心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

そのままの自分を受け入れられないのは自分

f:id:pilatesno-1:20210224004412j:plain心がきゅーっと寂しくなったり、なんだか周りと比べて自分の出来なさにそこにいたくなくなったり、全部投げちゃいたい位切なかったり、悲しくなったり、他人がとてもキラキラしていて惨めになったり…

 

どれも、ちょっと頑張り過ぎた証拠

 

しかも、頑張り方を相当間違えている可能性が高い

   

目標が、そこにあるならまだいい

 

でも、この場合目標は「自分がいるはずの場所」よりもはるか前にある

 

自分がいるはずの場所が、そもそも自分のいる場所よりかなり前にある

 

その場所に立ってもいないのに、その場所にいる気になっている

 

その場所に立っているであろう人達と共に目標である遥か前を目指す

 

ちなみに、今の時代は周りにいる同じ場所に立っているであろう人達の中に、本当に実力共にその場所に立っている人は物凄く少ない

 

もしかしたら、誰もいないのかもしれない

 

そんな実力も中身もあやふやな人達で、随分遠い目標を掲げて上だ下だと競争しているのだ

 

そりゃー、見せかけだけでもなんとかしなきゃと思うでしょ

 

皆見栄を張って生きている

 

たまーに実力も中身もある同じ位の人がその中に入ると、段違いのキラキラに周りは圧倒されるのかもしれない

 

同じところに立っているにも関わらず、そこに立つ安定感に愕然とするのかもしれない

 

その人がそこにいるだけで、見栄を張っていることがバレてしまいそうだし、メッキだけの自分でそこに立ち続ける自信が無くて、その人を排除しなければと思ってしまうのかもしれない

 

これが、自立した人に対するいじめや排除かも

 

そして、自分の立っている場所と立っているであろう場所が遠ければ遠いほど、切なくなったり悲しくなったりイライラしたりするのかも

 

では、その場合どうしましょう

 

もちろん、自分の周りに見栄を張る人が多ければ多いほど、見栄は実力が伴わないので不安定

 

周囲と共に立ち位置が中身も伴わずどんどんと上がって行くのが通常かも

 

自分を受け入れてもらえる人がいる所に移動した方が楽だから、同じレベルの人達がいる少し下に行くのが理想だと思うけど、今は少し下の同じレベルの人が集まる場所も、同じレベルであろう人が集まる場所でしかなくて、中身が同じレベルなわけではない

 

結局、下のレベルで見栄を張る

 

上を目指すために頑張らなくなりそうで、上よりもっと悲惨かも

 

意味ある?

 

もう馬鹿らしいったらありゃしない

 

じゃあどうするの?って言ったら、結局自分で自分の足元がどこにあるのかを確認すればいいだけなのかも

 

冷静に今はここ、目標は少し前って設定出来ればいい

 

周りがバンバン進んでも、自分のペースでとんとんと進んでいれば、だいたい目標にいつぐらいに到達するかは検討がつく

 

周りが飛び級したからって焦ることもないし、目標が違くても気にならない

 

自分の思ったより進みが遅いなら、もしかしたらやり方がおかしいかもしれないし、頑張りが足りないのかもしれない

 

周りは、その目安くらいにしかならない

 

自分がどこにいるか?

ちゃんと受け入れるのは、周りじゃなくて自分

 

ちゃんと自分の事を見て大切にしてあげないと、心がついていけなくて、寂しくて切なくて羨ましくていなくなりたくなっちゃうかも

 

私やうちの子達がよく排除されそうになる訳もちょっぴりわかったし、なんだか周りが見栄を張りながら不幸せまっしぐらな理由も分かった気がします

 

新型コロナウイルスで周りとあまり関わらない今って、もしかしたら自分の居場所を確認するチャンスかもしれないです

 

心の安定をはかるために、ゆったりと見つめてみると、これから楽に生きていけるかもしれないです

 

自立するって、全然大変じゃないです

 

楽しくて、幸せで結構楽だと思います

 

情報を入れれば入れるほど自立が難しいので、程々の閉塞感を楽しんでみるのもいいかもしれないです

 

放って置いても新型コロナウイルスの話しか入ってこないつまらない世の中ですから、周りをシャットアウトして、出来る事をやってみてもいいかもしれないです

 

日本で何人亡くなっても、自分がやれる事は変わらないのですから、粛々と今自分が出来る事をやればいいと思います

 

情報に振り回されて、物を買い漁っても疲れちゃうもの