心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者生産グループから離れても前には進めないかも

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自己愛性人格障害者がトップに君臨するグループがあると…知らずに入ってきた人達はどんどん感化されて自己愛性人格障害者をそのグループが量産していく

 

もちろん、気が付いてそこを脱出する人いるけれど、中途半端な気付きは危険だったりする

 

どの位かな?

 

見た感じ、3年位でどっぷりと自己愛性人格障害者になるイメージ

   

自己愛性人格障害的な考え方は誰でも持っているものだけど、そちらに偏るには人それぞれ時間が違う

 

あっという間に取り巻きになってしまう人もいれば裏で反発しながらなんとなくそこにいる人も

 

どんな状態でも、3年もいれば親も子もすっかり損得勘定と勝ち負けにしか価値基準が無い立派な自己愛性人格障害

 

そこで、もしそのグループを脱出したとしても、脱出先で自己愛性人格障害者的な動きをしてしまう

 

だからかな〜

 

小学校も高学年になると1年生からのガツッと自己愛性人格障害者の親達子供達のグループが確立する

 

中学生になって、バラバラになって初めのうちはそれほど力を発揮するわけではないが、そのうちあのグループから出て来た子ねって感じでイジメをする

 

小学校の頃には自己愛性人格障害者グループのリーダーでは無くても自己愛性人格障害者のグループにいれば、外に出て自己愛性人格障害者としてリーダーになる

 

上に上がれば、立派な自己愛性人格障害者のリーダーとして、そこに君臨してしまうのだ

 

見ていると人格的に、約2年で自己愛性人格障害者が出来上がり、約3年で確立する

 

そこからはもう、どこに出ても立派な自己愛性人格障害

 

家の中ではハラスメントやネグレクトが横行して、子供は親の前ではいい子

 

外では、他人をイジメてバカにする親子

 

あんなに元にいた自己愛性人格障害者グループを嫌がって、やっと脱出してきたはずなのに、中途半端な気付きだと、結局考え方も行動も全てが自己愛性人格障害

 

だからかな?、ガラリと考え方を変えないといけない位の攻撃を受けて自己愛性人格障害者から離れる人はその後素敵に変化できるのかもしれない

 

死ぬか生きるか位の衝撃的なショックが起きなきゃ、人間考え方を変えることなんて出来ないなって思うんです

 

死ぬか生きるか位の攻撃を受けるという事は、ある意味気がつくチャンスなのかもしれないんです

 

中途半端に脱出して、自己愛性人格障害者として子供に依存して支配する親子は沢山います

 

そんな親子を見ていると、とことんやられて、そこから立ち上がる事は、ある意味仕方がない事なのかもって思います

 

うちがあれ程の攻撃を受けなければならなかったのは、私がうじうじしていたからなんだと思うんです

 

まだまだ、子供達が攻撃を受けるのは、それを忘れないで頑張れよって事なのかもしれません

 

自己愛性人格障害者グループを横目に見ながら成長出来るのも、教訓としてなのかもしれません

 

イジメやハラスメントに合うのは辛いです

 

自己愛性人格障害者が悪いです

 

逃げてもいいと思います

 

でも、何も気が付かずに離れる事には意味はありません

 

自己愛性人格障害者から離れる事で前に進めるのではなく「素敵な人になるか?」「自己愛性人格障害者になるか?」の選択で、初めて前に進めるのかもしれないです

 

だから、どちらかの選択をしていない人は、一歩も前には進んでいないのかもしれません

 

前に進まない選択もたまにはいいかもしれませんが、いつか前に進めるように沢山考えて出来れば素敵な人への道を選択してもいいのかもしれないなと思います

 

私ですが、素敵な人への道を選択しているつもりでもズレる時はあるから、周りに素敵な人がいるのかもしれません