ちょっぴり天然っぼくて、悪気は無さそうだけど、気が付けばいじめ首謀者の右腕となりせっせと働く人がいる
自己愛性人格障害者の取り巻き達の中で一定数いる
この人達、とにかく人に嫌われたくない優しい人達
長いものには巻かれろタイプ
強い物には従う
自己愛性人格障害者は強いので、そういう人は上手く自己愛性人格障害者に取り入る
話をよく聞いてあげる
グループ内に自己愛性人格障害者が二人いれば二人ともに別々に取り入る
人畜無害そう…
好かれようとせっせと情報を持ってくる
自己愛性人格障害者の悪口にもにこにこと付き合う
そのうちその考え方は少しずつ自己愛性人格障害者に感化され、人と比較し羨むようになる
自己愛性人格障害者と同じターゲットをターゲットにして、犯人探しや悪口を言ってくる立派な取り巻きへとなっていく
それでも周りは「何だか優しそう」「何だか天然そう」「何だか悪気は無さそう」って雰囲気に、その人を悪くは言わない
「悪気は無いからね~」なんて言葉にうんざりだ
ターゲットは、そのフワッとした存在の情報提供にガンガンとやられているのに、周りも本人も全く気がつかない
まさか自分がいじめているなんて、微塵も思っていない
自己愛性人格障害者の「誰がやったの?あなた?」って言葉に取り巻きが「私じゃないです」って言葉を返す
その裏に言葉にしない「多分あの人ね、嫌ね」の沈黙
近くにいながら、そのターゲットを除け者にして、会話を弾ませる
自己愛性人格障害者に取り入りながら、周りには目もくれず、ギャーギャーと会話する
いい大人がターゲットを除け者にすることに必死になり、大声で楽しさをアピールするのだ
何だかみっともない
そんな他人に嫌われたくない人は、上手く渡ってそうに見えるかもしれない
でも、ずっと自己愛性人格障害者のコマでしかない
どこに行っても、自己愛性人格障害者のコマとして、都合良く使われて、本人も都合良く生きていっていると思っている
自己愛性人格障害者の間を上手く渡りながら生きていると自負している
そう、そんな生き方だってあるかもしれないケド
本人はいじめの首謀者になっているなんて知らず、いじめの首謀者になり、人に嫌われたくないと思っているはずなのに、物凄い嫌われる
優しくて、自分に自信が持てない人は、なんとなく取り巻きになり、なんとなく人をいじめている
結局、私はこの種類の人達が自己愛性人格障害者より苦手かもしれない
「人に嫌われたくない」って感情は思いの外つまらない人生を送らないといけなくなるのこもしれない
だからって「嫌われてもいい」わけではない
「他人に好かれるか嫌われるか」を基準にせず、「自分が楽しいか楽しくない」かに焦点を当てれば、結局は他人に振り回されずに面白く生きていける気がするな
と、あの人達をみて思う