心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

近くに自己愛性人格障害者がいても距離を保つには

f:id:pilatesno-1:20210217090822j:plain 自己愛性人格障害者が近くにいると、考え方が支配されてきて、どうしても自己愛性人格障害者と同じフィールドで上か下かを比べたくなる

これ、物凄い勢いなんです

自分や家族にとってベストだと思って決めたはずの事に、気がつくと自己愛性人格障害者の価値観が入り込んでいることって多い

なので、身近にいて自己愛性人格障害者とあまり直接は会わない配偶者や親やそこをよく知る人の意見って本当に大切だと思っている

私自身、自己愛性人格障害者が周りにゴロゴロいる世界に身を置き、色々な事があるけれど、常に主人やその世界を知る人の冷静な意見には助けられている

だから、何か大きな決断をする時に、ひと呼吸おけるように、他人の意見が仰げるような気持ちや状況を作って置かないといけないなと思う

その一つがこのブログ

自己愛性人格障害者はオレオレ詐欺みたいな人達なので、近くにいると特にターゲットになっていなくても冷静な判断に欠いてしまう事ってある

ちょっぴり近づき過ぎたら「おかしいぞ」って言ってくれる人がいたり、だめな自分の事も相談出来る人が居ないと、近くに自己愛性人格障害者が居ても適度な距離を保つってなかなか難しい事かもしれません

私も周りから相談されて色々答えることはあるけれど、自己愛性人格障害者が周りにいると、大抵私の意見はほぼ弾かれます

私自身良かれと思って言った事でも、自己愛性人格障害者の損得論には敵わないんです

あの最もらしい理論と、自分の価値観を信じ抜く力、そして嘘が記憶の中で本当に書き換わるあのシステムを持って損得と勝負のみで判断する手法に人はあっという間に支配されてしまうんだなとつくづく思うんです

本当に自分のしたいことなのか?

本当に家族のためなのか、もっといい方法が無いかと常に自問自答して、人にも相談出来れば、強くなれると思うし、ブレない自分を保てると思います

私もきっと前よりは強くなったなって思いますし、強い人を尊敬します

最終的には自分一人で決める事でも、助けてくれたり支えてくれる人は沢山いるし必ずいます

脱出したり距離を保とうと思う時は、そう思って行動してみるといいかもしれません

完璧主義は自分の首を締めるぞ!

f:id:pilatesno-1:20210223015458j:plain我が子…完璧主義です

私も昔は完璧主義でした

何でもできました 勉強も運動も…

でも、今考えるとその頃はかなり辛かったです

何でも完璧に出来ないと気がすまないので、練習勉強にとにかく頑張ります

努力家です

出来るのが当たり前だったので、特に親に褒めてもらった事も無く、物凄い自己肯定感が低かった

だから余計に頑張る

何とかして認めて貰いたいし、自分でも自信をつけたかった

完璧にこなす事でそれが出来ると信じていたかもしれません

自分が完璧を目指しているのに、隣でダラダラやっているのが許せなかった

自分にも厳しいけど人にも厳しかった

人に厳しいと自分に厳しいのは当然です

自分が完璧に出来ないのに人にだけ厳しいと最悪な状況になります

今の我が子です…

ただの甘えでしかありません

ちなみに、何でも完璧にこなすって不可能です ロボットじゃあるまいし「完璧」自体が人によって度合いが異なる物も多いです

なので、自分は完璧でないなと思っているって実は大切な事だと思います

完璧ではないから、人に助けてもらうんです

完璧ではないから、まだまだ成長出来るんです

そう思っていると、周りに完璧を求めることは無くなります

周りに完璧を求めなければ、自分が出来ない所も出来ないって言えます

人が出来ない所も、出来ないならお手伝いしましょうって言えます

なんとなくゆったり構えられるのです

完璧主義が自分だけにっていう事はありえません

自分に完璧を求めると、確実に他人にもその自分の完璧の価値観を押し付ける事になるのです

「私の完璧はここなので、あなたの完璧ではなく、私の完璧まで努力してください!」なんて言う人はあまりいないけれど、そう言っているのと何ら変わらないのです

結局、周りがその人に完璧を求めていなくても、その人自身が完璧を求めて、人の価値観をバカにし、自分の価値観を押し付け、誰の協力も仰げず、味方も無くし、一人で努力して、もちろん周りにも一人で努力する事を望み、自分の首を締めていくことになるんだと思います

