心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

男性か女性か年上か年下かなんてどうでもいい

 

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私事自身、誰かを初めて見た時には人間としか認識していない

 

その人が男性か女性か?年上か年下か?どんな職業か?どんな肩書きか?なんて正直どうでもいいとさえ思っている

 

もしかしたら、人間かどうかも…どうでもいいかもしれない

 

人間だからって意思の疎通の出来ない人もいるし、動物だから気持ちが分からないかと言えばそうでも無いかもしれない

   

だから、「男でしょ!」とか「女の子だから!」とか言う人は苦手だし、年上だから偉そうだったり、子供だからってバカにしたりする人が苦手だ

 

苦手というより、理解出来ないといった方が正しいかもしれない

 

可愛い女性だけどめちゃめちゃ男ぽい格好良さを出す人とか、ごっつい見た目の繊細な感性の男性とかは見た目と中身のギャップで物凄い興味が湧く

 

人間は「可愛いね」って言われると自然と可愛いを装う

 

だから、見た目と中身が違う人でそれを隠さず生きている人は、たぶん育ってきた家庭がそれを認めて来た環境だったのではないかと思う

 

そんな家庭が素敵だと思うし、自分もたぶんそんな環境で育って、そんな環境で子供達を育てている

 

でも、実際の世の中はかなり区別的だ

 

自分に自身が無ければ無いほど「年上だ!」「男だ!」「金持ちだ!」「肩書きが!」という

 

そういう人が多い土地柄とかもあって、そんな場所はとにかく窮屈だったりする

 

そして、たぶんそういう外側の着ぐるみみたいな部分しか見れない人達と私とが意見が合うことは無い

 

そう思ったら、なんだか諦めも着くし、自分自身も肯定出来る

 

自分の価値とか見せ方とか、もっと上手にコントロール出来ると面白く生きていけるかもね

 

ちなみに、これは見た目より中身が大切とか言っている訳じゃない

 

カッコいいとか可愛いとか金持ちとかはそれだけで価値があるのは事実

 

境界線を引いて右か左か?上か下か?と考える事がバカバカしいなと思うだけ

 

「バーチャルの中の自分が本当の自分」とか言わなきゃいけないほど、普段を抑圧して生きているなんて、大変だなあ