心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

被害者意識と攻撃性もって取り巻きとなる??

f:id:pilatesno-1:20210228230954j:plain イジメの首謀者は大抵「自己愛性人格障害者」である場合が多い

虐待やDVやパワハラをする人も「自己愛性人格障害者」である

この人達が加害者となり本人が直接手を下す場合は被害者と加害者の関係は物凄い分かりやすい

でも、例えばイジメてる首謀者の周りにイエスマンな取り巻きを何人か引き連れているとする

例えば、虐待やパワハラやDVをしている人が親友や配偶者や子供を伴うとする

被害者であるターゲットは自己愛性人格障害者本人からの直接的な攻撃もあるけれど、配偶者や子供や友達などの取り巻きからも攻撃を受ける事になる

もちろん何かを言ったり暴力を振るったりする事もあるけれど「傍観」「無視」「同調」「見下し」なんていうのは立派な攻撃となる

取り巻き達は「何も言っていないから攻撃してないわ」と思うかもしれないが、そこにいるだけで立派な攻撃になる

なぜなら、自己愛性人格障害者は「皆」という言葉を使って威圧し見下すからだ

取り巻き達は、自己愛性人格障害者からの攻撃も受ける

恫喝などで圧力がかかるから、ターゲットに直接何かを言う事やってしまう事もある

言わなければやらなければ自分の立場が悪くなる

それはもちろん仕方なくやったこと

「やらなければ自分がイジメられる」とか「やらなければ自分が殺される(精神的な意味でも)」とかかなり緊迫した状況での選択を迫られた結果の行動なのだ

その緊迫した状況ではその取り巻きや配偶者は被害者だ

でも、やったことは加害者

取り巻きや配偶者本人はその場合、どう思うかというと「どんな理由があれ悪い事は悪い事」と思える人もいるかもしれないが、そういう人は本当に少数

「この状況でこの攻撃をした事は命や家族や自分を守るために仕方のない事だから許して欲しい」となる

これは、どう取りますか?

被害者から見たら、攻撃をした加害者である事は紛れもない事実

でも、その理由には裁量の余地がある??

被害者側なら絶対に許せない

ただ、周りで見ている人も同罪である事を忘れずに、その支配に囚われず動く事が出来るか?

それはもしかしたらNOかもしれない

だって、その首謀者である自己愛性人格障害者が怖いだけではない

自己愛性人格障害者の近くにいる取り巻きや周りの人は首謀者に媚びて自分だけ特別なはからいをしてもらおうと裏切ったりする

ターゲットだって、突然自己愛性人格障害者に媚びて取り巻きの悪事を暴くかもしれない

何とか攻撃を逃れようと皆必死だから、何をするか分からない

そんな疑心暗鬼の中での行動だ

そもそも取り巻きや配偶者は、ターゲットにやり返されても仕方のない事をしている

実際ターゲットはやり返す気力も無いだろうが、そんな可能性を秘めている

猜疑心を自己愛性人格障害者は上手く利用する

周りとの関係も全て断たせようとする 頼りになるのは自己愛性人格障害者だけの状況で、追い込まれる

しかも、取り巻き達はターゲットは何もしていないにも関わらず、ターゲットが悪くてしょぼくて見下すべき下位の者だと認識する

自分より下位の者がいる事で自分は上位でいられる安心感を持ち、その安心感を保つ為に攻撃を加える

結局、自己愛性人格障害者の近くにいると、損得勘定が刺激されて、周りも得な方を選ぶように頭の中が支配されてしまう

そのうち被害者意識を持ちながら、損得勘定に振り回され攻撃性を増した取り巻き達が自己愛性人格障害者の大きな傘の下で大きな顔をして動き回るのである