心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者とやり合う人は

f:id:pilatesno-1:20210204083512j:plain自己愛性人格障害者は、常にターゲットにできる人を探している

それだけじゃなくて、常に周りの人に順位を付けている

 

「ちょっと優位に立てそうだな」と思えばつかさずマウンティング!

   

「ちょっと偉そうな人だな」と思えば称賛!

 

大人になれば、マウンティングされても称賛されても皆大人の対応でサラリと流す

 

そんな中、自己愛性人格障害者にマウンティングされたり突っ掛かられたりした瞬間に自己愛性人格障害者に噛み付く人っている

 

マウンティングされた時って、自己愛性人格障害者と価値観が違う人は自己愛性人格障害者の言っている事の意味がすぐには分からない

 

その時は何だかモヤモヤして、後で「もしかして馬鹿にされてる?」って気がつく

 

でも、自己愛性人格障害者と同じ損得と勝ち負けの価値観で動く人達は、言われてすぐに「コイツは私を馬鹿にした」と気がつく

 

自己愛性人格障害者から喧嘩を売られた時だって自己愛性人格障害者的な損得勝ち負けの価値観ではなければ「え?なんで突然喧嘩を売られてこんな事を言われなきゃいけないの?」ってびっくりする様な内容のはず

 

だって自己愛性人格障害者はただイライラを解消したいだけだから、内容は何だか分からないようなくだらない事だったりするのに、凄い剣幕で捲し立てたりして、ちょっと意味が分からない

 

そんなわけが分からない内容に、普通その場で反撃って出来ない

 

唖然として、聞くしかない

 

そんな中で、言い返す人達

 

きちんと意思があって強そうな感じもするけれど、そうじゃない

 

キャン!って吠えられてキャン!って吠え返すには、言っていることがすぐに分かることが必要

 

何言ってるんだろう?って思いながら、言い返せる人はなかなかいないと思うんです

 

的を得ない話をしてしまいそうです

 

という事は、即座に言い返す人はすぐに判断できるほど、自己愛性人格障害者的な価値観の持ち主である可能性が高い

 

そうでなければ、物凄く短絡的か

怒ってこられたから怒ってやる!みたいな

 

だから、その後事あるごとに自己愛性人格障害者とやり合う

 

お互いの価値をお互いに勝つ事で見出していく関係となる

 

 

ちょっと大人しそうな人でも、いつか本性を出す時がやってくるかもしれない

 

自己愛性人格障害者としてどこかで動き出す時が来るかもしれない

 

そして、またその人が次のターゲットや突っ掛かる人を探す

 

自己愛性人格障害者は一人じゃ生きられない

 

誰かに勝つ事でしか、自分の価値を計ることが出来ない

 

自分の価値を図るためには、誰かと競うしかない

 

勝つためには、自分より下と競うしか方法がない

 

でも、明らかに下と競うのはかっこ悪い!

明らかに上と競っても勝てない!

 

出来るだけ、どこかが同じでどこかが確実にどこかが勝てている人を探さないといけない

 

 

そんな相手に噛み付いて、そんな相手とやり合う

 

でも、実はターゲットにされた時点で、放って置いても自己愛性人格障害者を負かすことは出来る人間のお墨付きを貰ったようなものなのだ

 

そこでやり合ったりしないで、コツコツと自分の出来る事をしていけば、その人は確実に何かを得ることが出来るはず

 

そこで余計な事に気持ちが削がれて、やらなきゃいけない事が何だか分からなくなってしまったら、何にも得られないのだと思うのです

 

 

多分、自己愛性人格障害者達はそれを教えてくれているのかな

 

 

どこにいても何をしても人間関係やコミュニケーションは大切だと思うのですが、「何をしたいか」が忘れられてしまったら、そこには何も無くなってしまうのかもしれないです

 

やり合う人達には「何をしたいか?」が掛けています

 

自分が勝てそうな場所を探して動いているだけで、自慢出来そうな所を探しているだけで、どんなに好きだと言っている場所でも、上に行けなければ好きじゃないのです

 

自分の存在意義を探し回っている人達と一緒に探し回る事がないように、自己肯定感を上げて行く事って必要なんです

 

やり合う人達は、自己肯定感が低く、劣等感が強いです

 

キャンキャン吠え合うのは、ちっちゃい証拠かなと思います