自己愛性人格障害者が沢山いるコミュニティーは常に色々なことが起こる
初めは自己愛性人格障害者達の取り巻きはいないか1人
基本、この時点では自己愛性人格障害者は一人では何も出来ないので、かなり静かなはずだ
気に食わない人がいれば、たまーに「ここだ!」と思ったところで攻撃してくる位
その人の権限が及ばない事を知らしめようとする攻撃が多い
ターゲットが無力だと錯覚させる攻撃
それと同時に1人2人と何も分からなそうな人を不安に陥れ、自分の取り巻きにしようと試みる
その度にターゲットになりそうな人にそっと声を掛けて連れ戻す
これが結構面倒な作業だけど、賢く自己愛性人格障害者と付き合うには仕方がない労力かなといつも思う
皆が賢くなって自分の判断で自己愛性人格障害者と一定の距離を置くことが出来れば、小心者の自己愛性人格障害者が力を発揮することは難しい
変な噂を立てられても、お互いの信頼関係でその噂をスルー出来れば、何も怖くない
「こんな噂があるって言われたけどどうしよう?」って聞かれたら、「私はあなたをそういう人ではないと信じているので気にしないよ、放っておけばいいのよ」とお互いに自分の定規で相手を見ればいいのだ
そうしていれば直接攻撃してくることはない
でも、どこかから崩れないかと自己愛性人格障害者達は常に裏からターゲットとなりそうな人を探しアプローチしている
まあそんな日々が続くはず
そうこうしているうちに自己愛性人格障害者が複数いると2人で手を組始める
複数になるととたんに「皆」になる自己愛性人格障害者
取り巻きも従えていれば圧力もある
問題も引っ切り無しに起こる
しかも、動きが裏側なので分かりにくい
1人じゃ何も決められなかった自己愛性人格障害者なのだが、2人になるとお互いに責任転嫁をしながら決断力が増す
Aが「そう思わない?」と言ったのに対してBが「そうだよね」と答えるとAはBが決断したと思い、BはAが決断したと思うのだ
構造は本当に単純なのだけど、自分の損得と勝ち負けだけにこだわる独自の思い込みから責任を人に預けて進んでいくこの塊はかなり厄介だ
どちらも自分が決断したとは思っていないから、周りが「Aがやったんじゃない?」といえばAは「私はやらされただけだ」といい「Bがやったんでしょ?」と言われれば「え、Aが自分に指示したと文脈から汲んだんだ」という
誰も自分の意思ではやっていないと言い張り有耶無耶にしながらバンバンと進んでいくのだ
この構造はいじめとかでは本当に良くある
損得と勝ち負け以外の定規は持ち合わせて居ない自己愛性人格障害者達は「あいつを倒したい!」なんて目的では意気投合することは多いのだ
ここから、どうする??
権限のあるトップが気がつけば、2人とも切り捨てるなんて事が可能かもしれないが、大抵は気がつかない
いじめとかもここまでに気がついて芽を摘めるような先生のクラスは常に平和だ
でも、やっぱりここまでは水面下だから分かりにくい
そして、ここからはトップの先生や社長から見るとメリットが有りそうな他の人達を拘束する条件の提案が自己愛性人格障害者達から続く
周りが「いいんじゃない!」と容認しているうちに、全ての人が雁字搦めになって、気がつけば自己愛性人格障害者の気に入らない人達がルールを守れない事を理由に止めさせられていく
ルールはそもそも守れるものではない解釈で動かしてしまえば、自己愛性人格障害者達に気に入られると免除される様になるため、皆がこぞって自己愛性人格障害者達に胡麻を擦ったり、お土産を持ってきたりして、実質自己愛性人格障害者達の天下になる
と、普通はこんな感じだ
じゃあ、どうする?
皆の認識をまとめて、輪を乱す人は困ると封じ込めにかかるか?
トップも巻き込めるか?
そこは気がついた人の信頼関係の築き方にかかっているのかもしれない
組織を束ねるのは難しい
組織を束ねている人は、どんなに小さくても考えている事は一緒
だから、どんなに小さな組織でも束ねている人の考えは面白いのかもしれないな
私も学ぼう!