心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害のお母さんが認めてくれる所が他にない

自己愛性人格障害者の子供が例えば勉強を頑張って、1位を取ったとする

受験勉強をしようと頑張ると、お母さんが喜んでくれる

だから、頑張る

 

途中あまりにもヤル気がないから「ちょっとやっぱり受験やめたら?」とか、「やっぱり受験はやめよう」と結論を出すとする

 

すると、子供はお母さんに認めてもらえる所が他に見つけられないので、お母さんの笑顔が見たくて、また「やっぱり受験をしたい」と元に戻るのである

 

こんな事を何度も繰り返す

 

そして、それを親はいかにも子供がヤル気を持ってやっている様に他人に話す

 

「大変だからやめようと決めた事が何度もあったのにその度に子供から直談判してくるのよ」みたいな…

 

子供は決して受験をしたいわけではない

 

だから、本当に自分からやりたくてたまらないという意思を持ってやっている子の様にがむしゃらのキラキラとした目はしていない

 

勉強に取り組む姿勢も甘い

親から見たら、自分からやると言っておきながらその姿勢は酷くない?と思う

 

きっと志望校に落ちればまた母にはボロボロに言われるだろう

 

認めてもらえないと思う

可愛がられないと思う

存在している意味が無いと思う

 

受かるぎりぎりのラインを勉強と向き合う事もなく走り続ける

 

これは、習い事や競技でも同じ

 

子供が自分からやっているようで、お母さんの顔色をみて、認められる場所を探す

自己愛性人格障害者に操作されているのである

 

子供は「自分のやりたい事が何なのか?」「本当に自分がやりたくてやっているのか?」なんだか分からなくなる

 

自分の意思はそこには無いのに、やると言った自分の言葉に悩まされる

やらなくてはいけない、やらないと育ててもらえない、要らないといわれそうな恐怖感で縛り付けられる

 

こんな事が行動の1つ1つについて回る

 

自己愛性人格障害者に育てられた子供には、意思はない

 

自己愛性人格障害者の意思がどこにあるかを模索して、自己愛性人格障害者の意思があたかも自分の意思であるかの様に振る舞いながら、自分の意思を殺して生きている

 

自分の意思を殺している意識もなく、操作されているとも気が付かず、ただひたすら認めてもらいたいと願い、認めてもらえる所を探しながら生きている

 

辛いけど…知ったこっちゃない!


だって、他人には何も出来ない事だから