我が子…完璧主義です
私も昔は完璧主義でした
何でもできました 勉強も運動も…
でも、今考えるとその頃はかなり辛かったです
何でも完璧に出来ないと気がすまないので、練習勉強にとにかく頑張ります
努力家です
出来るのが当たり前だったので、特に親に褒めてもらった事も無く、物凄い自己肯定感が低かった
だから余計に頑張る
何とかして認めて貰いたいし、自分でも自信をつけたかった
完璧にこなす事でそれが出来ると信じていたかもしれません
自分が完璧を目指しているのに、隣でダラダラやっているのが許せなかった
自分にも厳しいけど人にも厳しかった
人に厳しいと自分に厳しいのは当然です
自分が完璧に出来ないのに人にだけ厳しいと最悪な状況になります
今の我が子です…
ただの甘えでしかありません
ちなみに、何でも完璧にこなすって不可能です ロボットじゃあるまいし「完璧」自体が人によって度合いが異なる物も多いです
なので、自分は完璧でないなと思っているって実は大切な事だと思います
完璧ではないから、人に助けてもらうんです
完璧ではないから、まだまだ成長出来るんです
そう思っていると、周りに完璧を求めることは無くなります
周りに完璧を求めなければ、自分が出来ない所も出来ないって言えます
人が出来ない所も、出来ないならお手伝いしましょうって言えます
なんとなくゆったり構えられるのです
完璧主義が自分だけにっていう事はありえません
自分に完璧を求めると、確実に他人にもその自分の完璧の価値観を押し付ける事になるのです
「私の完璧はここなので、あなたの完璧ではなく、私の完璧まで努力してください!」なんて言う人はあまりいないけれど、そう言っているのと何ら変わらないのです
結局、周りがその人に完璧を求めていなくても、その人自身が完璧を求めて、人の価値観をバカにし、自分の価値観を押し付け、誰の協力も仰げず、味方も無くし、一人で努力して、もちろん周りにも一人で努力する事を望み、自分の首を締めていくことになるんだと思います
きっと出来る人や長子は一度は通る道なのかもしれません もしかしたら誰もが通る道なのかもしれません
自己愛性人格障害者はここを抜けることが出来ません
完璧に自分で出来る事が「自立」では無くて、完璧に出来ない自分と向き合う事が「自立」なのかもしれません
そう考えたら、今の社会は出来る事ばかりをクローズアップして、出来ない事には目もくれないので「自立」するには難しい社会なのかもしれません
あまり自分の首を締めてばかりいると、息苦しいです
いつか我が子も気がつく日が来ますように…