取り巻きが自己愛性人格障害者を担ぐのは?
自己愛性人格障害者で地位のある人には必ず、その自己愛性人格障害者を賞賛して献身的に支える取り巻きがいる
自己愛性人格障害者は自分の功績が凄い場合も有るけれど、子供だったり配偶者だったり教え子の功績でリーダーでいる人も多い
「育てた私が凄い」って感じだ
これも立派な依存だけど、取り巻き達はその自己愛性人格障害者に依存している人達
依存ってなんだろうって思うだろうけど、べったりしてるって意味じゃない
自己愛性人格障害者が居ると発言しちゃうような人達
自己愛性人格障害者が一緒にいれば強くなった気分になっちゃう人達
いなくなると小さくなる人達
自分に自信がないけど、自己愛性人格障害者がいれば「自己愛性人格障害者はこう思っているのよ!」「自己愛性人格障害者はあなたの事が嫌いなのよ!」と自分の思いを自己愛性人格障害者のせいにして誰かを攻撃出来ちゃう
自己愛性人格障害者本人は言ってないし、取り巻きは自己愛性人格障害者のせいにしているから、誰が攻撃したか?ってなった時は皆責任逃れが出来る
攻撃するにはとっても素敵な人間関係
匿名での攻撃がエスカレートするのはもちろんだけど、それに「偉い人が」って言ったらもっと攻撃性を増す
そこを依存しているのだ
そりゃー自己愛性人格障害者には強くいてもらわないと困る
なので、自己愛性人格障害者やその自己愛性人格障害者のアクセサリーである人を心から応援する
その人が強い事が自分が強い事なのだから当然
もちろん、その人がその地位を下ろされそうになれば物凄く反対して「この人は本当に必要な人だ!」と担ぐし、下ろそうとする人達を批判したり脅したりする
批判されたり脅されたりした方は、「自己愛性人格障害者が批判してきたり脅して来たりした!」と言うけれど、ここでも自己愛性人格障害者は何も言っていないし、取り巻き達は自己愛性人格障害者が思っている事だ!と自分の思いが自己愛性人格障害者の思っている事だと言ってくる
担ぐ理由も、責任転嫁の仕組みも、攻撃の方法も分かっているのだけど、だからどうしたらいいの?って思うんだけど、よく分からない
この依存が自己愛性人格障害者を取り巻き達が担ぐ大きな理由で、多分取り巻き達は自己愛性人格障害者を担いで、誰かを攻撃し続けないと生きていけない人達だということは確か
誰かを攻撃し続けないと生きていけないのは、自己愛性人格障害者も取り巻き達も自己肯定感が低い証
そんな人の集まりに攻撃されて自分も飲み込まれてしまう前に、その人がなぜ担がれているのかをちょっぴり考えてみるといいのかもしれません
結局、それに気がついて逃げられるか逃げられないかは、自分が依存しなくても大丈夫と思えるかどうかに掛かっているのだから、自己愛性人格障害者や取り巻きを見抜く力をつけるより、自己肯定感を高める事に力を入れた方が良いとはおもいますが…