心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者を治す?

f:id:pilatesno-1:20210216085704j:plain DVをする人がいつか優しくなってくれるはずとか、ハラスメントをする人がいつか分かってくれるはずとか、ストーカーも本人が嫌がっているのを分かればやめてくれるはずとか、虐待をする人がいつかいい親になってくれるはずとか…

はっきり言って無理じゃない?って思う

なんの為に、その治療を誰がするの?って思う

誰が支えるの?って思う

家族は、家族ごとガラリと考え方を入れ替えないと治療としては成り立たないし、夫婦や恋人にその人を支える義務は無いかな

考え方が極端にならない様に共存する位ならできるかもしれないけど、分かってくれるはずとか優しくなってくれるはずとか無いなと思うんです

被害者が気づいて変わることが精一杯ではないかな

しかも、絶対に自己愛性人格障害者を被害者が支える事は出来ない

被害者はターゲットとしての役割しか出来ないのだから、加害者である自己愛性人格障害者をなんとかすることなんて出来ないと思うんです

自己愛性人格障害者と一度被害者と加害者という関係を作った後に、その関係を変えることは難しい

初めから、自己愛性人格障害者の被害者ではない立場の人が、その自己愛性人格障害者の事を無害にする位なら可能かなと思います

それが精一杯

それでも近くにいる被害者達には危害が加わることもあるだろうし、その被害はその支える人には見えないので、例えば夫婦で夫が自己愛性人格障害者である場合、夫婦関係は良好でも夫や妻が見ていない時は子供を攻撃したりしてしまうのだ

その場合子供が家にいなくなったら、妻を攻撃する場合も多くて厄介だ

定年後に離婚とかになってしまうのかもしれない

パートナーはなんとかしようと思っていないわけじゃないと思うんです

治療に通わなくても、なんとかならないかと試行錯誤しているはずです

でも、自己愛性人格障害者が自己愛性人格障害ではなくなる事なんて、なかなか無い

とりあえず、私の周りでは見たことが無い

治療が出来ると思っているのは紙の上で物を考える人達だけじゃないかと思うんです

人間って、一時期の足りなかった思いを埋められるほど単純ではないと思います

相当な犠牲を負う覚悟で、もし治療が出来たのなら、治療を受けた人はその犠牲になった人の思いを全て背負って生きて行かないといけないと思います

自己愛性人格障害者が治療してそうでなくなった話も聞かないし、周囲の関わってくれた人に感謝できる様な、そんな人いるとも思えない

周囲に感謝できてる人なんて、それほどいないのに、自己愛性人格障害者だった人が、そうなれるとは思えない

とりあえず、私は知らないので、自己愛性人格障害者は放っておきます

そちら側に流れる人も助けることはできないし、声をかけることも出来ません

頑張って這い上がろうとする人には声を掛けるかもしれませんが、もし助けたら、多分結局這い上がれなくなってしまうのだと、前記事で気がつくことが出来たので、助けることもしないと思います

自己愛性人格障害者を治療出来るならする事は大切かもしれませんが、それよりも「一時期の足りなかった思い」をその時に埋められるような取り組みをしたほうがいいかもしれないなと思います