心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

取り巻きが自己愛性人格障害者を失うと

f:id:pilatesno-1:20210302084410j:plain 自己愛性人格障害者の取り巻きは自己愛性人格障害者にかなり近い考えを持ってる

自己愛性人格障害者の被害者の意識がある人もいるが、長く一緒にいるとその被害者意識もなくなる

そして、自己愛性人格障害者の後ろ楯があるからと自己愛性人格障害者よりも横暴になる

まるで、チンピラ

「何かあったら親分が出てくるぞ!お前ら分かってるのか?」みたいな感じだ

バンバン暴れて偉そうにするけど、はて、親分が捕まったり追い出されたりしたらどうだろう?

一緒に退散していくほど親分を慕っている人は少ない

自己愛性人格障害者っぽくなっていればなっているほど、また新しい親分を見つけてそこにくっつく

つい最近まで散々文句を言っていた相手だとしても、新しい力のある人を称賛しながら取り入ろうとする

普通はそんな行動は恥ずかしくて出来ない

自分の行動の矛盾を恥じて小さくなりたくなる

でも、自己愛性人格障害者は都合の悪い記憶を消し去る

そしてまた横暴な態度を繰り返す

自己愛性人格障害者を一人つまみ出しても、次に力のある自己愛性人格障害者が力を持って取り巻きを作る

まるで働きアリと怠けアリの法則のように自己愛性人格障害者が涌き出てくる

じぁあ、どうする?

小さな自己愛性人格障害者なら、力を発揮出来ないようにしておける環境であればいいのかも

一緒にいても害のない状態で置いておけるような環境を作ればいい

元々考え方に芯の無い人達なのだから、ガツっと突き放せるカッコいいトップにでも立って貰えば、いうことを聞くのかな?

ちなみにここはまだまだ試験中

どうしたら、自己愛性人格障害者を無力化したまま共存出来るのか?

日々、模索している

でも、そう思うとやっぱり残念な事実に直面する

結局、自己愛性人格障害者を減らすことは出来ない

例え無力化出来るグループがあったとしても、そこを出てしまえば毒を発する

周りの環境に合わせて、毒を発する時の方がほとんどの植物の様

人を変えることなんて人には出来ない

人をすぐに真似るあの行動を見ると、影響を一番与えられそうに見えるのに、実は欠片も変わることのない種類の人達に、信用なんて言葉が存在しないことを思い知る日々

子育ての時点で助ける手立ては無いのかな?