心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者もターゲットも取り巻きも品が無い

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まず、品が無い人ってどういう人?って何度か書いているけれど、私の中の品が無い人は、お金に金額以上の価値を見出してしまう人

要するに、「富」がある人や物の本質よりもその富に価値があると思っている人

お金持ちのつまらない人でも、お金を持っているだけで素晴らしいと言ってしまう様な人かな



そう考えると、自己愛性人格障害者は全く品が無い

損得だけを考えて、表の得ばかりを取ろうと必死に動く

ハッキリ言って見た目だけ整えれば満足なのだ

見た目がお金持ちで見た目がセレブで見た目が成功していて見た目がいい子ならいい

中身なんてどうでもいいっていうより、見えていない


他人も自分の価値観で評価して高評価の人だけと付き合う


ターゲットも取り巻きも、自己愛性人格障害者の周りにいて自己愛性人格障害者と心を同期してしまうので、やはり同じ価値観で動く


どんなに品のある人でも、自己愛性人格障害者の損得勝ち負け勘定と同期してしまった時点で、下品になってしまうのかも


そこから反発したり脱出する人達は、自分の品格を保つ為に頑張るのかもしれない

そう考えると、ターゲットから完全に脱出出来れば自然と品がある人になれるのかもしれないです


脱出って言ったって実は後遺症が酷くて、何年も掛かったり、自己愛性人格障害者と離れたものの心が全く離れない人も沢山います


完全に脱出するのは思っているより相当困難を極めるんだと思います


そして、だからこそそんなに簡単には品は戻ってこないのかもしれないです


ターゲットばかりを書いて来ましたが、取り巻きに品があるという評価が下る日はほぼ来ないと思っています

取り巻きは自分で自己愛性人格障害者と同じ貉だと思ってはいません

自己愛性人格障害者と同じ考え、同じ行動を取りながら、自分はそちら側にいる人間だと気が付いていないのです

自己愛性人格障害者の力が衰えれば次の自己愛性人格障害者に移るだけなのです


ターゲットと違い、脱出出来るチャンスはほとんど無いのかもしれないので、品格なんて無いのかもしれないです


ちなみに、品って箸の持ち方とか行動とかじゃなくない?って思っていましたが、喋り方は気になります

結局、喋り方というよりは言葉の選び方だと思うのですが、きれいな言葉を使う人や、どんな相手でも敬う気持ちが感じられれば品があるなと感じる気がします

それは、言葉ではなくやっぱり考え方なのかもしれないですけど、変な喋り方やおかしな言葉を使う人で、相手に分かるようにコミュニケーションを取ろうと思っている人は少ないと思うので、そこを見て敬う気持ちが感じられず品が無いと思うのかもしれないです

今は自己愛性人格障害者的な考え方の人が多いので、私の基準だと品のある人は少ないのかもしれません


ターゲットの皆さま、ターゲットから脱出しようとしている皆さま、ターゲットから脱出中の皆さま、品格のある自分を目指せるチャンスだと思って乗り越えてみてもいいかもしれません

結構、未来は明るいかも