きっと出来る人や長子は一度は通る道なのかもしれません もしかしたら誰もが通る道なのかもしれません

自己愛性人格障害者はここを抜けることが出来ません

完璧に自分で出来る事が「自立」では無くて、完璧に出来ない自分と向き合う事が「自立」なのかもしれません

そう考えたら、今の社会は出来る事ばかりをクローズアップして、出来ない事には目もくれないので「自立」するには難しい社会なのかもしれません

あまり自分の首を締めてばかりいると、息苦しいです

いつか我が子も気がつく日が来ますように…

自己愛性人格障害者達がそわそわする理由

私のいる自己愛性人格障害者が沢山いるコミュニティーにちょっぴり偉い人が来る時がある

 

最近立て続けに何度か見かけました

 

すると、自己愛性人格障害者ママとその子供達がそわそわする

 

権力には目が無い自己愛性人格障害

 

そのちょっぴり偉い人はその偉い立場でそこに来たわけではない

 

でも、自己愛性人格障害者達はその人に対して普通以上の扱いをする

 

これは少し話せるようになっておいた方がいいぞ!

 

せめて顔だけ覚えてもらえたらラッキーだぞ!

 

私はあなたを応援尊敬してますってアピールしておいた方が良さそうかも!

 

私も真摯に向き合ってますってアピール出来てる?

 

みたいな、そんな声が聞こえてきそうな、実際聞こえても来ているんだけど、とにかくそわそわしている

 

それがわざとらしくて、まあ見てられない

 

分かりやすいその態度って、本人はどうなんでしょう?

 

私だったら、サラッと流す

流した相手意外を大事にするかもしれません

 

なんだかそのそわそわした雰囲気が嫌いです

 

その雰囲気やその考え方に支配されていく人が日に日に増えて来ているのがわかります

 

これ以上増えないでほしいと思いながら、なんとなく気の毒だなと思いながら、そっとその人を見ています

自己愛性人格障害者の支配って?

f:id:pilatesno-1:20210302223131j:plain 自己愛性人格障害者は他人を支配する

それって具体的にはどういう事かあんまりよく分からなかった

もちろん、家の中に監禁するとか、常に監視するなんて物理的な事も沢山あるけれど、大きいのは精神的支配

「あなたには私(自己愛性人格障害者)しか頼る人がいない」ということも精神的支配

「ご飯を食わせてやってるのは俺」と夫が言うから、「では自立する為に外で働きます」と言う妻に対して「この仕事はやめろあの仕事は困る」と結局仕事をさせないとかもそうだろう

ご飯を食わせてやってるという事実がなくなるのは、自己愛性人格障害者にとって困る事だから、その立ち位置は変えたく無いのだ

「支配しているから文句は言わせろ」という形で支配を強固な物にする

その他にもっとサラッとした支配もある

それは、考え方の支配

「常識」を「自己愛性人格障害者の都合という漠然とした物にしてしまう事」による支配

これがかなり曲者だと思う

これがパワハラとかイジメとかの根源なんだろうが、その証明もしにくいし、支配=指示とならない事で、誰が悪いのかが特定しにくく、サラッとした割にかなり厄介だと思う

例えば、自己愛性人格障害者は損得勘定や勝ち負けで物事を考える

その自己愛性人格障害者の下にいて、自己愛性人格障害者に気に入られたければ、損得勘定や勝ち負けで物事を考えて動かないといけない

自己愛性人格障害者は気に入った人にご褒美を出すので、そのご褒美貰いたさに誰もがこぞって自己愛性人格障害者が気にいるような事をする

気がつけば、自己愛性人格障害者を賞賛して自己愛性人格障害者の気に入ってくれるような事や物を目の前に出す人ばかりが周りに集まる

そのうちご褒美は大したものではなくても、自己愛性人格障害者の周りで自己愛性人格障害者の考えに支配された人達が動くようになるのである

いわゆる洗脳だろう

その自己愛性人格障害者の気分が常識となってしまうため、世間の常識とかけ離れた事を自分がしていたとしても、自分で判断ができなくなってやってしまう

この洗脳や支配をされた状態で、恐怖と間違えている事だけを選択肢として与えてしまうと、人間は恐怖を取ることなど出来ないのでは無いかと思う

結局、間違えてる選択肢を取ってしまうのかも

他に選択肢があると冷静に気がつければいいのだが、自己愛性人格障害者の前でそんな精神状態でいられる為には相当な後ろ盾が無いと難しい

それがあっても難しい

人の支配って思ったより簡単で、思ったより威力があります

その支配があっても正しい事をするのが筋だ!とか言うなら、一度経験してみるといいと思います

人間ってそんなに強く無いと思うので、強気でいる男の人の方が、コロッとやられちゃうと思います

詐欺とかカルト教団とか、皆そんな手法だと思います

北村一輝と柳楽優弥

北村一輝柳楽優弥って似てない?

