心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

裏も表も丸見えを活かすには

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小さい頃からずっと、「この人は優しい」と皆が言っている人をそのまま優しい人だと思える事が少なかったんです

 

なぜ、皆と評価が違うのかずっと分からなくて、考えていました

   

優しくていい人の化けの皮?が剥がれる瞬間があると、誰もが「考えられない、優しい人なのに」と口々にいうのに、私には「考えられない」なんて思う事は少なかったんです

 

見た通りだし、分かってたじゃない!っていつも思っていました

 

もちろん、化けの皮が剥がれない人もいるから一生分からないこともあるとは思うけど、皆が私から見ると騙されている様に見えて、なぜいとも簡単に騙されてしまうのかも理解出来なくて考えてしまう一つの要因でした

 

女の子特有の「あの人良い人だよね」とか「あの人可愛くて素敵よね」なんて同意を求める言葉に、「同意を求めないでくれー!」と思ってしまったり、ちょっと苦手な人と仲のいい友達が相手を知らずに仲良くしていたりすると、仲のいい友達にさえ近づかない策を取るべきか、そこに近づくかを迷う事とこも沢山ありました

 

でも、最近ちょっと諦めたかもな

 

だって他人には見えていない

 

私にはその人の表か裏かも分からないのだから

 

前手のような迷いがあった時は、迷わず離れれば人の悪意にわざわざ触れに行かなくても済むし、もしそれでも友達と話したいなら、その悪意に触れる覚悟をして近づくしか無いと思うのです

 

疲れたらその時点で離れる選択肢もあるだろうし、途中から近づく方法もある

 

この場合私の中に、その人に近づく事はリスクがあると判断が出来ていれば、自分で自分と他人の距離感を探しながら、負担をコントロールしながら元気に生きていけるのかもしれないなあなんて思うんです

 

ちょっと前までは、初めにある「その人に近づくには一定のリスクがある」という判断が出来ていなかったのかも

 

そのまま、一人になりたくない寂しさから近づいて疲れてみたり、疲れてしまって諦めて一人でいたりを繰り返していたのかもしれないです

 

その状態は、結局どちらに動いてもとにかくストレスがかかる

 

というわけで、最近の私はちょっぴり人とは違う見方が出来る一面を有効利用しながら、自分が生きていて楽な方法を獲得している感じなんです

 

もちろん、やり過ぎちゃう時もあるので、自分にストレスが溜まらないわけじゃないんです

 

でも、判断せず心のまま動いていた頃とは全く違う、コントロールが何となく可能な自分でいられるんです

 

人それぞれ、色々な感じ方や捉え方があるとは思いますが、自分の長所も短所も上手に使う方法はあると思うんです

 

上手に自分自身をコントロールして自分の為に使ってあげたら良いのかなと思っています

 

何か特技??はありますか?