心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

ハラスメントを立証するのは難しすぎる

f:id:pilatesno-1:20210207202043j:plain何度もここで書いている気がするけれど、自己愛性人格障害者が行うハラスメントは心が病む

 

でも被害者が「ハラスメントだ!」と言ってその行為を立証するのは難しすぎる

   

悪口も相手の事を言うわけではない

直接的な言葉などない

悪口を言う側が「こちらはそういう事はしないのよ、良かったわね」と、いかにも相手が悪い事をしている様に周りに言う

 

「悪口じゃない?」と言っても「そんなふうに取るなんて、嫌な人ね」と逆に攻撃してくる

 

無視だって「不安定なのを心配して触れないようにしていたのよ、皆心配してたのよ」とか言われてしまえばおしまい

 

「悪気がない」とか、「そんな気はない」とか、そんな事で言いくるめられそう

 

そして、誰かが一緒に戦ってくれれば良いけれど、そこにまだいる人達は制裁やひいきが怖くて何も出来ない

 

やめている人は出来れば関わりたくは無いし、やめている人でも関わると「お世話になったのに裏切るなんて最低ね」なんてブツブツ言う人も出てくる

 

自己愛性人格障害者は外での人当たりがいいので、外には一定数の味方がいる

 

「あんなに良い人がパワハラなんてするわけ無い」とか言う人達が一定数確実にいる

 

しかも、ひいきされている人達は今の立ち位置がいいから擁護する

 

味方をすると制裁が来かねない被害者に対して、確実に一定数の味方がいるだろう加害者

 

パワハラと言う時点で、力関係もかなりあるにも関わらず圧倒的に不利な状況からのスタート

 

しかも、被害者は気持ちも病んで不安定だし、とにかく優しい

 

周りへの迷惑も制裁も省みず、自分のためにハラスメントの立証する事をし続けられるのか?

 

訴えて耐えられるのか?って思ってしまう

 

 

ちなみに、うちも相手を潰すだけのデータは持っているけれど、訴えても周りに迷惑がかかるし、そこから助け出してくれた人達にも迷惑を掛けることになるから行動を起こす気は無い

 

結局、自己愛性人格障害者である加害者を潰しても誰も未来が無い

 

言った言わない、やったやらない、そんなつもりでは無かったの繰り返しと、それを立証出来ないモヤモヤに加え、加害者の頭の中は記憶の書換まで起こる

 

被害者が叩かれちゃう結果が出てくる時もあったりして、被害者も疲弊してしまうのだ

 

なんとかしてあげたいけれど、なんとかならないのか…

 

悲しいし、可哀想すぎる

 

泣きながら話さなきゃいけないほど、心が追い込まれる言葉や攻撃は周りからは見えない

 

巧妙に攻撃する自己愛性人格障害者達に、我が子達も何度もやられるけれど、これを跳ね除けられる強い思い位しか太刀打ち出来る方法は見つけられない

 

我が子達だってこれを身につけるにはまだまだ時間がかかるのかもしれない

 

そして優しく強くなった人達は、自己愛性人格障害者を戦わずして跳ね除けるために、沢山の人達に支えられているのかななんて思います

 

 

ハラスメントの立証もやってみる価値はあるかもしれないが、そうでない方法で自己愛性人格障害者達の力を封じ込めながら共存していける方法ってないのかなとか思うのです

 

事実を立証出来ても、自己愛性人格障害者に勝ったにすぎず、勝ちたかった訳ではない優しい被害者にとっては、本位では無い形での幕引きとなるのは見えている

 

皆で仲良くしたいだけのはずなのに、自分達の場所を守りたかっただけなのに、排除するかされるかの選択しか出来なくなってしまうのはやっぱり悲しいかもしれない