心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「可哀想」なんて言う人は可哀想

f:id:pilatesno-1:20210301092816j:plain 「あなた新しい物買ってもらえないの?可哀想」って、周りの子に言っている子供がいる

その子の近くには、新しい物を買って自慢する子が増えてくる

そんなに新しい物が必要かな?

使うのは一人よね

同じ物がいくつもあっても仕方ない

どんどんフリマで売るのかな?

買ってもらえない位貧乏なのが可哀想なのかな?

貧乏なのかな?

いらないから買わないのに、買えないから買わないになってしまう発想が「可哀想」

そもそもその子が新しい物を欲しいのはなんの為?

自分が親のために頑張って頑張って生きているのに、親に愛されている気がしない空虚な気持ちを埋めるため

条件付きの親の笑顔の為に努力している虚しい気持ちを埋めるため

そして、新しい物を買ってもらっても満たされない気持ちを買ってもらえない惨めで可哀想な人達とは違うと思いながら埋めようとしている

でも、結局満たされない気持ちは満たされない

また新しい物を買って、周りをバカにしながら自慢する

周りも、買ったら自慢を繰り返す

一度つられてそのループに入ってしまえば、永遠に続いてしまうお金を掛けた見栄っ張り

見栄っ張りは「可哀想」

自分は自分で良いと思っていない証拠

見栄を張った素敵な自分が偽物であると言いふらしている

ガッチリ自分を持っている親じゃないと「いらない物は買わないよ」ってなかなか言えないかも

我が家の場合はどうする?

冒頭の一言に「えっ、親に作ってもらえないなんて可哀想」って言ってあげればって私

価値観があなたとは違いますって事を言えばいいんじゃないかなと思います

見栄っ張り競争の中の価値観が分からないわ〜っていう人に競争を仕掛けてもだめじゃない?って思って貰う

距離を取るってそういう事かも

それにしても自己愛性人格障害者が沢山いるので、こんなことは日常茶飯事

ほんと、次から次へとマウンティングしてる人達に出くわす

親も子も、自慢して見栄を張らないと維持できない心

可哀想というより気の毒かもな