心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の支配って?

f:id:pilatesno-1:20210302223131j:plain 自己愛性人格障害者は他人を支配する

それって具体的にはどういう事かあんまりよく分からなかった

もちろん、家の中に監禁するとか、常に監視するなんて物理的な事も沢山あるけれど、大きいのは精神的支配

「あなたには私(自己愛性人格障害者)しか頼る人がいない」ということも精神的支配

「ご飯を食わせてやってるのは俺」と夫が言うから、「では自立する為に外で働きます」と言う妻に対して「この仕事はやめろあの仕事は困る」と結局仕事をさせないとかもそうだろう

ご飯を食わせてやってるという事実がなくなるのは、自己愛性人格障害者にとって困る事だから、その立ち位置は変えたく無いのだ

「支配しているから文句は言わせろ」という形で支配を強固な物にする

その他にもっとサラッとした支配もある

それは、考え方の支配

「常識」を「自己愛性人格障害者の都合という漠然とした物にしてしまう事」による支配

これがかなり曲者だと思う

これがパワハラとかイジメとかの根源なんだろうが、その証明もしにくいし、支配=指示とならない事で、誰が悪いのかが特定しにくく、サラッとした割にかなり厄介だと思う

例えば、自己愛性人格障害者は損得勘定や勝ち負けで物事を考える

その自己愛性人格障害者の下にいて、自己愛性人格障害者に気に入られたければ、損得勘定や勝ち負けで物事を考えて動かないといけない

自己愛性人格障害者は気に入った人にご褒美を出すので、そのご褒美貰いたさに誰もがこぞって自己愛性人格障害者が気にいるような事をする

気がつけば、自己愛性人格障害者を賞賛して自己愛性人格障害者の気に入ってくれるような事や物を目の前に出す人ばかりが周りに集まる

そのうちご褒美は大したものではなくても、自己愛性人格障害者の周りで自己愛性人格障害者の考えに支配された人達が動くようになるのである

いわゆる洗脳だろう

その自己愛性人格障害者の気分が常識となってしまうため、世間の常識とかけ離れた事を自分がしていたとしても、自分で判断ができなくなってやってしまう

この洗脳や支配をされた状態で、恐怖と間違えている事だけを選択肢として与えてしまうと、人間は恐怖を取ることなど出来ないのでは無いかと思う

結局、間違えてる選択肢を取ってしまうのかも

他に選択肢があると冷静に気がつければいいのだが、自己愛性人格障害者の前でそんな精神状態でいられる為には相当な後ろ盾が無いと難しい

それがあっても難しい

人の支配って思ったより簡単で、思ったより威力があります

その支配があっても正しい事をするのが筋だ!とか言うなら、一度経験してみるといいと思います

人間ってそんなに強く無いと思うので、強気でいる男の人の方が、コロッとやられちゃうと思います

詐欺とかカルト教団とか、皆そんな手法だと思います