心と身体とピラティスと運動

倉敷でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

今頑張ってることは本当に自分のため?

自己愛性人格障害者の親を持つ子供達は、親の夢や見栄を全て自分の夢や見栄だと信じている

 

楽器や競技や作品などに一生懸命向かったり練習に励むのも、全て自分のためだと信じている

 

でも、それは自己愛性人格障害者である親が望んでいることをしたいと思っているだけ

 

そうすることで愛される事を望んでいるし、子供として大切にされたいと思っているし、

親が喜んでくれる

 

それをしなければ、イライラと当たられ捨てられる恐怖を裏に持っている

 

その楽器や競技を自分が好きか嫌いかではなく、親の事が好きなのだ

 

そういう子が、自分と同じ物を好きで好きでたまらないと思いながらやってる同じ年代の子に出会った時、情熱の違いにふと気がつく

 

「私はいい成績を残せるけどそんなに好きではない」と気がつく時がある

 

「自分はそんなにその事を好きではないけれど、親がやめさせてはくれないだろう」と思う時がある

 

ちょっと反抗してみたり、親を遠ざけたり…

 

でも、自己愛性人格障害者はそんな子供の変化に気がつく

 

反抗した瞬間に自分のほうが正しいと子供に芽生えた感情を封じ込めようとする

 

「見てみなさい、あんな風にだらだらとやっていても上手くならないでしょ、可哀想に」

「親が子供の事を考えてあげないバカだから子供があんな風になっちゃって」

「ほーら、私が言った通りでしょ!私の言うことを聞いてれば間違いはないのよ」

「あなたには最高の環境と先生をつけて毎日私があなたの事を思って生活をプロデュースしてきたのよ、あんな子供の事を放って置いて好き勝手させて子供達も寂しそうで可哀想よ」

「常識のないバカな親の子は可哀想ね、私のお陰であなたは幸せね」

 

なんて言う

 

自分の意思でなにかをやって続けている子供達は、中学生にもなればある程度の反抗期も経験し、自立している

 

親と子供の思いが違う事にも疑問を持つ子供はいない

 

親がべったりの過保護は辛いし、押し付けにもうんざり、好きでやっているものに朝から晩までの全面的な親の協力なんていらない

 

小さい頃から過保護に全てを親の管理により動いて来た子供達に比べたら、確かにだいぶ無駄な練習をし、進みも遅くなる時があるかもしれない

 

でも、私はそれも無駄てはないと思っている

 

自分の意思でやることの楽しさは、どんなにいい成績よりその子の財産になるのだと信じている

 

子供の頃の自分の思いを形に出来たその経験が、自信となってずっとその子の背中を押してくれると信じている

 

だから、大好きな事にガンガンと向かえる人は力強いし輝いている

 

周りもそんな人間への協力を惜しまない

 

小さな遅れなんて気にしない位の勢いで駆け抜ける時がいつか来る

 

そして、その頃には親の思いを組んでやっていた子は自分の思いに気がつく事を諦めるか、おもいっきりぶちギレてやめてしまうかの選択を取る

 

子供は親が大好きだ

 

親の笑顔が見たいし、喜んでもらいたいし、自分を好きでいてもらいたい

 

ぶちギレてやめてしまうことは親と縁を切る事と変わらない

 

自己愛性人格障害者の子供は自分の意思は親の意思と信じて生きていく事が幸せだ

 

親がトップや先生に代わり、トップの意見が全てだという子供が大人になって、自己愛性人格障害者や取り巻きになる

 

従順ないい子は、親の意思を汲んでいる

 

好きか嫌いかも分からないほど自分の意思が無いのは人間として厳しい

 

一人で立つことも難しいし、生きている価値も見出だせない

 

もし、自分の目の前に大好きな事がある人が現れたとき、気がついても見ない振りをしたほうが楽だと感じるなら、ちょっと過保護が過ぎるかなと思った方がいいかもね

 

自分の気持ちに正直に居られる事は素敵なこと

 

わがままと正直は紙一重だけど、自分の気持ちに正直に動いてもただのわがままにならず周りと上手くやる方法ってある

 

大好きな事を大好きと思って出来ることの幸せをもっと知ってほしいな

 

自己愛性人格障害の親達にはほんと迷惑な私

 

そして、周りの自己愛性人格障害者の親を持つ子供達を翻弄する我が子達もまた迷惑な存在

 

排除され続けるのは当然と言えば当然かも