざせNO.1」に通い始めて半年から1年立つと劣等感から開放されてくる

出来るようになるのは、上の子が得意ではない所だったりする

人と違う所で違う物を努力する事で、何かで抜かせるかも!とか追いつくかも!って思った瞬間に物凄い努力したりする

自分がやれば出来ると分かって努力してその結果出来るようになると、出来ない子を教えたり応援出来るようになる

気が付くと、人の事をバカにする事はなくなる場合も多い

これ、弟にほんとに多い

たぶん、昔は近所の子で色々な遊びをしたはずだ

その中で、人と違う特技をそれぞれ見いだす事って出来たのかもしれない 最近は、そういう事もない

どうしても兄弟は同じ習い事をするし、同じゲームをする ルールが同じなのに年齢が違う

親が見てくれても親の取り合いだし、性別が違えばまだマシかもしれないけど別々に評価するのって難しい

下の子に上の子が抜かされちゃったらそれはそれで上の子が拗ねちゃったりして難しい

考えたら、大人になったら自分の苦手な事や嫌いなものから逃げて生活することが出来る

出来ないことが出来るようになる経験って子供の頃しか当たり前には出来ないのかもしれないって思う

その出来る経験から自己評価の仕方とか努力の仕方とかが身につくなら、その頃にしか他人を見下す考え方の癖は治らないのかもしれない

そう思うとやっぱり子供の時期大切だ

自己愛性人格障害者の脳が小さい子のままだって言うのは、この嫌な事に向き合う事が出来る時期で止まってるって事なのかもしれない

後から何とかなるのか??

難しいかも

mezase-no123pilates.jimdofree.com

人を貶して笑いを取るのは

いじめやモラハラDVの中で確実にあるのが、この人を貶して笑いを取る行為

 

大勢で言う事や笑う事で、いじめになるのではなく、人を貶して笑いを取るということがいじめというか意地悪だ

 

この行為が「自己評価が低い人が人を見下して自分の評価を上げている」ということを気が付かないといけない

 

ただ投げつけた言葉ではないという事だ

 

人を貶す事で笑いを取れるのは、言った人と言われた人との信頼関係が無いと不可能

 

本当にバカにして言っているのではないというのがお互いや周りが分かっていることが大前提だ

 

人間関係が希薄な今の社会で、これが出来るのはお笑い芸人や芸能人しか居ないと思う

 

それにしても、この、人を見下して自分を上げる行為をしないといけない人ばかりが増えている

 

ほとんどの人が、これをやらずに生きていく事が出来ない世の中になっている事に気が付いているのだろうか?

 

いくら他人を見下しても自分自身が出来る人間になるわけではない

対比して自分が出来る様な気がするだけ

 

何も出来るようにならずに、見下したというだめな自分が付いてくる

 

評価は下がる一方だ

 

いくら見下しても(いくらいじめても)気が済まない人達が問題だし、自己愛性人格障害者の卵みたいのが沢山いる事に問題がある

 

どんないじめだったか?どんな事で傷ついたかは大切かもしれないが、それを追求したとしても何にもならない

 

いじめに先生が加担する様な時もあるが、先生が入った時点で先生がリーダーシップをとって首謀する

 

先生が自己愛性人格障害的な考え方だと、先生が首謀して子供達も勢い良く同調する事はよくある

 

自己評価の低い人は増えているのだから、SNSでイイねしてしてもらうか、人を見下してあざ笑って自己承認するかの変な選択じゃなくて、自分で自分を認めないといけないかなと思う

 

人格障害者の被害者が精査すべきネット社会との繋がり

自己愛性人格障害者にとってネットって物凄い便利で使える物なんだと思う

知識も簡単に得られるし、追い詰めることも簡単に出来る道具だと思うんです

では、被害者はどう使ったらいいんでしょうか?