 

って思ったの私だけかな

 

北村一輝がボケた感じが柳楽優弥

 

そのうち柳楽優弥もキリッとしてくるかもしれない

 

顔ってほんと変わります

 

芸能界って素敵な家庭で幸せな生活をしている人が素敵に輝ける場所ではない

 

壮絶な過去がその人をキラキラと輝かせる事のある何だか得体のしれない箱の中にある様な世界だ

 

ハマチやぶりみたいに、出世した姿を皆で見ることが出来るのも何だか面白い

 

40過ぎたら自分の顔に責任を持ちましょう!って言います

 

顔を見るだけで、分かる事が山ほどあるということです

 

ニコニコ笑顔がキラキラ輝けるように、中身をスッキリキレイにしなくちゃいけないなって思います

 

 

自己愛性人格障害者は加害者!!

自己愛性人格障害者は、その成り立ちの中で被害者であった時がある

それに同情する余地があるか?

と私が聞かれたら、答えはNOかもしれない

だって、その攻撃の仕方は卑劣で許せるような物では無いから

でも、自己愛性人格障害者は必ず被害者だった時を経て作られている

だから、DV等の被害があった時に、被害者を保護する事はもちろんだけれど、加害者を何とかしないといけないと思う

でも、実際作り上げられた自己愛性人格障害者を何とかする事ってできるのか?

あの卑劣で攻撃的な完成形を壊す事って出来るのだろうか?

自己愛性人格障害者として色々な加害者がひとまとめにされたとして、例えばそんな人達を集めて来たらどんなグループが出来上がるのか分からない

フィルターを治せるような仕組みも全く思い浮かばない

お互いお前とは違うと言うのだろうか? この施設は自分にはそぐわないと叫ぶのだろうか? 引きこもるのだろうか?

自己愛性人格障害者は自分が完璧で素晴らしい尊大な人であると信じている

そんな奴この世に居ないのに…

幻想を見て、幻想の中で生きている

そうせざる負えない過去があっても、現実に生きていく事が出来ない漫画みたいな中を漂っている人を、現実に戻してあげることなんて出来るのだろうか?

加害者である事に気が付く事は、そんな事なのかもしれない

もしそうであったら、加害者!!ってそんなに簡単に受け入れる事が出来ないとんでもない遠い物なのかもしれない

宇宙の彼方にある物を掴むような話なら、私だったら諦めるかも

被害者が加害者に対して変わってくれるかもと思う気持ちはよく分かる

でも、変わる事が簡単ではない事も現実として受け入れないとお互いに被害者の人生と加害者の人生しか生きてはいけないのかもしれない

専門家じゃ無いから適当に言える幸せ

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私は自己愛性人格障害について専門家ではない
 
目の前で見たものを自分の中でどう処理するかだけを考える
 
私の中にある知識だったり、ちょっと調べてみたりしながら、何とかなく納得する作業をブログとして綴っている
 
でももし、自分が精神科の先生だったり、勉強していたら、勉強した事にそぐわない事象は省いていたかもしれない
 
他の事象が混じった場合、これとこれは別だから、これはここでは書かないようにしようとか配慮するかもしれない
 
これは違うんじゃないって思ったら、途中で書くのを諦めるかもしれない
 
でも、私はやっぱり専門家ではない
 
好きに解釈して、好きに書いて、好きに読んでもらえればいいと思っている
 
こんな解釈をしながら生活してる人もいるのね〜とか思ってもらえればいいかなって思う
 
私自身も自分で書いたり、何かを読んで自分の中の引っかかる物が、すとんと落ちる事ってある
 
いっか、こんな解釈で…って思える事で、前に進める時もある
 
だから、いまさらガッツリ勉強して誰かを何とかしたいとも思っていない
 
きっと、誰も助けることなんて出来ないけれど、誰かを変えることも難しいとは思うけど、自分を変えるスイッチを見つけるキッカケ位にはなるかもしれない
 
適当に言えるってほんと幸せだ
 
なおかつ頭の中がスッキリ整理されて最高だ
 
書いてみるって意外と面白いかもしれない