器用な人のバランスの取り方?
器用で完璧な人って素敵だしカッコいい
でも、あんまり近寄りたくない
なんででしょう?
多分、近づくとそれを自分に求められる想像がつくからだと思います
何かに対して、ある程度のクオリティーを保つのは、信用を得るために必要なことだけど、それをいちいち表に出すのは、相手への当て付けになってしまうんだと思います
これ、色々な事に気がついて器用で真面目な人には多いかもしれないです
だから、器用な人はちょっぴり不真面目だと、バランスがとれていていいのかもしれません
これで、頭に浮かんだのはとんねるずののりさん
器用な人は不真面目の振り幅で格好の良さを調整出来るのかもしれないです
格好良く行きたい時は真面目に触れればイメージは完璧かもなんて…
はっきり言って、出来る人は出来ない人の気持ちなんて一生分からないのです
何でも出来ちゃう人はそこで引っ掛かる理由も悩む理由も分からないのです
だから、相手に完璧のプレッシャーを与えているなんて微塵も思ってないです
そして、実は自分の真面目さを長所だと思っていて、器用さを短所だと思っています
でも、外から見たら器用さは長所、真面目さは相手へのプレッシャーであり、長所を潰す短所かも
このギャップがなかなか埋まらない
真面目は素敵だし完璧は正しいけれど、それを主張すると思いの外角が立つのかも
もし、どうしても真面目がしたいなら自己満足の部分だけのこだわりとして、とことん楽しんでやればいいんだと思います
楽しくなければ、やめちゃえばいいんだと思います
「面倒な事は自分もやりません!相手へも求めてません!」って言わないと、不真面目さなんてきっと他人には伝わりません
完璧な計画は自分のこだわりとして、失敗した時は失敗談として楽しくさらけ出せばいいんだと思っています
人間やっぱりバランスだと、つくづく感じます
ずっとずっと、器用な事を短所として生きてきましたが、最近ようやく器用を自分の中の長所に出来つつあるかも
最近は、「何でも出来るね!」の言葉に「そうそう!びっくりするほど何でも出来るんです!」って答えてる自分がいます
雑過ぎて忘れちゃって迷惑をかけることも沢山ありますが…
細かいところつつかられても、間違えてると言われても、相手が完璧な約束が出来ないことで少し嫌な思いをしても、多少なら無視しています
それが、次回相手の何かを許す理由になればいいのかなって思っています
そうやって、不真面目さを周りにフォローしてもらう代わりに器用さで周囲を助ければいいのかなと思っています
とりつくしまもない人じゃなくて、とりつくしまだらけ位が器用な人にはちょうどいいと思うのです
器用な人だって出来ない事も沢山あるんです
私も出来たって苦手なことは沢山あるんです
やりなくない事も沢山あるんです
言い訳もいっぱいあるんです
でも、言い訳するよりは「失敗した!」って言う方が共感もしやすいし、周囲からの手も借りやすい
周囲の手を上手く借りるためにも、とりつくしまは必要なんだと思います
ちなみに、不器用な人は真面目さで信用を得るのが手っ取り早いと思います
自分の器用さを知り、真面目さの振り幅でバランスを取ることが出来れば、人間関係は円滑に出来るのかもしれません!!
あー、これは一生の課題かもしれないので、今の私にはまだまだ獲得出来そうにない技です