私自身、こんなブログをしながら、ネット社会との関わりはあまり無いです

自分の知識を確認する為に調べる位

人のブログも読みません

SNSもほぼしません

メールと電話はするけれど、会わずに人と繋がるツールはこのブログ以外今現在ありません

このブログも、今現在はコメントで相互に繋がることは出来ますが、ここも実はどうしようか迷っています

会わない怖さや文字だけで信じる怖さもあるし、そもそも物凄いアナログです

言葉で繋がる危うさや文字ではニュアンスが伝わりにくい事も苦手な理由です

自分を信じる事で、他人を信じようと思っているので「この人はちょっと距離を置いたほうがいいかも」って感覚を信じます

自分の思考を信じるために、なぜその人の行動を見て苦手だと思ったのかという自分の思考を分析しています

裏付けがない苦手は、その人全てを否定してしまう気がします

裏付けがあるとピンポイントで苦手の理由がわかります その人のそこだけを流せば何とかなると思っています

話を振られても引き受けない場所を決めて、それ以外で付き合う事を心掛けます

ネットは、それが難しい 情報の出処も分かりにくいし、この人嘘っぽいとかいうのも分かりにくい

それを嘘か本当かと考える事もしにくい

誤解も招きやすいし、リアルタイムでのフォローも難し過ぎる

扱えないって思います

私自身、いらないインターネットでの情報により不安を増幅させていた事があって、それを冷静に指摘された事がありました

それから、不安になる様な調べ物はする事をやめました

どこかで線引きが必要だと思います

自分の心が乱れない程度に、上手にネットを使えるといいなと思っています

色々な人が色々な発信をしていると思うので、前に向くための情報を探すには、ほんと便利なツールだと思います

自己愛性人格障害者の男性と女性の違い

f:id:pilatesno-1:20210217092123j:plain 自己愛性人格障害の男性はパワハラやDVや虐待が多いのかもしれない

やっぱり、男性は弱いものに対して力で勝ちたいって欲求があるだろう

蹴ったり叩いたり暴力という形で制圧するのが手っ取り早い気がする

女性が自己愛性人格障害者の場合は、パワハラはどちらも同じだが、イジメとかストーカーとか、力でとなると虐待ぐらいだろうと思う

なかなか男性に殴ったり蹴ったりして勝とうと思う女性が少ないから、暴力でとなると難しい

だから、私の周りにいる女性の自己愛性人格障害者は、DVをしている感じでは無かったんだ!と気が付いた

当たり前だったのに、それすら分からなかった

自己愛性人格障害者の女性はママカーストやイジメや過保護が多くモンスターペアレントになったり、子供や夫に対する罵倒や人格否定のパワハラモラハラが凄そうだ

夫は大抵優しそうで奥さんを立てている

と言うより従順な犬の様

世の中でよく言われている自己愛性人格障害者の特徴と少し違う感じがしていたのはその為だったのかもしれない

割合的に女性には自己愛性人格障害者が少ないのではなくて、女性の自己愛性人格障害者の実態が分かっていないだけなのかもしれない

まさかイジメが人格障害に起因するなんて思っていないので、女性の方が裏でのイジメが多いよね〜位の感覚なのかもしれません

女性の場合は共感性が男性よりあるので、精神的支配があっという間に伝染する

大人数でのイジメには発展しやすい

誰が首謀かも分かりにくいので、原因究明も難しい

他に移動出来るなら、さっさと移動すべきだし、どこに行っても同じ様な人が同じ様な手法でイジメるのは変わらないので、どうかわすかどう距離を置くかを考えないと、どこに行ってもターゲットになるなんて事はあると思う

一度ターゲットになると脱出しても心が弱っているので、ターゲットにもなりやすいです

この辺は男女共に同じだと思いますが、自己愛性人格障害者が男性でも女性でもターゲットは弱い女性になる事が多い

社会を変えないと、価値観が変わらないと、この生物の量産は止まらない

今いると言われている何倍もの人が、自己愛性人格障害者の価値観をもって動いている事に気が付いてほしいと思います

自己愛性人格障害者とターゲットの夫婦って難しい

f:id:pilatesno-1:20210213220458j:plainDV、モラハラ、虐待で夫が自己愛性人格障害者の場合がきっと自己愛性人格障害者による被害は多いんだと思います

夫婦は難しいと思います

ただでさえ、夫婦関係は男女で共感性に差があって難しいのにそれにプラス人間関係での障害があると、何が何に起因して上手く行かないのかが分かりづらい

距離を離そうにも家にいるし、離れる方法が離婚や別居しかない

ターゲットは孤立しやすい、とにかく外から何も見えない

離婚しても、ターゲットのゴミ箱としての役割を他の誰かが引き受けるまでは執着するので、そのままストーカーなんてことも多い

自己愛性人格障害者はストレスのゴミ箱が無いと生きていく事が出来ないので、ターゲットが離れようとすればなんとしても繋ぎ止めようと嘘でも謝るし、優しくするだろう

自己愛性人格障害者は共感性が無いし、優しさってどんなものかを知らないので、優しくするのも限度が無い 尽くす時は尽くしまくる

優しさってどんな物?って雑誌に書いてあった全ての事をしそうな位優しかったりする

その優しさはきっとお付き合いをはじめた頃も自己愛性人格障害者が気にしていた優しさだから、付き合いたてみたいな気分になるかもしれない

あの頃の甘酸っぱいドラマみたいな思い出とリンクして、心を入れ替えてくれると信じてまた戻るなんて事はあると思う

ターゲットだって、自分が選んだ人が間違えだったなんて、思いたくない

出来れば、自分の為に改心してくれたと思いたい

私だから、愛しているから治してくれたと信じたい

自己愛性人格障害者だって、愛がどんな物かも知らないけれど愛しているって信じたい 心が満たされるまで愛されているって信じたい

でも、愛している気持ちも愛されている気持ちもゴールがどこか分からなくて探して行くほどエスカレートしていくのかもしれない

お互いに自分に都合良く解釈したい

あまりにも距離が近くて、一緒に住んで居ながら上手くやる方法ってなかなか難しいのかもしれない

ちなみに上手くやってる例ってあるんだろうか?

苦しいのに別れられないか、何とかして別れるのかしか方法が無いのだろうか?

分からないなあ