心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者のやり口は証明しにくい

f:id:pilatesno-1:20210302083339j:plain 自己愛性人格障害者のやり口は本当に証明しにくい

直接的な言葉で圧力をかけてきたりすることは少ないので、録音したところで「そんな風にとられるなんて思わなかった」と言われてしまえば、その圧力を証明することが出来ない

被害を訴えても「気のせいじゃない?」って言われることが多い

赤ちゃんが泣いているお母さんに「この前ここで寝ている人がいたのよ、私は子供達が騒いでも気にしないけどね」なんて言う

本当は赤ちゃんがうるさいから静かにさせてくれという事なのだが、自分はそうは思っていないけど周りはどうかしら?と相手に投げ掛ける

結局、お母さんは赤ちゃんを連れて外に出ることになるんだけど「私はそんなこといったつもりは無いのに」と自己愛性人格障害者は言う

「私も子供が小さいときはおばあちゃんに頼み込んで何とかして預けてわざわざ来てたわ、大変よね」なんて言えば、次回は無理してでも預けて来なさいねって圧力がかかる

親切で声を掛けてあげたのに!と自己愛性人格障害者は言うが、まるで赤ちゃんがいる事を否定されているように聞こえる場合がほとんどだ

だからって、その被害を訴えても分かってもらえない

モヤモヤなんてもんじゃないパンチが後から効いてくる

「私も若い頃は残業で毎日終電だったわ」と言えば、毎日の終電は当然でしょ!という圧力になる

別に直接残業の強制なんてしていない 「やってね」なんて言っていないのだ

自己愛性人格障害者は責任を誰かに転嫁しながら生きているから、直接自分の思いを口にすることはほとんど無い

誰かが言っていたような、皆がそうしなければいけないような圧力を常にかけながら、優しそうに声をかけるのだ

しかも、私はできる人であなたは出来ない人という構図を常に掲げて人とコミュニケーションを取る

常にバカにされているような不快感と、言葉の裏にある攻撃で近くにいると物凄く気持ちが削がれるのだ

それなのに何一つ証明することが出来ない

そのまま本人を問いただしたとしても、自分の発言に責任があるなんて思えないし気がつかない

だから、自己愛性人格障害者の攻撃に傷ついている被害者がいても、誰が傷つけたのか分からない

謝ったとしても、自分が悪いなんてかけらも思っていない

ただ、そこでは謝った方がいいと思っただけだ

一体、どうやって証明すればいいのだろう?

ほんと、私には難しい