自己愛性人格障害者は取り巻きが使い物にならないとすぐに捨てて次の取り巻きを探す
成績のいい取り巻きがいたとする
成績がとれている時は「私達は他の人とは違うのよ」と「達」の中に取り巻きを入れて自分を飾れるアクセサリーとして使う
でも、その取り巻きが何かの要因で成績が取れなくなると、とたんに素っ気ない態度
「私はあなたとは違うのよ」と取り巻きを捨てる
今迄は周りとは別格の扱いだったにも関わらず、ある日突然手のひらを返したような扱いになる
それでも、取り巻きは自己愛性人格障害者を崇拝したまま、自己愛性人格障害者の自分に対する扱いは、仕方がないのだと納得している
いつかまた、いい成績をとって自己愛性人格障害者のアクセサリーに復活する事を目標にコツコツと努力する
もちろん、今まで自己愛性人格障害者と共に周囲を見下してバカにしてきた取り巻きのその扱いの変化に同情する人もいない
自業自得だと誰もが思い、1人ポツンとたたずむ取り巻きを眺めている
外から見たら、これだっていじめかもしれない
散々いじめたその取り巻きが、今度はいじめられる立場になる
復活をかけて努力して、結局いつかまたいじめる立場に戻るのだ
自己愛性人格障害者がいると、こうやって次々とターゲットを変えて無視やいじめが起こる
「バカにされたから関わりたくない」って当たり前の気持ちでスルーしたとしても、それが無視となるかもしれない
結局、誰かをバカにして自己承認したり自己肯定感を上げたりしている人がいるとその人の周りが似たような構造になっていじめが横行するドヨンとした気持ちの蠢く変な集団が出来上がる
取り巻きはそのドヨンとした集団の一員として、役割を果たし上下に移動するのかもしれない
耐えてる取り巻きを見て、可哀想だと思って近づけば、復活したときにターゲットにされる
優しさは、仇で返されるかもしれない
なんて、嫌な想像は膨らんでしまいがちだが、なるべく平常心でそっと傍観しようと思う