心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

正解が幸せじゃないから

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気が付いたら、記事が1000を超えていた!

ちょっとびっくり

 

毎日、頭の中のちょっと保留にした部分のみを書いている

 

他人はどうかわからないけれど、これだけ思う事があると頭の中はよくぐちゃぐちゃにならないなと、自分で後で読んでいて思う

   

このブログには、モヤモヤする〜って思ったらタイトルだけを書いておく

 

時間がある時に書き始めて、結論が出たらアップする

 

こんなに書いているのに、誰かを特定して書かなくていいというか書く必要の無い事が案外面白いなと思う

 

自己愛性人格障害者の具体的な例を書いても、自分に焦点を当てていれば、自己愛性人格障害者がどんな仕事をしていようと、どんなスポーツをしていようとどんな物を持っていようとどこの学校に行っていようとどうでもいいっていうのが意外だったかも

 

これだけ書けば、固有名詞が必要なのかと思ったけれど全く必要がないんだもの

 

それでいて、自己愛性人格障害者って同じ思考で動いて、今や蔓延っているので、どこでも誰でもどんな場面でも当てはまっちゃう人がいる

 

自分もたまにそっち側に傾くときだってある

 

こんなに事例がありふれていて同じ様な事も沢山書いているのに、ほんの少し角度が変わるだけで、なかなか処理出来ず放置するものも多くて、人間の難しさを感じるなと思う

 

難しいけど正解も無いし、転んだとしても失敗じゃ無いのが人間関係

 

「どっちが正解でどっちが失敗か」って一生懸命答えを探している人達はどこにいくのかな?

 

多分ずっと正解を出していても幸せにはなれないし、ずっと失敗をしている人達が不幸せではない

 

だとしたら、正解を探すより自分が幸せな事を追求したらいいんじゃない?

 

皆から見える幸せは、結構幸せじゃないかもしれないのだから、それを目指す人達と距離を置いてもいいんじゃない?

 

「正解を取らないなんてあなたはなんてバカなの?」って自己愛性人格障害者達は言うけれど、そんな言葉に惑わされなくていいんじゃない?

 

その言葉に自分の未来を無闇に心配しなくても平気なんじゃない?って思う

 

まあ、自分に自信がないとやっぱり正解を取っといた方が無難じゃない?って思うから、そんな時は無難な方を取ればいいのかもしれない

 

その代わり、いつか無難を取らなくても自分で歩いていけるように自分に自信を持たないといけないと思っておけばいいのかも

 

私自身もここに書いて、世の中の正解に流されないようにしてるのかもしれないし、これを読む人達もついでに自分を見つけるヒントが拾えるかも

 

沢山の人が見つけられるといいな、自分