心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

品が無い人の正体は?

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品が無い人は苦手だと思っている

 

ところで、品っていったいなんだろう?

   

調べてみると箸の持ち方とか、立ち振る舞いとか、言葉とか、喋り方や食べ方等、具体的に書いてあるんだけど、なんだかしっくり来なかった

箸の持ち方が悪くても、言葉が丁寧ではなくてもそんなに気になるかな?

 

逆に箸の持ち方が良くて言葉遣いや喋り方や食べ方等がキチンとしていても「下品だな」と思う人はいる

 

写真に可愛く写っていても下品な人は、化粧が原因なんかではない

 

清楚に写った写真から意地悪そうな雰囲気を醸し出す人達

 

いったい何なんだろう?

 

と考えてみる…

 

「感謝」かな

 

どんなに箸の持ち方がちゃんとしていても、人や物に対する感謝が無いと「下品だ」と感じるのかも

 

逆に箸の持ち方がいまいちでも、食べ物をガツガツ刺して食べたりしないで作った人やその食べ物を育ててくれた人に感謝しながら食べている事が感じられれば、その箸の持ち方は気にならないかもしれない

 

そんな感謝をしながら食べている人に「箸の持ち方がダメなのはお里が知れるよ」なんて、言う人がいたとしたら、その人を物凄く下品だと感じるかもしれない

 

 

何かに一生懸命向かっている人に対し、なかなか上手くいかない事をバカにしたりする人がいたら下品だと感じる

 

それこそ、「敬意」とか「感謝」とか「謙虚」とかそんな事を品格と捉えているのかもしれない

 

その人が頑張っていることや向き合っていることをカッコいいなと感じたり、その人が楽しんでいる姿を通してそのやっている事や考え方に興味を持ったり、一緒に楽しめたりする事を多分「敬意」とかって言うのかなって思います

 

他人の事をバカにせず、受け入れて尊重する人を「品がある」と言うのかもしれないなって思ったんです

 

 

そう思ったら、自己愛性人格障害者とは真逆の人達の事を「品がある」というのかも

 

どんなに着飾っても、どんなにお金持ちでも、どんなにセレブぶってても、清楚な化粧と髪型にしても、周りをバカにする人には品が無い

 

そんなものかも

 

そして、自己愛性人格障害者はもちろん品が無くて、自己愛性人格障害者では無くても、ちょっとそっち側に傾くと品格って失われてしまうものなのかもしれないなって思います

 

キレイに写っている写真なのに、全ての人が意地悪なヤンキーに見えるってすごい

清楚な人も沢山いたのに、その清楚が偽物にしか見えなかった

 

私の目がおかしいのかと思ってしまったけれど、子供達に聞いても同じだったので、ちょっと不思議になって掘り下げてみました

 

品がある人と無い人が明確になったので、モヤモヤがちょっぴりスッキリしました