心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人の痛みは分からないから

人の痛みはなかなか分からない

なんとなくなら思うことができても、実際に本人の痛みは想像できないのかもしれない

 

自己愛性人格障害者の被害者は誰かに分かってもらいたいと切に願う

 

いじめられた事をこんなにひどいいじめだったと証明したい

 

こんなにひどい目にあったと周りに知って欲しい

 

分かってもらって助けてもらいたいと願う

 

 

でもきっと、他人の受けた痛みを本当にわかる人なんていない

しかも、他人の立場を全て分かって助けてくれる人なんて、神様みたいなものかもしれない

 

だから、それを証明するとか裁判するとかはかなり難しい事なのかなと思う

 

私の立場を分かってください!っていうのは、なかなか傲慢な考え方を人に押し付ける事なのかも

 

それを人前でやらなければいけない

 

そりゃー、普通の人はつかれるし、その思いにかられて突き進める人は傲慢な人に映ってしまったりそうだったりするのかもしれない

 

それがいいか悪いかでは無く、その先に自分の何があるかを考えなくては!

 

その証明で自分がそれを乗り越えられるのならやればいいし、そこを乗り越えるためのに意味のないものなら、そこに留まって頑張る必要なんて無いのかもしれない

 

被害者は被害者の意味を自分に問い、自己愛性人格障害者を避けたり逃げたりしながらそれを乗り越えていくしかないし、もし家族が被害者になったなら、被害者が自分で乗り越えられるように全力でサポートしてあげればいいのかなと思う

 

これは別に被害者が悪いって言っているわけではない

 

加害者が悪いけど加害者は変わらないから、被害者が変わる方が良くない?って思っているだけ

 

「分かってもらいたい」じゃなくて、「聞いてもらいたい」ならいいのかもしれないな