心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者のターゲットには自己愛性人格障害を理解する事が難しい

f:id:pilatesno-1:20210213220605j:plain自己愛性人格障害者本人に自己愛性人格障害者だと伝える事は難しい

これは、自己愛性人格障害者が治療しにくい理由の最大の問題だと思う

自己愛性人格障害者に「あなたは自己愛性人格障害者よ」と言っても、「私をこんな人間だと言って陥れようとしているのか?」と激怒されてもしかしたら「あんたこそこの条件に合致するんじゃない?」「あんたがこの自己愛性〜みたいなクズなのよ」なーんて言われかねない



なんとか治療して一緒に居たいと、かすかな希望と望みを掛けて、助け出そうとして声を掛けた人は、入口で撃沈するのかもしれない


まあ、自己愛性人格障害者本人はもう理解の仕方が違うし、フィルターも魚眼レンズみたいに、まともに見えないフィルターが付いている

自己愛性人格障害者特有の劣等感に苦しむ生活から助け出す事が難しいという現実は、周りの人が今のまで受けてきた被害を見て、「仕方がないか」と諦める結果に至ることはあるだろう


自分を犠牲にしてまで自己愛性人格障害者を助ける意味なんて無いのだから


でも、自己愛性人格障害者のターゲットを助け出したい人達は、沢山いる


夫DVに悩む娘や子供だったり、母親の過干渉の中で生きている子供だったり、新興宗教団体に入った息子だったり、イジメに悩む子供だったり…



そんな時、そのターゲットである人に「あなたは自己愛性人格障害者のターゲットになっている被害者です」と教えてあげれば、ある程度の年齢の人間なら気が付いて、自己愛性人格障害者から逃げ出すに違いない!と周りは思っている

でも、それは全く簡単ではないと私は思う


ターゲットが悪い訳ではない


でも、ターゲットは自己愛性人格障害者のターゲットであると共に取り巻きなのだ


過干渉の母親を嫌いかもしれないが、そんな母親に認めて貰いたいと必死なのだ

もはや嫌いなんて感情は持てないかもしれない

叩かれてもなじられても、その母親が好きでいたいのだ


目の前の理想とはかけ離れた母親は、自分の出来が悪いから理想とはかけ離れているだけで、出来の良い子なら理想の母親になると信じている

もし、その配偶者が自己愛性人格障害に気が付いて、離婚をする時に娘を母親と引き離そうとすれば、母親がそれを阻止しようとする事はもちろんだけど、娘も母親とは離れようとしないのだ


いくら母親が自己愛性人格障害者でこのままだと娘自身の人間形成に影響があると思って夫が親権を主張したとしても、娘は母親についていく


新興宗教団体に入った息子をなんとか脱退させようとして、その新興宗教団体がおかしいことを親のどちらかが説いたとしても、そこから脱出出来ない理由が、ターゲットにある限り、「そこにいたい」というターゲットの意思があるのだ


そして、ターゲットにそこにいる意思がある限りその自己愛性人格障害者を否定する事も批判する事も出来ないし、信じているものが自己愛性人格障害者だと認める事も困難なのだ

自己愛性人格障害者の周りにいる人は取り巻きだから、自己愛性人格障害者が素晴らしいと信じている

自己愛性人格障害者が素晴らしいからその近くにいる自分が生きていられるのだ

自己愛性人格障害者がだめな人間になる事は、自分がだめな人間になって、生きている価値も意味もないのだ


周りの助けてあげたい大人達がどんなに頑張っても、ターゲット本人が自分の意思を持って一歩を踏み出さない限り、誰も手を差し伸べる事が出来ないのかもしれない


ターゲットになるという事は自分の意見を持たない選択を取り続ける事だから、その中でターゲットが自分の意思を持って一歩を踏み出す事の難しさは、それは半端ない


他人が他人の意思で助け出すって奇跡の連続かもしれないです


だから、自己愛性人格障害者から逃れられた経験を持っている人は、自分がその中で一歩踏み出せた事に自信をもって、その後手を差し伸べてくれた人に感謝して生きていければいいし、ガッツリターゲットになって、逃げ出す決断が出来たその環境に感謝出来ればいいのかも


どうしても助けたいと思う人がいる時は、その人自身がいつか自分で1歩を踏み出せる様な気づきを散りばめて置くしか無いのかもしれない

そして、1歩を踏み出せる瞬間が来たら全力で手を差し伸べる覚悟があると、伝えておけばいいのかも



自己愛性人格障害のターゲットはとても優しい人だ

多分、人間が大好きな人


だから、自己愛性人格障害者の事も好きでいたいし、自分の事も好きでいて貰いたい


そこを、潰して連れ出す事は、新たな人間不信を作る事になるのかもしれない


好きでいたい自分も、好きでいて貰いたい自分も認めて、人間を嫌いにならないでも生きていける様になれば、きっと自分の個性が生きて幸せになれるはず


いやー、もしかしたら矛盾だらけだけだし、難しい事かもしれないけれど、何だかやっぱりバランスなんだろうな〜と思う


バランス感覚が本当に大切で、偏ると何もかもが悪になってしまうのかもしれないです

養おう!バランス感覚!


で、私は何をしているかというと、多分ブログで1歩踏み出せる気づきを散りばめているのかもしれないです

まっ、無力ですから、散りばめているのはゴミかもしれないですけど