心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害は物で釣る意味が分からない

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自己愛性人格障害者は日常的に他人を「もので釣る」

 

自己愛性人格障害者にとって、何よりも目的を果たす事が重要

 

結果が全てであって、どんな過程があってもそこに成長や人の思いがついてきても、そんなの意味がない

 

テストに受かればいいし、宿題が終わればいい

   

やったという事実が残ればいいし、作品は仕上がればいい

 

誰かに勝てばいいし、成績が上がればいい

 

だから、テストに受かったらご褒美をあげるし、宿題が終わらなければご飯は食べさせなくてもいい

 

皆よりも簡単な仕事だったとしてもやったという事実だけがあればいいから、周りとのコミュニケーションなんて無駄

 

作品なんて出来上がればいいから誰かのアイディアを奪ってもいいし、誰かに勝てればいいから怪我をさせたり何かを隠して動揺させたりしても構わない

 

成績が上がれば、ゲームだってなんだって買ってあげちゃう

 

とにかく最短最速で終わらせる方法を考えればいいのだ

 

とっても合理的??かもしれない…

 

確かに出来ている!

負けず嫌いによって成績だって鰻登りかも

 

でも、どうだろう?

子供やパートナーの場合、いったい目的はどこにあるのか分からなくはならないだろうか?

 

テストに受かる事は嬉しいかもしれないけれど、そのご褒美の方が目当て

 

宿題をしないとご飯が食べれないとすると、嫌いなご飯なら宿題をしなくてもいい

常にその人が釣れそうなメニューを作らないといけない

 

お仕事をしている事実だけが大切だから意見なんてわざわざ言わなくてもいいし、自分のアイディアが採用されることが大切だから自分のアイディアとして出す物が素敵なら誰のだって誰かが傷ついたって構わない

 

成績が取れればいいから誰かを買収したっていいじゃない?って思っちゃう

 

すると、誰かを買収出来ない周囲は人として大した事が無いのねってなる

 

大好きだった事が、いつしか「どれだけいいご褒美がもらえるか」って事が目的になって行く

 

それでも、自己愛性人格障害的な考え方ならオッケーなのだ

 

だって、ご褒美に夢中になっていたって頑張ってやってるならいいんだもの

 

だから「人を物で釣るのはやめて!」と言ったところで、何をやめなきゃいけないのかがさっぱり分からない

 

それ以外に、人を動かす方法も分からない

 

注意したそばから「やりたくない」と駄々をこねる子供に「これやらないと〇〇はやってあげないよ」と相手のどうしてもやって欲しい事を引き合いに出して動かそうとする

 

「やりたくないなら、自分でキチンと断って下さい。それができないなら諦めてやって下さい。私はあなたのために断ってあげる事はしません。」という意見に対して、「条件を出しているのは一緒だ!」「物で釣っているだろう!」と言う

 

私には、全く理解が出来ない

 

目的を変えてでもやればいいのか?

 

自分の感情ややらなければいけない事をやめるにせよやるにせよ自分の責任でかたをつけてくれればいいと言う事と、ご褒美が一緒なのか…

 

そんな夫の言葉を聞いて、愕然としてしまった

 

「物で釣る」なんだか魔法の様に人が動く素晴らしいツールかもしれないけれど、とっても恐ろしい「支配」に繋がる危険な物なのだ

 

使っている本人は使っている事さえ分からず悪影響についても理解できず、相手を支配し相手の志を消してしまう

 

自己愛性人格障害者って、きっと、自分の志も無く、支配されていないと負けず嫌いもわがままも何でも暴走してしまう様な人なのかもしれない

 

他人の評価が全てって、うーん、なんだか寂しいな

 

自分の志を持つ事って素敵で幸せな事

 

素敵に見える自己愛性人格障害者の中にもしかしたらそれが無いのかもと思ったら、何かが起こったときに突然崩れ落ちる理由も何となく分かるかも